本来、僕のアジア旅のルートは「トルコから日本を目指して東へ進む」というものだったはずなのですが、いきなりこうして南下しているのは、イスタンブールで旅人からイスラエルの話を聞いて行きたくなったのと、ペトラ遺跡という僕が出発前から行ってみたかった遺跡があったからです。スケジュール的に押してきているので、さっさとペトラ観光を片付けて北上してトルコに戻ってイランへ入らないといけません。
イスラエルを出国し(無事ノースタンプで)アンマンに戻り、そこからさらに南にあるペトラを目指しました。ちなみに、アンマンで再会したサーメルさん(アンマンの宿の従業員。中東一親切といわれ、旅人の間で有名な人。前回泊まった時は諸事情により、元気が無く、親切でもなかった)は、前回会った時よりもずいぶんと元気になっていて、前回は見れなかった彼の笑顔を見ることができました。
出発前から是非見たかったはずのペトラ遺跡なのですが、1年4ヶ月旅している中で遺跡観光に対する興味やモチベーションが非常に消耗してきていることもあって、実はほとんど期待せずに、ただ”仕事をこなす”的な間隔で見に行きました。そもそも、なぜそんなにペトラを見に行きたいと思っていたのかは、今となってはよく思い出せません。
しかし、そこはさすがにペトラ。久しぶりにガツンと強い印象を与えてくれる素晴らしい遺跡でした。
ちなみに、僕が今まで見た遺跡系の番付は、
横綱:エジプトのピラミッド、ペルーのマチュピチュ
大関:フランスのモンサンミッシェル、エジプトのアブシンベル
関脇:中米マヤ系のティカルとパレンケ
という感じなのですが、ペトラはいきなり大関にランクインしそうな勢いです。
1kmある岩と岩の間の細い道を延々と歩いた末、その出口で見える遺跡。早朝に行ったので人が少なく、大変神秘的でした。
ペトラは、2000年前の商業都市だったそうなのですが、むしろ軍事要塞のような守りの堅さです。
その奥にある最大の見所の遺跡を見るために、山道を1時間かけて登ります。
そして、見える巨大な教会の遺跡。
写真では伝わらないですが、この遺跡は本当に大きいし、こんな険しい岩山の上で、こんなものを造るなんてなんて凄いんだろうと思ってしまいます。ちなみにペトラはこれらの他にも多数の遺跡があるのですが、全て岩を掘ったり削ったりして造られているらしいです。いや、凄かった。
ということで、その余りの広さのために二日券や三日券が売られているペトラを、早朝から頑張って一日で終わらせて、ここから一気に北上しました。しかし、この移動がきつかったです。”アジアの旅も意外ときつい”ということを認識させられる良い経験となりました。
ペトラを観光したその日の夜にアンマンに戻り、翌日シリアの首都ダマスカスへ行きました。一度通った道だし問題無いだろうと思ってたのが大間違いでした。
アンマンの街並。坂道が多く、道も入り組んでいてとても歩きにくい。
シリア側の国境で、乗客全員バスを降りてイミグレの入国審査を受けたのですが、乗客の中でツーリストは僕だけで、他の乗客たちがさっさと入国審査を終わらせているのにも関わらず、僕だけがビザを取得するために、銀行での支払いやら印紙を買ったりやら、アラビア語表示しかなくてどの建物がいったい何の建物か全然判らなかくて右往左往し、しかも係官もほぼ英語が話せない(しかも全員勤務態度に問題がある)などの障害のため、凄く時間がかかってしまいました。僕のパスポートに入国スタンプが押された頃には、他の乗客はイミグレの建物から全員いなくなっていました。急いでバスに戻ると、バスが止まっていた場所には別のバスが止まっていて、僕が乗っていたバスはいなくなっていました。この時点でかなりドキッとしたのですが、努めて冷静に違う場所に移動したかもしれないと周りを一通り探したのですが、やはり見つかりません。ドキドキしながら元の場所に戻り、その辺のおっちゃんに僕のバスチケットを見せて「僕のバスがいないんだけど、、、」と尋ねると、案の定「ああ、そのバスなら行っちゃったよ。」という返事が返ってきました。
僕は、不安の底に叩き込まれ、そして怒りに震えながら思いました。ついに、このシチュエーションが来たか、と。海外では、バス移動中の休憩後などで再出発する時に、乗客が全員揃っているかどうか確かめてから出発することなんてほとんどありません。だいたいは、運転手か車掌が車内を見回して席が大体埋まっていたら出発してしまいます。そんなちょっとした確認すらしないことも結構あります。そのせいで、今までもトイレから出たらバスが出発し始めていて、慌てて止めたこともあったりしていたので、いつかこうやって、バスに乗れずに一人ぽつんと残されてしまうことがあるのではないかと心配はしていたのです。そして、それがついに現実になってしまいました。。。
