世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

感動と血尿のエベレスト・トレッキング11日間<後編>

2008年03月24日 20時56分50秒 | アジア
エベレスト・トレッキング<前編>からの続きです。最初に<前編>を読んでいただけると嬉しいです。



◆3月10日・トレッキング8日目・ゴラクシェプ(5150m)→カラパタール(5550m)、エベレストBC(5400m)、ロブチェ(4900m)

朝5時に出発。真っ暗です。月が出ていないので、星空は綺麗なのですが、足元がまったく見えません。ヘッドライトだけが頼りです。カラパタールへは幸い、先行しているトレッカーが3人ほどいたので、ルートが何とかわかりました。もし、僕が一番乗りだったら、どこからどう登り始めたらいいのか全く判らなかったと思います。

6時ごろには空は白んできているので、ヘッドライトはいらなくなりました。奥の山はプモリです。

僕の後ろからは誰も上ってきていないので、たった4人の日の出トレッキングです。

6時45分頃、ついにカラパタールに到着しました。ゴラクシェプからだとヌプツェの後ろに隠れていたエベレストは、カラパタールからだと真正面に見ることができます。

どうやら、太陽はエベレストの真後ろから登ってきているみたいです。

日の出直前。左がエベレスト、右がヌプツェ。


日の出の瞬間


カラパタールには結局1時間くらいいました。多分、物凄く寒かったと思うのですが、景色の余りの神々しさに寒さはほとんど感じませんでした。

カラパタールにて。寒さも疲れも忘れています。


宿に戻り、遅めの朝食を摂り、エベレストBCへ向かいました。ヒマラヤの山々に囲まれた素晴らしい景色の中を2時間ほど歩き、BCに到着しました。

BCへ向かう道


ベースキャンプという名前から、小屋やテントなどがある平らな場所を想像していたのですが、実際のBCはびっくりするくらい全く違うモノでした。そこは、氷河の上に、氷河が運んできた岩や土砂が堆積して、人が歩けるようになったような場所で、起伏の激しい岩や土砂の間から、氷河の一部が見え隠れしている、今まで見たことの無いような変わった景色でした。そこからはエベレストは見えないのですが、ヌプツェやプモリを真下から見上げることが出来ます。

エベレストBC。氷河とその上に積もった土砂。






油断して歩いていると左足がずぼっとクレパスに落っこちそうになってびびりました。


真下から見上げたヌプツェ。


エベレスト登山隊は、通常、下の写真の左下から右上にかけて氷河を登り始め、エベレストを目指すのだそうです。いったいどうやって、あの険しくて勾配のある氷河を登るのでしょうか。想像を絶する世界ですね。


BCから宿への帰り道、またまた間違えた道に入ってしまい、20分ほど無駄に歩きましたが、さすがに4度目ともなると、道に間違えたことをすぐに察知できるようになってきた気がします。そして、無事にゴラクシェプへ戻り、昼食を食べて、ロブチェには午後5時くらいに辿り着けました。


ところで、標高5000mを超えると、とても天気が良いです。なぜなら、この季節は、雲が標高5000mまでしか上がってこないからです。
下の写真は、ちょうど雲が5000mのところまで来て止まっているところです。下山時、この雲の中にもろに入っていくことになり、50m先も見えなくなりました。


今日は計算すると合計10時間半も歩いたことになります。ひょっとしたら、今日が人生で一番たくさん歩いた日かもしれませんね。



◆3月11日・トレッキング9日目・ロブチェ(4950m)→ナムチェ(3400m)

この日からは、ただただ下山していくだけです。ガイドブックによると、一般的には、ロブチェの次はタンボチェ(3850m)くらいまでしか降りないらしいのですが、カラパタールとBCにすでに行ってしまった今では、一日でも早く下山してカトマンドゥへ戻りたい気持ちで一杯なので、一気に一般の人の倍の距離を降りてナムチェまで行きました。8時に出発して、17時30分にナムチェに着きました。途中1時間半の休憩をしたので、8時間も歩いたことになります。昨日と違うのは、昨日は重い荷物を宿に置いて歩いていたのが、この日は10kgの荷物をずっと背負って歩いたことです。昨日よりも遥かに疲れました。ナムチェで行きしなに預けた不要な荷物(本や洗剤など)を受け取ったので、明日からはさらに荷物が重くなります。気が重いけど、明日もう一日頑張ればスタート地点のルクラです。もう、あと、一踏ん張り!

下校中のシェルパ子供。標高3500mにて。君達はすごいよ!



