安藤先生の月刊ブログ 「きらめき」

何気ない毎日に"きらめき"を感じていますか?

心の支え

2011年06月01日 | 月刊ブログ
 JRで佐世保駅から福岡を目指して揺られていくと、佐賀平野の辺りには、たわわに実った麦の穂が黄金色のじゅうたんを敷き詰めたように広がっています。早く、早く!雨が降る前に収穫されなければなりません。

 今月の花は、ヤマブキです。春の終わりに、もうすぐ来る夏を予感させてくれる活動的な山吹色です。

 佐世保校では、毎日学生たちが、公務員試験のための勉強に取り組んでいます。今月はいよいよ国家公務員試験の願書の提出時期になります。目の色が変わってきています!
 また、長崎デュアルシステム専門学校では、入学後4月、5月で社会人としての基本マナーとパソコンの知識習得が終わり、今月から1年生も実習に入ります。秘書やサービス接遇を学んだとはいえ、現場に出るのはうれしいけれど、ちょっと緊張しているようです。
 私も、また、長崎校の授業が終わり、来年度の学生募集のためのガイダンスや学校訪問に専念しようと思います。
4月スタートの新しい生活に、少しずつ変化があらわれてきました。

 先日の休みの日に実家を訪ねると、いつものように両親が温かく迎えてくれましたが、2週間ぶりに父の顔を見て、明らかに病状が進行していることがわかりました。

 私は、第1子、長女として生まれ育ってきました。赤いビロードの表紙のアルバムをあけてみるとモノクロの少し黄ばんだ写真が、母の解説付きで貼ってあります。片方外れかけているものの中にも、当時若くておしゃれな母とダンディな父が、かわるがわるに私と並んで写っています。
背景の佐世保の町は、まだ道路も舗装されていなく、商店の看板の中には今も営業している老舗も写っています。記憶も定かでないほど遠い昔のことです。
 私の父は、同じ世代の人の多くがそうであるように、戦争がなければ別の道を歩んでいたでしょう。進学の道を諦めて仕事に就いてからも、いつも本を読んでいました。職場の愛好会でクラシックギターを覚え、書道を習い展覧会に出品したりしていました。
 私が小学生になる前から、仕事から早く帰ってきたときは、寝る前に本を読んでくれていました。『小公子』『小公女』『家なき子』『日本の神話』など記憶にあるものだけでもたくさんありました。
 高校3年生のとき、進路を考える時期に、私は父に「考古学をやってみたい」と話しました。父は、「そういう学術研究は一生かかって取り組まなければならない。本当にやりたいのなら、お父さんは生きている限り応援するよ。」と、進学を断念した自分の夢を託すように言ってくれました。私は本当にありがたくて、私を理解してくれている父に感謝の気持ちでいっぱいになりました。結果的には私は教員として今の仕事をしていますが、忙しく飛び回っている姿に、父が一番喜んでくれているのではないかと思います。
 
 父は昨年病気を患ってから、しばらくの入院の後、自宅で養生することになりました。大好きなお酒も少しだけ毎日飲むことができ、大事に育てた鉢植えや庭の手入れをしながら、家族と一緒に時間をすごしてきましたが、老齢と病魔には勝てなかったようです。
 私を支えてくれる人であり、ずっと理解してくれた人が、目の前でその炎を細く小さくしていくのを見るのは、胸を締め付けられるような思いがします。

 若い人たちには、これからそれぞれの道で、辛いこともきっとあるでしょう。そのとき自分を理解してくれる人がそばにいることは、大きな励みであり、支えとなり、幸福感をあたえてくれることでしょう。どんな困難も乗り越えていけそうですね。
 たった一人でもいいから、自分ことを受容し共感し理解してくれる人がそばにいれば、生きて行くうえでの最高の幸せだと思います。

 公務員を目指して勉強している佐世保校の学生、冠婚葬祭のセレモニースタッフを目標としている長崎校の学生、他にも自分で決めたことをがんばっているたくさんの人にもきっと理解してくれている人がいるはずです。そのことに感謝して、また、自分も周りにいる大切な人を理解するように努めたらいいですね。そうすることが、お互いの支えになり力になるのかもしれません。

 父のことを思いながら、これまで私のことをわかってくれて、何も言わずとも心の中で支えてくれたことが、今の私がここにある証なのだと、深い感謝の念を抱かずにいられません。

 photo by mizutani

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