シリア人には英語が通じる人があまりいないと思われるため、日本語と英語でわめきちらし、その場にいた警察官などに助けを求めました。やっぱり英語が通じる人はほとんどいなくて、周りのシリア人達も困惑気味で、訳の分からない事をわめき散らす東洋人を持て余し気味でした。しかし、そこはさすがに親切なことで有名なシリア人。警察官の一人が僕を警察官の詰所のような所に連れて行ってくれて、そこでたまたま英語の話せる別のバス会社の人がたまたまいて、事情を理解してくれると、「それなら私のバスに乗せていってあげよう。君のバスは、警察の人がドライバーの携帯電話に電話して待ってもらえるように言っておいてくれるから。」と言って、僕をバスに連れて行ってくれました。その人は別のバス会社のバスの乗務員でした。僕がそのバスに乗り込むと、運転手も乗客もみんなで「そうか、それは大変だったな。そこに座りなさい。きっと大丈夫!リラックス、リラックス!」と興奮状態の僕をなだめてくれました。僕をバスに乗せてくれた人は、その後もいろいろと話しかけてくれて僕を落ち着かせ、「シリアに来たら、みんな笑顔でいなきゃいけないんだよ。」と言ってシリア人のホスピタリティを誇っていました。その上、「もし今夜の宿が見つからなかったら、うちに泊まってもいいよ。」と言って名刺までくれました。ああ、なんて良い人なんだろう。
そうして、祈るような気持ちで僕のバスに追いつけることを待つこと一時間、ようやく前のバスに追いつけました。よ、よかった。。。しかし、僕はとても腹が立っていたので、置いていったバスの運転手と車掌を思いっきり怒鳴りつけてやろうと思っていたのですが、僕を乗せてくれたバスの運転手と車掌が僕より前に、思いっきり笑顔で彼らと握手して挨拶を交わしていたので、すっかりそんな気が無くなってしまいました。まあ、シリアでは笑顔でいなきゃいけないので、仕方ないですね。そんなこんなでダマスカスの宿にチェックインできたのは夜の9時。クタクタになってその日は眠りました。
ダマスカスの定職屋。チキンがおいしい。
そして翌日。ダマスカスからは、トルコで乗り換えずに一気にイランの首都テヘランまで行けるというバスがあると聞いていたのですが、どうやらそのバスはイラン人で予約が一杯なので乗れないとの事です。列車もあるけどそっちは週1本なのでビザ期限の関係上乗れません。仕方なく宿の従業員が進めるルートで行くことにしました。それは、シリアとトルコの国境の町ガジアンテプまでのチケットをここで買い、ガジアンテプまで行けばテヘラン行きバスにすぐ乗り換え出来るので大丈夫!というルートです。ガジアンテプという聞いたことの無い町での乗り換えは不安だったけど、昨日の件で疲れていたので宿の人の言うとおりにすることにしました。
ダマスカスは一ヶ月前に比べて格段に寒くなっている上に、この日は冷たい雨がシトシト降っていました。僕は夜10時発のトルコ人経営の夜行バスに乗りました。バスの中は暖房がばっちり効いていてとても暖かく、僕はすぐに眠りに落ちました。しかし、朝の4時にシリア国境着。うう、ね、眠い。。。そしてシリア出国後のさらに1時間後にトルコ国境着。国境をまたぐ夜行移動をすると、ほぼ毎回このような眠りを寸断される国境越えになるけど、低血圧な僕には何度やっても辛いものがあります。
(ちなみに、このシリア側国境でウクライナ人など数人がイミグレで「お前らの国は今日は出国できん。明日まで待て。」と片言の英語で言われてバスを降ろされていました。何だったんだろう???日本人は大丈夫でした。)
トルコ入国後、またしばらくバスに乗ってウトウトしていると、突然僕と数人だけがバスを降ろされて、ミニバスに乗り換えさせられました。リクライニングがなく、非常に揺れる車内で、寝ていると何度も頭を窓で打って起こされながら、朝10時にようやくガジアンテプのバスターミナルに到着しました。聞いたことの無い町だったけど、バスターミナルは結構大きくて綺麗でした。「イランに行きたい」ということを周りの人にアピールすると、ある通行人が「心得た。」という感じでうなづき、僕をどこかに連れて行ってくれました。しかし、その人はバスターミナルを外に出てさらにずんずんと進み、僕を市内バスへ乗せて運転手に何事かを告げて去って行ってしまいました。運転手も「OK。イランバスな。」と言い、どこかへ走っていきます。そして、着いたのはこんなだだっ広い空き地でした。
イラン行きバスの乗り場。チケット売り場も待合室も無いただの空き地。
ここに一台だけ乗客と荷物が満載で発射寸前のバスが止まっており、運転手に「テヘランに行きたい」と言うと「これはタブリーズ行きだ。テヘラン行きはない。タブリーズに行きたいのなら100$払え。さあ、払え。」と片言の英語で迫ってきます。ひゃ、100$ってめちゃくちゃ高くないか?しかし、タブリーズっていったいどこやねん。。。地図で見るとテヘランよりもトルコよりの町でした。でも、100$は高すぎる気がするなあ、でも相場がわからないしなあと、まごまごしていると、そのバスは僕などお構い無しで、出発していってしまいました。だだっ広い泥の空き地に僕は一人取り残されてしまいました。