◆3月12日・トレッキング10日目・ナムチェ(3400m)→ルクラ(2800m)

一刻も早くルクラに辿り着きたい一心で、駆けるように山を降りていきました。荷物は肩と腰にぐいぐいと食い込んでくるけど、もうあと少しの辛抱です。ルクラまで着けば、飛行機に乗ってカトマンドゥに行けます。カトマンドゥに着いたら、11日ぶりのホットシャワー、その上銭湯まであり、待ちわびた美味しい日本食もあります。まさに天国!頑張れ!頑張れ!と自分を励ましながら、孤独な道のりを、汗を掻きながら、急いで降りて行きます。その時、突然、左足のつま先に鋭い痛みを感じました。止まって、靴を脱いで見てみると、靴下のその部分が濡れています。どうやら、水ぶくれになっていたところが、破れてしまったみたいです。下りの道を半ば駆け足で降りていたので、負担がかかりすぎたみたいです。まあ、仕方ないので、これからはペースを落としてゆっくりと歩こうかと思いながら、野小便をしました。すると尿が赤いのです。肉汁のような尿がじょぼじょぼと出ています。草や石を赤黒く染めています。うわあ!血尿!血尿が出た!僕は、これを見て、血の気がさーっと引きました。頑張るぞ!と思って上がっていたテンションも急降下です。どん引きです。さっきまで汗を掻くほど暑かったのに、急に体温が下がって寒気を感じ始めています。



小便を終えて、座り込み、しばらくどうしたものか、と考えました。なんだか膀胱の辺りに変な違和感も感じ始めました。何もかも投げ出してしまいたい気分に襲われました。また、ヘリコプターか何かでカトマンドゥまで運んで欲しいとも思いました。でも、そんなことは不可能だし、とにもかくにも、自分の足で歩いてルクラまでは辿り着かないと、どうしようもないのです。仕方が無いので、ふらふらしながらも、とりあえず歩き始めることにしました。バックパックの腰のベルトを締めると膀胱の辺りの違和感が強まるので、ベルトを外して歩くことにしました。バッグの重量は全て肩にかかってしまうのですが、仕方がありません。水ぶくれがつぶれて痛む左足を引きずりながらゆっくりと歩きました。30分ほどしてすぐに次の尿意がやってきました。なんたる頻尿ぶり。しかし、今度の尿は、前回よりも赤色が薄れていました。赤というよりはオレンジ色です。このことで、心が随分と楽になりました。血尿は、そんなに酷くない!歩くペースも少しずつ元に戻り始め、左足の痛みもあまり感じなくなってきました。その後も、頻尿は続き、40分に一回くらい野小便をしたのですが、だんだん赤色は無くなっていき、ついには通常の尿の色に戻りました。どうやら、腰のベルトを締めすぎていて膀胱がダメージを受けたことが原因らしかったみたいですね。

そんなこんなで、13時半ころ、無事にルクラに辿り着けました。尿意を感じる感覚も徐々に長くなっていき、夜も途中で起きることなく、安眠できました。いや、血尿が大したこと無くて本当に良かったです。

ルクラの村



◆3月12日・トレッキング11日目・ルクラ→カトマンドゥ

空港に行くと、瞑想仲間のQちゃんと偶然会えました。彼は僕よりも4日早くカトマンドゥを出て4日長くトレッキングしていたそうです。その間、ゴーキョなど僕の行っていないところも行っています。しかも、途中で遭難して一日テントで震えながら寝たらしく、そんな話をしながら大笑いしました。天気は快晴で、飛行機も無事飛んでカトマンドゥへは昼前に辿り着きました。11日間の間にカトマンドゥはさらに暖かく初夏のような暑さで、半袖でも十分です。人が多く、車も多く、排気ガスや埃で汚い空気なのですが、やっと自分達の世界に戻ってきたような気がして、僕もQちゃんも嬉しくて笑いが止まりませんでした。

日本食レストランでカツ丼を食べた時、ようやく、ああ、トレッキングがついに終わったんだなあ、と心から思えました。

「うまい。幸せ。」を連呼しながら、カツ丼を掻きこみました。

<おわり>


現在、3度目のインド入国を果たし、バラナシの久美子ハウスでのんびりしています。日本の7月くらいの暑さです。かなり暑いです。そして蚊が滅茶苦茶多いです。でも、やっぱりバラナシはいいですね。好きです。ホーリー祭はここで迎えました。想像以上に面白かったです。この後、涼しいであろうリシュケシュへ行って、しばらくヨガをする予定です。


感動と血尿のエベレスト・トレッキング11日間<前編>

2008年03月24日 20時17分12秒 | アジア

3月3日から10泊11日で行ったエベレスト・トレッキングについてです。事前に経験者からガイドもポーターもいらないと聞いていたので、一人で行ってきました。瞑想の直後に一人で山に入ってトレッキングをするというのは、なんだか瞑想修行の延長のような感じがして、なかなか良かったです。もちろん、景色も想像を絶する凄さでした。

ちなみに、パソコンは無事直りました。ネパール人のこの道11年のベテランPC修理屋さんに時間外まで頑張ってもらい、直してもらいました。本当に良かったです。ネパール最高!

