日本将棋連盟 >将棋の歴史
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日本将棋連盟>将棋の歴史> 日本将棋の歴史(1)
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将棋の歴史は古く、定かではありません。
今の将棋の形式が整ったのは、江戸時代かと思います。
江戸幕府の後援を得て制度として定まりました。
これが、約400年前の1612年(慶長17年)です。
そして江戸幕府が滅亡すると経済的基盤を失い困難な時代を迎えます。
明治時代に試行錯誤を繰り返し、やがて新聞社の後援を得て各種棋戦が始まります。当時は、いくつかの団体が作られました。
その後、1924年9月8日に「東京将棋連盟」が結成され、これが現在の将棋連盟の始まりとされています。
そして将棋界の大改革が発案され、実行されます。
「徳川時代から三百年以上続いた終生名人制は、1935年(昭和10年)に関根金次郎名人の大英断で実力による短期名人制へと大きく変貌を遂げることになります。」
木村の名人就位式は、1938年2月11日の紀元節に行われました。実力制度による初代名人が誕生しました。
ほぼ、現在の名人制度の原型が完成しました。現在もほぼこの方式が踏襲されています。
日本将棋連盟> 棋戦一覧 >名人戦
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現在、プロ棋士は5つの階級に所属します。
A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組
それぞれ、降格昇級制度があります。
A級に昇格するためには、C2組から順番に昇格しなければなりません。毎年1回ですから、A級に昇格するためには、最短でも4年かかります。
A級の10人の棋士による総当り戦でリーグ戦が行われます。このリーグ戦の優勝者が、名人位の挑戦権を得ます。
翌年、挑戦者と名人の7番勝負が行われ勝者が名人になります。
名人になる大変さが分るでしょうか?
最短4年でAクラスに駆け上がり、そしてAクラスのリーグ戦で優勝し名人位の挑戦権を得て、最短6年目に名人戦を争うことが出来ます。
名人位には、このような古い歴史がありまた、挑戦権を得るには過程が必要です。そこにマグレの要素はなく今年最強の棋士が名人位に挑戦する仕組みです。
将棋界においてサッカーならA級順位戦がリーグ戦であり、他の棋戦はカップ戦です。同じタイトルのように見えても重みが全く違います。
将棋界においては、名人位にある棋士が最高の棋士です。
長々と前振りしたのは?
藤井聡太竜王(20歳)が、名人決定戦に臨んでいます。
これまで3勝1敗。あと1勝すれば史上最年少の名人が誕生します。
実力名人制での名人は、14世名人からです。
14世 木村義雄(8期)
塚田正夫(2期)
15世 大山康晴(18期)
升田幸三(2期)
16世 中原 誠(15期)
加藤一二三(1期)
米長邦雄(1期)
17世 谷川浩司(5期)
18世 森内俊之(8期)
19世 羽生善治(9期)
佐藤天彦(2期)
丸山忠久(2期)
豊島将之(1期)
渡辺明(3期)
通算5期以上名人の座にある棋士が第◎世名人を名乗ることが許されます。近年は、コンピュータの発達とともに棋士のピークの年齢が若くなり、以前よりは短いサイクルで名人が変わります。
今、5期以上名人の座にあること自体が難しくなりつつあります。19世 羽生善治名人以降は、特にその傾向があります。名人の座に就くことも大変ですし、名人の座を維持することはそれ以上に大変な時代になりました。その中にあって19世 羽生善治名人の時代の長さは、特筆ものです。20数年、名人位を争い続けました。同じ時代に18世 森内俊之名人がいましたから通算回数こそ少ないですが、息の長さは抜きんでています。
藤井聡太竜王は、そのような偉大な名人の列に加わることが出来るのかどうか?20数年後にその答えが出ます。