空き地の外の屋台でジーパンを売っていたトルコ人にテヘランに行きたいんだけど、と尋ねると「大丈夫!昼の2時に来るよ!」とめちゃくちゃ片言の英語で教えてくれました。現在の時刻は11時。朝から何も食べていないので腹ペコだったけど、昼飯を食ってゆっくりして戻ってきたらちょうど良い時間になりそうです。
ということで、昼飯を食べてチャイを飲んでゆっくりして1時半に戻ってきました。しかし、空き地には相変わらず誰もいません。ジーパンを売っていたトルコ人も、もういなくなっています。仕方ないので、しばらく待ってみることに。案の定、2時になっても誰も来ませんでした。僕には待つことしか出来ないので、もう少し待ってみました。やっぱり3時になっても誰も来ませんでした。いい加減寒くなってきたし、来るか来ないかわからないバスを待つのも限界です。その辺のトルコ人にテヘラン行きのバスについて尋ねると「5時に来るから、ここで待ってろ。」と言われました。そうか。2時じゃなくて5時だったのか。ふうん。近くのネットカフェで暖を取りつつ時間をつぶし、4時半に戻ってくると、やっぱりバスは無く、バスを待ってそうな人もいませんでした。さすがに、この頃にはあまり希望を持っていなかったけど。それでも一応5時まで待ってみようと思い、寒さに耐えながら待っていると、なんと見るからに長距離バスっぽい大型バスがやってきました!しかも、そのバスにはいかにもイラン人っぽい黒装束で頭も顔も隠している女性がたくさん乗っていました。これは、イラン行きに違いないと思って運転手に尋ねると、「ああ、これは確かにテヘラン行きだ。でも、もうフルだから乗れないよ。バスターミナル(僕が朝に着いたところ)に行きなさい。」というお返事が返ってきました。「そんな!僕は朝の11時からずっとここで待っているのです!お願いですから乗せて下さい!」と食い下がっても、「駄目なものは駄目。さあ、出発するぞ~!」プップーーーー!というクラクションと共にそのバスも去っていってしまいました。もうすっかり暗くなった空き地で再度一人取り残されてしまいました。朝の11時からずっとここでバスに乗れると信じていた俺はなんだったんだ。クソーッ!!と叫びたい気持ちをぐっとこらえて、市内バスを捕まえて元いたバスターミナルに戻りました。
そこのバスターミナルはトルコ国内へのバスしか扱っていなかったので、イラン国境の町ドゥバヤジット行きの夜行バスに乗ることになりました。そこで国境行きのミニバスに乗り換え、国境を徒歩で越えてイランに入り、イラン側の国境近くの町のマクーを目指すと言う一般的な国境越えのルートです。イラン・トルコを陸路で越える旅人の間では、野犬が凶暴なことで有名な町ドゥバヤジット。大丈夫かな。。。
相変わらず暖房がばっちり効いて快適なトルコバスでぐっすり寝て起きた時、外の景色は雪景色でした。そんな雪の積もる名も無き小さな町で降ろされ、今度はアフリカのように定員以上詰め込んだミニバスに詰め込まれて2時間ほど走ってドゥバヤジットに着きました。このバスの中では前に座っていた子供3人が途中から全員ゲロゲロとやり始めて、かなり厳しい環境でした。しかもその内の一人が一回思いっきり隣の席のおじさんにゲロを吐きかけたので車内は騒然となりました。僕は何とか被害を免れましたが、おじさんの黒い上品なコートは広範囲にわたって白色になっていました。。。
すっかり凍結したトルコ東部の道
ドゥバヤジットでは運良く野犬には一匹もあわずにすみ、無事イランとの国境に着きました。イラン側の国境では今までで最も親切でフレンドリーでナイスなイミグレのオフィサーにスタンプを押してもらい、無事イランに入国できました。
(この時、イミグレのテレビでは、トヨタカップでの浦和レッズとイランのチームの試合が偶然放映されていました。その時は何の試合かわからなかったのですが。)
とにかくイランに入った途端に、気温も人の態度も暖かくなったような気がしたのでした。
トルコとの国境に近いイランの町マクー。町は周りを険しい崖に囲まれています。
ここで、テヘラン行きの夜行バスに乗りました。3日連続の夜行移動。ガジアンテプからの交通費は55$くらいで済みました。あそこで100$払わないでよかった。。。
ということで、無事イランに入国することができました。人によっては世界一旅人に親切な国という評判もあるイラン。イランでどんな親切(または不親切)にあったのかは、次回のブログにて。
そういえば、去年に続き今年もクリスマスの感じられない地域ですね。。。