イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

30.戦の庭ハルマゲドン B

2006年09月02日 | Weblog
 バスを降りてなだらかな坂を上ります。時差の関係もあり、暑さの中の坂道は結構こたえました。リュックをを背負い、ビデオカメラを担ぎ、荒い息を吐きながら、みなさんの後からついて行きます。柳田さんも西さんも、黙々と自分のペースを守って上っています。
 その後ろからついて行きながら、なぜか私の脳裏に、3年前に行ったアメリカ大陸のクモラの丘が浮かんできました。ヤレドの民が全滅したというあの大きな戦場、イエス・キリストについての証と、民の記録を記した金版が埋められていたあの場所です。

 さんさんと輝く太陽のもと、身体はイスラエルのメギド、頭はアメリカのクモラの丘という奇妙な状態で進んでいますと、柳田さんと西さんの背中に、うっすらと光のリースが見えました。不思議な経験ですが、主に守られていると実感した瞬間です。

 さて、昼食前はカルメル山から眺め、今また、メギドの丘から見渡すエズレル平原、イスラエルでは最も大きな平野です。丘のふもとは緩やかな斜面になっていますが、岩山の多いこの国では確かに大きな戦場だったに違いないと、素人の私でさえ思いました。そして悔い改めない民は、ヤレドの民のようにここで全滅するのかと・・・・魂が勝手に泳いでいます。

 ここでの遺跡はカナンの祭壇、石を積み重ねた円形の祭壇です。7段の階段があり、捧げ物をする時に、そこから上がって行くということでした。西日の逆光で、説明を聞きながらのビデオ撮影は不可能。やむをえず、案内所のパネルから撮ることで満足せざるを得ませんでした。
 しかし、メギドの周辺を仲間と一緒に、確かにこの目で見たという喜びは、何物にも換えられるものではありません。自分が聖書の中に入ってしまったような、錯覚を覚えるほどです。
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29.戦の庭ハルマゲドン A

2006年09月02日 | Weblog
*メギド

「みなさん、おふくろの味はいかがでしたか~」
「美味しかったで~~す」
 バスに戻ると倉田さんが問いかけ、みな大きな声で応えます。
 さて、人間ハラが減っては戦が出来ぬと、よくぞ申したもので、私たちも元気モリモリしたところで、いよいよ戦の庭に向かいます。ガイドさんの説明を聞いてみましょう。

「聖書によればですね、紀元前10世紀に、ソロモン王は王国の防衛基地としてメギドを堅固にし、戦車の町とした、とあります。(列上9:15、10:26参照) 以後メギドにおいて、数多くの戦いが繰り返されてきました。ここはまた、エジプトの歩兵が行進し、アッスリヤの軍隊が叫びを上げ、ネブカデネザルのバビロニア軍が通過した場所でもあります」
「ほう~」
「また、ユダヤ人ゲリラがローマの軍隊と戦い、十字軍とイスラム教徒が凄まじい戦いをし、イスラエル軍がアラブの軍勢に向かって進軍した場所でもあります。紀元前840年頃には、ユダの王アハジャがメギドで殺され(列下9:27)、主の道を歩んだヨシアも紀元前610年頃、エジプトの王パロ・ネコに殺されたと記されています」(列下23:29参照)
「うん、うん」
「このようにですね、非常に多くの戦いがありました。さらにまた、新約聖書では、救い主が降臨される前の、最後の世界大戦が行われる場所の名前になっていますね」(黙示16:16参照)
「そうそう」
「しかし、だからと言って、最後の大戦争の舞台がメギドだと、そう断定してしまうのは誤りだと言われています。なぜなら、聖書には、主の再臨の日、あらゆる国民がエルサレムに攻めてくる、とも書かれているからです。(ゼカリヤ11章~14章参照)
 ですから最後の戦いは、エルサレムを中心にその周辺で行われ、それがメギドにまで及ぶ可能性があるということなのだそうです。ええと、到着しました。それでは貴重品を身につけて降りてください」
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