7月のことです。比叡山に連れていかれました。どこへ行くのか行き先も教えられないまま助手席に乗せられて…奇麗に言えばミステリーツアー、有り体にいえば拉致です。我が家ではときどきこんなことが起こります。
ずっと途切れずに暑い夏が続いている今年ですが、その始まりの頃、まだ身体が暑さに慣れていない頃のことです。ご主人様としては涼しいところへ行きたかったのでしょう。山科から西大津バイパスを走り、田の谷峠へ上りました。そこから比叡山ドライブウェイ。比叡山方面は雲がかかっています。雨が降っているかもしれない。暑さしのぎといっても、今日はややどんよりして気温も低めです。
比叡山に前回やってきたのはずっと昔。ガーデンミュージアム比叡に子どもたちをつれてやってきたのが、えーとデータを探すと、ありました2004年7月。20年前。では延暦寺はというと、記憶に間違いがなければ小学校6年生の修学旅行以来。観光バスに乗ってドライブウェイを運ばれてきたわけですね。それが1972年のことですから、52年前。その時のことはほとんど記憶にありません。どんなお寺を見たのか、どんな景色だったのか。ひとつ覚えているのは、比叡山でお弁当昼ご飯だったこと。もちろん母が作ってくれたお弁当。駐車場脇の公園のようなところ、屋外で食べたと思うのですが、その時に見たものがコンクリート製の手摺。今でも時折見ることがありますが、正体はコンクリートなのに、木製を装ってシイタケの原木くらいの丸太風に模様と色塗りがしてある。これが柵になっている。よくできた偽物だと小学生は感心した。それくらいしか比叡山には記憶がありません。
駐車場でクルマを降りると気温が23度ほど。薄い霧に包まれていました。まったく記憶がないのですが、52年前、小学生はこの辺りをウロウロしたに違いない。根本中堂に行ってみました。工事中。国宝根本中堂大修理は平成28年4月から令和9年12月の予定。しかしよく考えられていて、工事中であるが故に見られるものも作ってあります。こういう演出って、姫路城の平成の大修理の時に見ました。今風ですね。覆いの建物にある説明書きによれば、こう大修理の発注者は滋賀県知事。延暦寺のものあっても、国宝である以上、国のものという考えなんでしょうかね。
私の意識の中では伝教大師最澄は加藤剛。大岡越前はとっても好きだったけれど、伝教大師の加藤さんにあまりいいイメージを持てないのはなぜだろう?加藤剛が最澄役をしたのは、1984年公開の映画「空海」。弘法大師空海役は北大路欣也でした。そのころ空海の入定1150年で、空海贔屓の風潮だったのかもしれません。40年たっても私の意識は変わっていないということですね。
延暦寺は、東塔地域、西塔地域、横川地域の三つに分かれているそうです。ふと気になったのが「横川の恵心僧都」という言葉。で、ご主人様にお願いして、横川の駐車場まで運んでもらいました。小雨の中、横川中堂までいってみました。ほとんど人はいませんでした。静かな静かな横川地区。紅葉の時期にはさぞ見ごたえがあるのだろうと思いながら、クルマに戻ったのでした。
比叡山を南から北へ、つまり比叡山ドライブウェイから奥比叡ドライブウェイを走って、仰木の料金所まで下ってきたら、なかなかいい値段。そんなにしょっちゅうは来れませんね。紅葉を見るにも覚悟が必要と思いました。
ん?、この料金所の風景見たことがあるような…スクーターで、以前この料金所前までやってきていました。休日は二輪車が走行できないと知って引き返し、途中越えで京都市内に入りました(今は条件が変わっているようです。125cc未満のバイクは通行禁止、平日休日の差はないようです)。そう、そのお陰で幻のバス路線を見つけたのでした。
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