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賢島駅着。駅の構造からして生活のための駅でないことがうかがえます。長大な近鉄特急がひっきりなしに出入りするそのかげで、一番北側の5番線は各駅停車用ホーム。2両分だけの短いホームです。
日曜日とはいえまだ9時半。コロナの影響もあって人気はほとんどありません。ちょうど1グループがホテルから送り出されて駅に到着。電車ではなく、船でパルケエスパーニャに向かうようです。寅次郎もやってきた賢島港へは駅からすぐ。
女将の河内桃子がいる松井真珠店も「男はつらいよ」の頃とほとんど同じように見えます。今でもこの真珠店には、この映画のロケが行われたというポスターが張ってあります。随分色あせていますが、ポスターの情報によればロケが行われたのが、昭和62年11月28日~12月2日。その映画の公開が12月26日だそうですから、公開日とにらめっこをしながらの忙しないロケですね。私は真珠には用事も縁もないので、真珠店には入りませんでした。駅や港のあたりには生活の匂いがしないというか、人家が見当たりません。真珠を商う店、水産物を扱う店、宿、土産物屋のほかには飲食店くらい。駅周辺の大きな施設は、志摩観光ホテルと賢島宝生苑、それに志摩マリンランド。これらは近鉄グループ。ちょっと色合いが違うのが、代々木高等学校という通信制高校(志摩賢島校/東海本部)があること。なんでこんな観光地に学校が?と思いますが、この学校の建物は賢島宝生苑賢島別館だったものを借りているそうです。
賢島港近くに円山公園という公園があると書かれていたので行ってみました。丘の上にあるのですが、木々に囲まれていて見晴らしもよくない。一番奥にあるのが、真珠貝供養塔。そのずっと右手、上に真珠に見立てた球を載せているのが真円真珠発明者頌徳碑。球形の真珠が作れるようになるのは、そんなに古いことではないのですね。光物には無縁な私ですがひとつ賢くなりました。
今度は駅の北側を歩いてみます。紫陽花が道端に植えられていて涼しげです。志摩マリンランドを右に見て、志摩観光ホテルへの入り口を左にして歩いていくと賢島大橋。実は賢島駅に着いた時、伊勢志摩サミット記念館「サミエール」というところに寄ってきたのでした。そこでの情報によると、このサミットのメイン会場になったのは志摩観光ホテル。伊勢志摩国立公園内に戦後初(昭和26年)に開業した本格的リゾートホテルだということです(私には縁はありませんね)。2016年のサミットが伊勢志摩で開かれると決定したとき、時の総理大臣は、「子供の頃に志摩観光ホテルで、伊勢海老のスープを食した」ことを語っていたと記憶しますが、テレビのこちら側で私は、どうも住む世界が違うことだと思ったことを思い出しました。そして、自分が賢島を歩いているこの時、イギリスのコーンウォールという海辺で、G7サミットが行われているということが不思議な気がします。
賢島大橋を徒歩で渡る。歩道があるのですがクルマはほとんど通りません。橋から眺める湾の景色は美しい。渡り切ったところで「賢島大橋 佐伯勇」と掘られた碑がありました。佐伯氏は近鉄のかつての辣腕社長と認識しています。この大橋は近鉄が架けたものだそうです。大雑把にいえば賢島は近鉄資本で開発されたということでしょう。歩いてみて比較的新しい橋のように思えたのは、2016年のサミットに合わせて改修工事をしたからだそうです。
9月23日追記
紫陽花のころ、賢島を訪れました。志摩マリンランドは駐車場にそこそこクルマも停まっていましたし、まったくそうだとは気づかなかったのですが、志摩マリンランドは2021年3月31日で閉館していたそうです。
直接の引き金はコロナ禍で入場者数が減少したということだそうですが、浜島航路の終了といい、コロナの猛威を改めて感じました。近鉄沿線で住まいする者として、志摩マリンランドという言葉は駅のホームや社内の吊り広告や、近鉄ニュースで何度も何度も目にしましたが、結局一度も行かずじまいとなりました。
(つづく)
賢島から浜島へ渡る航路が9月30日で、廃止になるそうです。私が訪ねた時には、すでに廃止の届が出されていた模様。
https://www.asahi.com/articles/ASP5S5T1HP5LONFB015.html