<エベレスト・トレッキング日記>

◆3月3日・トレッキング1日目・カトマンドゥ1300m→パクディン2600m

カトマンドゥからルクラというトレッキング出発地点の町までは飛行機を使います。朝6時半発のフライトに間に合うために、早朝4時半に起きて、真っ暗の中、カトマンドゥ市内を1時間かけて空港まで歩きました。余計な荷物は宿に預けたのですが、寝袋、防寒具、着替え、本などで合計10kg以上の荷物になってしまいました。宿での暇つぶしのための本をちょっと持って来すぎた、と早くも後悔してしまいます。

20人乗りくらいの小さなセスナでのフライトは1時間半遅れて8時に飛び、わずか30分でルクラ(標高2800m)に到着しました。よし、いくぞ!と思い、荷物を取ろうとしたら、なんと、荷物が届いていません。30分くらい待っても荷物は現れません。他のトレッカー達はみんな行ってしまいました。どうやら、僕とその他数人の荷物は飛行機に積みきれなかったみたいで、1時間半後の次のフライトで到着するから待て、ということらしいです。瞑想修行によって、怒ることが少なくなっていた僕も、この時はかなりイライラしてしまいました。きーーーっ!カトマンドゥよりも1500mも標高が高くなり気温が下がっている上に小雨がぱらついてかなりの寒さになっているにもかかわらず、防寒具は未だカトマンドゥにある荷物の中に入っているので、体感の寒さは耐え難いレベルになっています。体操をしたりして無理やり体を温めました。結局荷物は3時間後の11時30分に到着しました。飛行機が遅れずに飛んで、荷物もきちんと着いていれば、7時半にトレッキングをスタートできていたはずなのに、その4時間半後の12時にトレッキングスタートとは・・・。

今まで見た中で最も滑走路の短いルクラの空港


気を取り直してトレッキングをスタートしました。今日通った道は、日本でもどこでもあるような普通の山道。途中いくつものシェルパの村を通ります。シェルパというのは、ヒマラヤの高地に住む民族の名前です。老若男女問わず超人的な体力で、アップダウンが激しく足元が不安定な山道を重い荷物を背負っても素早く移動して行きます。顔は一般的ネパール人よりもさらに日本人に近く、文化はチベットに近いです。

仏教の経文が大きく書かれた大きな石、マニ石。こういうのが、トレイル上にはゴロゴロありました。エベレスト周辺は仏教エリアなのです。


15時にパクディンという村に着いた時には、ヘトヘトになっていました。瞑想修行で12日間も座りっぱなしで筋肉が衰えていたようです。そして、荷物がとても重い。上り坂ではぐいぐい肩と腰に荷物がくいこんできます。標高が上がって、行程がハードになる前に筋力を取り戻さないと、後がきつそうです。それと、一本道なので道には迷いようがないと聞いていたけど、早速一回迷ってしまいました。明日からが思いやられますね。泊まったロッジには客が僕しかいません。従業員とその家族は合計で10人くらいいるのに。なんかちょっと肩身が狭いです。

パクディン近くの村


ご飯はやっぱりダルバート(ネパール風カレーライス)。

山登りの後のご飯は美味しいですねえ。



◆3月4日・トレッキング2日目・パクディン→ナムチェ3450m

今日も相変わらず荷物が重い。そして、足が疲れる。途中までは良い調子だったのですが、ナムチェの直前に高度差600mの登りがあって、そこで一気に体力が奪われました僕の荷物の数倍の重さの荷物を背負うシェルパにはもちろん、白人の年配のトレッカーにも、がんがん抜かされてしまいます。

長い吊橋。今日は何度も吊橋を渡りました。

そして、今日も分かれ道で間違った方に行ってしまい30分余分に歩いてしまいました。

超人的なシェルパ。


この日も宿に着いた時はヘロヘロで、チェックイン後、気絶するように寝てしまっていました。



◆3月5日・トレッキング3日目・ナムチェで高度順応兼買い物

高度順応と買い物を兼ねて、ナムチェで2泊しました。手袋、水筒、サングラスなどの今後必要となるものを買い、エベレストが見えるというシャンボチェの丘(標高3850m)へ登りました。片道1時間半くらいです。

