透きとおった青い空、吹く風に秋の到来を感じます。高台にある我が家のベランダから見える佐世保港を、決まった時間にボーっと汽笛を鳴らしてフェリーが出航したり到着したりしています。「ゆっくりと 航跡ひろがる 秋茜」・・・俳句が好きだった父が、得意の筆文字で書いてくれた色紙の言葉を思い出します。
私は、仕事帰り時間があるときには本屋に立ち寄ります。なかなかゆっくりと本を読む時間が作れないのですが、今、どんな本が話題になっているか、時間の流れに置いていかれないように、また、教材探しも兼ねて通うようにしています。
今は、『置かれたところで咲きなさい』という本がベストセラーの1位です。ノートルダム清心女子大学の学長として30代のときに抜擢され、85歳の現在まで、修道者として、学長である管理職として、また教師として活躍されている渡辺和子さんの著書です。
学長になったときは、未知の地、岡山で36歳の若さでした。苦労を重ね自信を喪失しそうになったときに、この『置かれたところで咲きなさい』という言葉をいただいたそうです。どんなところに置かれても、自分の本意ではないところでも、不平不満を言って不幸になるのではなく、そこで環境の主人となって、自分の花を咲かせよう、という意味です。それからは、その言葉通り自分の花を咲かせようと決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした・・・。そんなプロローグでした。
内容を読み進めていくと、日々悩んだり迷ったりすることに対するエッセイが並んでいます。キリスト教の立場のみならず、優しくて適切な言葉で私たちを諭してくれるようでした。学ぶことがたくさんありました。私が特に感銘を受けたのは、「出会いを育てる」という言葉です。
先日、私は、11年前の卒業生の結婚式に招待されました。卒業以来1、2回しか会っていなかったのですが、招かれてとても感激しました。結婚式では、卒業生である新婦が勤めていた所の社長さんが、11年前の面接試験のことを話され、学校からの推薦書に書いてあったことで採用を決めたとおっしゃっていました。その推薦書は紛れもなく、私が当時作成したものでした。社長さんが読まれた内容に、当時のことがありありと浮かんできて、懐かしさとともに、私が書いた一文で周りが動いていったことに、喜びと同時に責任の重さを感じました。帰りには「来てもらってよかった」と笑顔で言ってくれた姿に、安堵感と充実感がみなぎってきました。
私が担当している世界史という教科が好きになったのは、3人の人物の出会いがありました。一人目は、高校2年生のときに世界史を教えてくれた担任でもあった先生。二人目は、母校に教育実習に行ったときに指導してくれた世界史の若い熱血先生。三人目は、絵本作家の安野光雅さんです。安野光雅さんの『天動説の絵本』を見た時、中世ヨーロッパ世界に興味と強い憧れを覚えました。教会を中心とした封建社会、地球が円盤状であると信じられていた時代から、「地球は丸い」を確信するまでを、当時の人々の生活を優しい視点で描いた水彩の細密画です。
その絵本は、大切にしている本たちと一緒に、扉つきの書棚に今でも大切に保管しています。
日々の生活の中で、たくさんの人と出会い、その期間だけのお付き合いの人もいれば、それがきっかけで信頼できる関係につながっていくこともあります。人だけではなく、本や場所、シーン(場面)もありますね。
その出会いから学んだこと、自分を変えるきっかけになったこと、成長したことを、忘れずに、育てていこうと思います。
佐世保の駅前から少し北に向かうと、高台には大きく手を広げてすべてを受け入れてくれそうなイエス様の像が立っています。昭和6年にこの地に建立されたその由緒ある教会には、「あなたがしてほしいことをしてあげなさい」と町行く人たちにも見えるように大きく掲げてあります。私は毎日バスでその前を行き来するのですが、ふと見上げるとその両の手でこの佐世保を守ってくれているような気がしています。
ノートルダム清心女子大学の学長の渡辺さんも、この大きくて広い慈悲の心を持って、出会ってきた多くの人たちとの関係を育てていかれているのだろうと、思いました。
photo by mizutani
私は、仕事帰り時間があるときには本屋に立ち寄ります。なかなかゆっくりと本を読む時間が作れないのですが、今、どんな本が話題になっているか、時間の流れに置いていかれないように、また、教材探しも兼ねて通うようにしています。
今は、『置かれたところで咲きなさい』という本がベストセラーの1位です。ノートルダム清心女子大学の学長として30代のときに抜擢され、85歳の現在まで、修道者として、学長である管理職として、また教師として活躍されている渡辺和子さんの著書です。
学長になったときは、未知の地、岡山で36歳の若さでした。苦労を重ね自信を喪失しそうになったときに、この『置かれたところで咲きなさい』という言葉をいただいたそうです。どんなところに置かれても、自分の本意ではないところでも、不平不満を言って不幸になるのではなく、そこで環境の主人となって、自分の花を咲かせよう、という意味です。それからは、その言葉通り自分の花を咲かせようと決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした・・・。そんなプロローグでした。
内容を読み進めていくと、日々悩んだり迷ったりすることに対するエッセイが並んでいます。キリスト教の立場のみならず、優しくて適切な言葉で私たちを諭してくれるようでした。学ぶことがたくさんありました。私が特に感銘を受けたのは、「出会いを育てる」という言葉です。
先日、私は、11年前の卒業生の結婚式に招待されました。卒業以来1、2回しか会っていなかったのですが、招かれてとても感激しました。結婚式では、卒業生である新婦が勤めていた所の社長さんが、11年前の面接試験のことを話され、学校からの推薦書に書いてあったことで採用を決めたとおっしゃっていました。その推薦書は紛れもなく、私が当時作成したものでした。社長さんが読まれた内容に、当時のことがありありと浮かんできて、懐かしさとともに、私が書いた一文で周りが動いていったことに、喜びと同時に責任の重さを感じました。帰りには「来てもらってよかった」と笑顔で言ってくれた姿に、安堵感と充実感がみなぎってきました。
私が担当している世界史という教科が好きになったのは、3人の人物の出会いがありました。一人目は、高校2年生のときに世界史を教えてくれた担任でもあった先生。二人目は、母校に教育実習に行ったときに指導してくれた世界史の若い熱血先生。三人目は、絵本作家の安野光雅さんです。安野光雅さんの『天動説の絵本』を見た時、中世ヨーロッパ世界に興味と強い憧れを覚えました。教会を中心とした封建社会、地球が円盤状であると信じられていた時代から、「地球は丸い」を確信するまでを、当時の人々の生活を優しい視点で描いた水彩の細密画です。
その絵本は、大切にしている本たちと一緒に、扉つきの書棚に今でも大切に保管しています。
日々の生活の中で、たくさんの人と出会い、その期間だけのお付き合いの人もいれば、それがきっかけで信頼できる関係につながっていくこともあります。人だけではなく、本や場所、シーン(場面)もありますね。
その出会いから学んだこと、自分を変えるきっかけになったこと、成長したことを、忘れずに、育てていこうと思います。
佐世保の駅前から少し北に向かうと、高台には大きく手を広げてすべてを受け入れてくれそうなイエス様の像が立っています。昭和6年にこの地に建立されたその由緒ある教会には、「あなたがしてほしいことをしてあげなさい」と町行く人たちにも見えるように大きく掲げてあります。私は毎日バスでその前を行き来するのですが、ふと見上げるとその両の手でこの佐世保を守ってくれているような気がしています。
ノートルダム清心女子大学の学長の渡辺さんも、この大きくて広い慈悲の心を持って、出会ってきた多くの人たちとの関係を育てていかれているのだろうと、思いました。
photo by mizutani