今年は彼岸花が遅い。9月末になってようやく赤い色が見られるようになってきました。なんとも不思議なことです。毎年、「彼岸花は偉いねぇ。暑くても寒くてもお彼岸にちゃんと咲くねぇ」なんて挨拶になっていたのに、今年に限ってはおよそ一週間遅い。彼岸の頃には、今年は彼岸花のハズレの年なんだ、咲きが悪いと思っていたのですが、一週間遅れて咲き始めました。
この夏は暑かった。9月後半になってようやく朝夕が少し過ごしやすくなってきましたが、まだ真夏日はありそうです。「まだ」って明日から神無月だというのに。tenki.jpで奈良の気温を振り返ってみると、7月3日から9月21日までの間に、最高気温が30℃を下回った日は3日しかありません。その間ずっと朝までエアコンにお世話になりっぱなし。8月3日の38.4℃がこの夏一番の高温の記録。私たちはもう30℃くらいでは驚かないし、感覚的には暑いうちに入りません。
雨はというと、日本列島でも降る所は洪水になるほど集中して降りますが、私の生活圏では降らない夏でした。畑の野菜は暑さと水がないのとで壊滅状態。
何十年も忘れていた歌が口をついて出てきました。井上陽水の「かんかん照り」。ところが、改めて楽曲を聞いてみると、暑いのは同じでも何か感覚が違う。それはなんだろうと考えてみたのです。「かんかん照り」は『陽水II センチメンタル』に収められている一曲で、リリースが1972年12月。したがって歌詞の背景は51年前またはそれ以前と考えなければなりません。
つまり、「かんかん照り」(歌詞はこちら)に表現された世界にはエアコンがないということでしょう。1972年当時に自宅にエアコンが設置されたお家なんてまずなかったのではないか。街の喫茶店のドアの横に「冷房中」なんて誇らしげに書かれていたのは、もう少し後だったと記憶するのです。喫茶店でそんな状況ですから一般家庭にエアコン(令和の時代になってもクーラーと呼ぶ人が多いですね)はなかったはず。「お前のうちはどうなんだい」って?山間部で大きくなったものですから、我が家にエアコンがやってきたのは1994年のことだったと思います。
ルームエアコンが一般家庭に普及し始めた1965年(昭和41年)は2.0%の普及率でしたが、20年後の1985年(昭和60年)に普及率が50%を超え、2018年(平成30年)には91.2%となっており、この約50年の間で一家に一台の家電製品となっています。
「動かないことが一番いい」と歌詞にはありますが、エアコン時代には少し事情が違うと思います。今年のお盆前に、私は数日間体調を悪くしました。身体の冷やしすぎです。職場にいても家にいても、暑いのでエアコンの効いた部屋でじっとしている。身体は外から冷やされ動かないので内側からも発熱しない。動けなくなってしまいました。結局、お風呂で身体を温めて、この冷えからどうにか脱出したようなことだったのですが、エアコンのなかった「かんかん照り」の時代にはこんな感覚はなかったに違いない。外気がどんなに暑かろうと、エアコンの入った部屋が涼しい現代では、寄り添ってくる恋人に心が動かないというのは、暑さとはなにか別の理由があるだろうと思わねばなりません。
もうひとつ、陽水の世界では、日照りが暑さの原因になっています。果たして今年の暑さは…日照りによるものよりも、熱風がどこからか(多分南から)入り込んできた暑さではなかったかと思うことです。それぞれの場所で感じ方は違うのでしょうが、私の感覚では、お日様に照らされたから暑いという潔さはなく、熱い空気を他所からもってきたという感じ。その点、「かんかん照り」の世界は、潔い暑さだと思いながら懐かしい陽水の声を聴いた夏でした。
ウィキペディアで『陽水II センチメンタル』を見ていたら、なんと「かんかん照り」のベースは高中正義なんだって。
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