安藤先生の月刊ブログ 「きらめき」

何気ない毎日に"きらめき"を感じていますか?

夏の思い出

2011年09月06日 | 月刊ブログ
 毎回楽しみにしている甲子園野球も、今年は結果さえおぼろげです。
猛暑日が続いていた1週間前から、打って変わって一気に涼しくなり、秋を連れてきました。

 季節を感じることなく時が流れて、次の季節になってしまうことがありますが、なんともったいないことか・・・。
どんなにあわただしくても、道端の草花や、赤とんぼの姿に季節を感じたいものです。

 私が子供のころの夏休みは、ラジオ体操から始まって、「10時までは絶対に外に出てはいけません!」という母親からの強いお達しで、素直にきちんと言いつけを守っていました。
 母親になって、子育てをするときは、仕事に行く前に、冷蔵庫の扉に「夏休みのお約束10か条」を貼って、羽目をはずしたい子供たちの暴走を食い止めたのを思い出します
 先日、実家に行くと、まるで秒読みをするかのようにあと数日の夏休みを、中学生の甥っこが、宿題に追われていました。
 こんな光景を見ると、遠い昔の自分のこと、子供たちのことを思い出します。そこには、いつも家族という単位があって、この長期の休みだけは、お父さん、お母さんが、学校の先生の代わりとなって勉強を教えたり、お手伝いや読書、普段は見過ごしているお行儀など、ついつい厳しくお小言を言ってしまいます。

 学校や会社という集団ではなく、家族の単位は、血が繋がっている心許せる集団です。時にはわがままを言って喧嘩になったりすることもありますが、自分が素でいられる場所です。それぞれが外でがんばってきた疲れを、この家族の中で癒し癒され、また、明日からの活力をもらって日々を暮らしているのです。
 そのメンバーは、一人ひとり役割があるのだと思います。父親、母親、兄姉、弟妹のポジションでうまくその家族が機能しています。
 うちでも私たち夫婦がいないときは、日頃どんなにマイペースな長男でも、妹たちのことを気がけて面倒を見てくれています。しかし、総指揮を執るのは長女のようで、私が病気のときや、出張で家を空けるときには、日常以上に家族が機能していることがあり、とてもうれしくてありがたい気持ちになります。また、指揮を執っているのが長女だということにも、子供一人ひとりの性格が現れて、おかしくなります。

 この数年は、毎年、夏の終わりに家族で小旅行をします。子供たちが中学高校と部活動をしていたときは、みんながそろってどこかに行くことはできなかったのですが、部活動を引退したころから、年に1度揃って旅行ができるようになりました。大人ばかりですが、道中や旅館でも、新鮮な感覚で楽しむことができ、また、思い出の1シーンになります。だんだん増えていくアルバムの写真も、これまでの家族の長い年月が遠く霞んでしまうくらい、満面の笑顔ばかりが並んでいます。
 いろんなことがあったけれど、今、ここに全員揃って同じ時間を共有し、その空間に幸せを感じていられることに、感謝せずにはいられません。

 私自身を振り返ると、私の両親兄弟との、そのような思い出はほとんどなく、妹がまだ生まれる前の小学校1,2年生のころ、4人家族で旅行した1回限りでした。
 長い年月を経て、私たち兄弟も自分の家族を構え、みなばらばらに生活をしていますが、年に何回か全員が揃うときには、最初はちょっと照れくさくて、しばらくすると当時のままの感情がよみがえってきます。お互いの家族のことを気遣って少しだけ遠慮もあるかもしれません。
 父が亡くなり、もう、全員で揃うことはありませんが、残された母親への気持ちが、なお一層、私たち家族の絆を深くしている気がします。この気持ちが、父が残してくれた遺産ではないかと思います。

 あっという間に過ぎ去ったこの夏は、自分自身の家族のことや、私たち兄弟、家族のことを改めて振り返る時間になりました。

 家族という集団は、みんなが所属している安心できる集団です。学校に行っていない人も、仕事をしていない人も、最低一つだけは所属している集団があるのです。
 この近くてなかなか気づかないけれど、自分をいつも信じていてくれて、いつでも帰れる場所、家族は、誰にとっても、心の拠り所なのだろうと思います。
 
 家族のために何か、自分にできることはないかな、と時には振り返って考えてみるのもいいですね。今日の晩御飯は、私が腕を振るおうかな、なんて・・・。

 Photo by mizutani


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