ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

115分の豊橋(2) おでんしゃ

2020-03-30 19:52:48 | PiTaPaで歩く

 階段を上がって改札口。30年ほど前は改札口も地上だったように記憶します。豊橋鉄道渥美線というのが走っているらしい。北側はベネストリアンデッキ(この名前は、学生時代に仙台駅で初めて聞いた)になっていて、右手方面に路面電車(豊橋鉄道市内線と呼ぶらしい)が走っています。

 デッキの下はバスターミナルとタクシー乗り場と、路面電車の駅です。2月の終わりというのに、見下ろした道路の向こうに桜が2本咲いているので行ってみました。みんなスマホで桜を撮っています。ケータイ(スマホではなく)で桜を撮っているマダムに、「これはなんという桜か?」と聞いてみました。私は河津桜ではないかと思っていたのですが、彼女も品種まではわからないと言います。

 

 どこへ行くというあてもなく、いつものように下調べもまったくないままやってきたので、さぁどうしようかと駅前の地図を見て、吉田城へ行ってみようと考えました。路面電車に沿って歩いて行けば、たどり着けるはず。広小路辺りを歩いてみると、結構にぎやかな町らしいと想像できます。それに、碁盤の目の道路は広くとってあります。結構大きな町に思えました。愛知県のことはほとんど知らないまま、今日まで来ましたが、岡崎市だけは少しウロウロしたことがあります。豊橋駅周辺と東岡崎駅周辺の印象を比べると豊橋のほうが大きな町のように感じましたが、市の人口では岡崎市のほうが多いようです。「ブラタモリ」をまねて、ここは空襲を受けたのち再開発されたのではないかと考えてみました。半分だけ当たりだったようです。昭和20年6月に空襲(豊橋空襲)に遭っていましたが、その半年前、昭和19年12月に東南海地震による火災にも見舞われ、市街地の7割が焼失したということです。

 路面電車の通りに出ると、やってきたのは「おでんしゃ」。貸切でおでんを食べさせる電車らしい。帰って豊橋鉄道のサイトを開いてみたら、この日が今シーズン最後の「おでんしゃ」が運行される日だったようです。

 「札木」の電停を越えた交差点には、旧東海道がここを通っていたと案内が出ています。私の友達のO君は、2年ほどかけて東海道を歩いたのですが、ここを彼も歩いたわけですね。歩道橋のある西八町の交差点で線路は右に曲がります。曲がった先にあったのが豊橋市公会堂の立派な建物。昭和6年にできたそうです。ドームの横の大鷲が立派です。アメリカ合衆国をイメージしますが、ドームのデザインはアラビア風。このマッチングも不思議。公会堂の後ろには市役所。その右隣が吉田城です。

 城の内部にはいろんな展示がしてありますが、私のようなものは読むだけでほとんど知識がつきません。しかし、今回これでは覚えておこうと思ったのは、この吉田城には岐阜城にいた池田輝政が城主となり、その後姫路城に移ったということ。歴史にはまったく暗い私ですが、岐阜城も姫路城も行ったことがあります。池田輝政さんが少しだけ私に近づいてくれた気持ちです。それに豊橋と姫路って、私鉄電車のみで行き来できますね(どちらも新幹線の停車駅という言い方もできますが)。

 もうひとつわかったことは、吉田城から北側には、大きく川が蛇行しているのが見えます。アルファベットのUの字の下部が吉田城にタッチしているように見えるのです。地図で確認すると、この豊川は、豊橋の町中で蛇行しています。新幹線で豊橋を通過するころ、豊川放水路という案内板が見えますが、放水路をわざわざ作らねばならないほど、しばしば氾濫したということでしょう。吉田城はその蛇行する豊川に接している、水運に便利なところに構えたということですね。

 

(つづく)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 115分の豊橋(1) 快速特急 | トップ | 115分の豊橋(3) ヤマサちく... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

PiTaPaで歩く」カテゴリの最新記事