朝目が覚めると部屋の窓から綺麗な山が見えてテンション上がります。


ローマ劇場風な作りのナムチェの村。


早朝あんなに天気が良かったのにシャンボチェの丘に着く頃には雲が出てしまいました。それでも、エベレストはほんの先っぽだけ見ることができました。ほんの少しだけだったけれどエベレストを初めてこの目で見ることができて、俄然明日からのやる気が高まりました。

写真では雲との見分けがつきませんが、一応、エベレストの先っぽ(写真中央)。




◆3月6日・トレッキング4日目・ナムチェ→タンボチェ(3870m)

朝は天気が良くて、昼前から曇り始めて、夕方には雨や雪が降る、というのが前3日間のパターンだったので、この日からは早起きして、できるだけ天気が良い時間に歩くことにしました。

この日のトレッキングルートの前半は、エベレストの頭の部分とアマダブラムというヒマラヤで最も美しいとされる山がずっと見えているという、素晴らしいものでした。といっても、エベレストはまだ頭の部分が小さく見えるだけなのですが。しかし、美しいアマダブラムは、間近から僕らを見下ろすかのように、聳え立っていました。


ナムチェの宿に読み終わった本や、なぜか持ってきてしまった洗剤などの不用品を置いてきたので、荷物が1~2kg軽くなり、昨日までよりも随分と楽になった気がします。3日間歩いて筋力も戻ってきたような気がするし、高度順応もできてきている気もします。快調に歩いて、地球の歩き方に書いてある所要時間よりも1時間短く目的地のタンボチェに着けました。ナムチェまでは歩き方の所要時間よりも長くかかっていたので、随分進歩したものです。

タンボチェでは、このトレッキングで初めて日本人と会えました。久しぶりに日本語での会話ができて、とても幸せでした。ところで、なぜなのかわからないけど、このトレッキング中に出会った欧米のトレッカー達は、なぜかフレンドリーではない人が多かったです。

夜、部屋で瞑想をしている時(瞑想修行後も時々しているのです)、瞑想修行の9日目以来、初めてあの体が溶ける感覚が来ました。一人で黙々と山を歩いていることで、精神が浄化されていっているからなのでしょうか。しかし、体が溶ける感覚が始まってすぐに部屋のドアが開く音がしたので、びっくりして目を開けると、なんと野良犬がロッジの中にまで入ってきて、僕の部屋に暖を求めて忍び込んで来たのでした。ベッドの下に潜り込んで、気持ちよさそうに寝始めてしまいました。そのまま寝かしてあげてもいいような気もしたのですが、僕が寝ている間になんかあっても困るので、宿の人におっぱらってもらいました。ごめんよ。


◆3月7日・トレッキング5日目・タンボチェ→ディンボチェ(4400m)

昨日にも増して、今日は快調でした。疲労を感じることなく目的地のディンボチェに辿り着けました。

タンボチェの朝


ヤク(ヒマラヤの高地に住む牛)達。

トレッキングの最初から最後まで彼らとは何度もすれ違います。そして何度も彼らのウンコを踏みそうになります。もちろんその内の何度かは踏んでしまいます。

途中の食堂にて、食事を作ってくれているシェルパの女の子。


さすがに標高4400mを過ぎると、部屋の中にいてもかなり寒いです。本を読もうと思っても手がかじかんでページをめくれません。寒すぎて瞑想もできません。暇な時間は寝袋に入ってウォークマンで音楽を聴くくらいしかできなくなってしまいました。夜ご飯の時間だけは、食堂でストーブを炊いてくれるので暖かいのですが、前述の通り、なぜか欧米人トレッカーはあまりフレンドリーじゃないので、一緒にいても楽しくなく、食べ終わったらすぐに一人部屋に戻り寝袋にくるまって寝るのでした。


◆3月8日・トレッキング6日目・ディンボチェ⇔ナガゾン(5100m)

高度順応のためにディンボチェで2泊します。近くのナガゾンの丘(標高5100m)に登りました。

ディンボチェの村は谷間にあります。秘境という感じがして好きです。


鬼ヶ島のような山


ナガゾン頂上(標高5100m)からの眺め。見えているのはマカルーという8500m級の山らしいです。


さすがに5000mを超えると10mも上り坂を登ると激しく息が切れます。
朝はあんなに天気が良かったのに、午後からは夜までずっと天気が悪く村は霧に包まれ雨が降ったり雪が降ったりでした。丘から降りた後は、ずっと部屋の中で寝袋にくるまり震えていました。


◆3月9日・トレッキング7日目・ディンボチェ→ゴラクシェプ(5150m)

地球の歩き方によると、7日目はロブチェという標高4900mの村に一泊するらしいのですが(実際ほとんどのトレッカーはロブチェで一泊している。)、ディンボチェからロブチェまでは、歩き方によると4時間くらいで着くらしいので、午後がまるっきり無駄になってしまいます。標高4500mを超えてからは、ロッジの中にいても寒くて何もできないので、それならば荷物を背負って歩いている方がまだマシだと思ったので、一気にゴラクシェプまで歩くことにしました。ゴラクシェプはこのトレックの最後の村で、最終目的地のカラパタール(展望ポイント)とエベレスト・ベースキャンプ(以下BC)への拠点となる場所です。また、金銭的な問題も僕を先へ先へと焦らせる原因になっています。当初、12日間の予定でトレッキングに来て、十分な予算を持ってきていると思っていたのですが、何を買うにも山の中はカトマンドゥの数倍の価格なので予想外に毎日の出費が大きく、12日間もいるとギリギリのお金しか残らなさそうなのです。もし、ルクラからカトマンドゥへの飛行機が悪天候で飛ばなかったら(よくあるらしい)、一文無しになって野宿しなければならなくなってしまいます。(というのは大げさで、ドル現金を両替できます。でもレートがとても悪いのです。)

ということで、この日は一般トレッカーの倍の距離を歩くことになりました。朝7時半にまだ誰もいない山道を歩き始めました。シェルパとさえもほとんど出会いません。素晴らしい景色をたった一人で堪能するのは、とても気持ちが良いのですが、不安感や寂しさもとても感じてしまいます。道はこれであっているのかな、とか常に考えてしまい(なんせよく間違うので)、誰かとすれ違うことを常に願っている状況です。

ストゥーパ(仏塔)とアマダブラムと日の出


孤独で不安だけど良い眺め


氷河の上を歩いて渡ります。

ちなみに、前回のブログのトレッキング写真はこの日の写真です。

ロブチェまでは道に迷いつつも予定通り11時30分に到着し、昼ごはんを食べて、すぐにゴラクシェプに向けて出発しました。そして、標高5000mを超えたと思われる地点から、ついに頭痛が始まってしまいました。少しでも頭を動かすと、頭の中でパキパキパキパキと音が鳴ります。ここまで、多少息切れがするぐらいで目立った高山病の症状は無かったのですが、やはり二日分の移動という無理がたたったのか、ついに高山病が襲ってきたみたいです。でも、高山病の扱いはキリマンジャロで経験済みなので、水をたくさん飲み、休憩をたくさんとり、できるだけゆっくり動くことで、対処できました。ゆっくりゆっくりとなめくじのように先へ進み、険しい岩山の道を這い進み、午後4時半、疲れ果てた頃、ついに最後の村ゴラクシェプに辿り着きました。

着いた瞬間、喜びの余り自分撮りをしてしまいました。

ピース。

夕焼けに染まるヌプツェ(エベレスト西岳)。ここまで来ると何もかもが幻想的に見え、何をどの角度で写真に撮っても美しくなってしまいます。



宿の人に明日の行動予定を相談すると、次の日、カラパタール(展望ポイント)へ昇ってエベレストと朝日を見てから宿で朝食を摂って、エベレストBCへ往復し宿へ再度戻り昼食を摂り、さらにロブチェまで戻ることは可能だと聞き、俄然テンションが上がりました。ガイドブックにはカラパタールとエベレストBCを一日で行くことは難しいと書いてあり、多くのトレッカー達からも日程的にエベレストBCを諦めてカラパタールだけ見てロブチェに降りる予定だと聞いていたのです。今日、頑張ってゴラクシェプまで登ったおかげで、行けるかどうか不安だったエベレストBCまで行けそうだとわかったのです。良かった!

明日は日の出前の5時に朝食を食べずに宿を出発して往復3時間のカラパタールまで登るので、明日のための元気をつけるために夕食を多めに食べたら、頭痛が酷くなってしまいました。吐き気もします。下痢も来ました。その上、マイナス10度の極寒のため、なかなか寝付けませんでした。しかし、ここまで来たら、後はもう気合です。たった5日間で一気に5880mまで登って降りるキリマンジャロ登山に比べたら、はっきりいって、8日間もかけて5550m(カラパタール)までしか登らないエベレスト・トレッキングは楽すぎるほど楽な日程だし、明日はもうとにかくやるしかない!しかし、寒い。


<後編に続く>