イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

46.エン・ゲブで昼食

2006年09月11日 | Weblog
 そうこうしているうちに、目的地のエン・ゲブに着きました。ここで昼食をとることになっています。記憶にある懐かしいレストランでした。ガリラヤ湖で獲れたセントピーターフィッシュ(マタイ17:27)という魚の、から揚げをいただくのですが、ほんとに今年はたくさんの客で賑わい、喜ばしい雰囲気です。私たちも総勢20人の、結構大きなグループで、今回は外に席がありました。
「これからね、こんな巨大なヤツを食べますからね」
 添乗員の泉さんが、これからたべようという魚の複製を、それも特別大きいのを皿に乗せて持ってきたものですから、
「ええっ? こんなにデッカイの? ひとり一つですか?」とか、
「食べられないよ。俺たち二人で一つにしようか」
とか言ってます。
「ちょっと触っていいですか」
「お、銀貨が入ってるぞ!」
 なんて、みんなワイワイ騒ぎながら、撮ったり触ったりで、それはそれは楽しいひとときでした。この魚は、から揚げよりも塩焼きが美味しいのではないかと思うのですが、しかし、そんなことをしていたら、時間がかかって客のもてなしどころではないでしょうね。味はカレイのように淡白で、日本人にはお醤油をかけないと食べにくい味でした。添乗員の泉さんは、ちゃんと準備しておられるようです。このお魚をいただく時は、どの方もお醤油を出して下さいました。
「ここに来てサ、これを食べてみなければ、ガリラヤ湖に来た意味がないよね。イスラエルなんて、めったに来れない所なんだからサ」
「そうよ、好きでも嫌いでも、もう二度とチャンスがないかも知れないんだから、なんでも経験してみなくっちゃね。お話を待っている人だっているんだから」
 いろんな会話が聞こえてきます。私はそれを拾い集めて、脳裏に焼き付けます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

45.ガリラヤ湖横断 

2006年09月11日 | Weblog
 【写真:一回目の旅で】

さて、カペナウムで、「シナゴーク」と「ペテロの家の跡」を見学した後、バスでゲネサレまで行き、そこから船に乗りました。待望のガリラヤ湖横断です。対岸のエンゲブまで、およそ50分。

 昨年の冬は、カペナウムから乗船しました。どこまでも追いかけてくるカモメ、寒さに震えながら、パン屑を空中に投げる西浦さん、高田さん、宮本さん、食いつく瞬間をカメラに撮ろうとする津田さん、船の中に飛んできた2羽の子すずめと戯れる相沢さん、前回のガリラヤ湖横断で、病が癒されたと感謝していた熟年の安達夫妻、大きなお腹をかかえた若い間島夫妻。
 あの時は、船に乗っているのは、私たちのグループだけでした。ガイドの峯崎さんが、マイクを使って聖書を読みながら・・・・そういえば凄い逆風だったし、凍るように寒かったし、「イエスの時も同じ状況だった」と峯崎さんがまた読んでくださったり(マタイ14:24参照)・・・、そしてスクリューに巻かれた荒波が、はるか向こうまで白い線を残してなどなど、思い出しました。

 今年は白人グループと乗り合いです。風もなく穏やかな船旅ですが、しばらくして面白いことに気がつきました。私たちは日陰を求めて何回か移動し、白人の彼らは陽射しを求めて移動しているのです。上半身裸の男性もいれば、タンクトップの女性もいます。何か民族大移動の縮図を見ているようで、本当に面白い!
 しかし、互いに言葉を交わさなくても、旅の目的はイエス・キリストにあって、求めるものはみな同じように思いました。青い青いガリラヤ湖です。

 しばらく船に身をまかせてのんびりしながら、「イエス様が水の上を歩いて来ないかな、聖書によれば、あっちの方から来たはずだ(マタイ14:25)」などと方向を確認したりして、すっかり自分の世界を楽しんでいますと、倉田さんがやってきて、進行方向の左前方を指しながら案内しました。

「あちらに、ちょっとくびれた、崖みたいのがあるでしょう。あのあたりがクルスィと言ってですね、豚の群れがなだれ落ちた場所だと言われています(ルカ8:33)」
 みな、自分の世界から目覚め、立ち上がって写真を撮ります。倉田さんが謎をかけました。
「どうしてクルスィというか、ご存知ですか」
 少し考えてから私が答えます。
「それは多分、豚が苦しい~苦しい~と言ってなだれ落ちたから・・・かな?」
すると彼が大きい声で、
「あたりィ~」
と言ったので、大爆笑でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

44.カペナウム B

2006年09月11日 | Weblog
 【写真:ペテロの家の跡】

 倉田さんの説明がまだ続きます。
「上部の建物は石灰岩であること、それに柱が異教文化であるコリント式であること、さらにその柱に『ヘロデウス』という名前が刻まれてあることなどから、これはイエスの時代のものではないという結論に達しています。ま、建物はどうであれ、確実なのは、イエス・キリストが実際にこの場所で、多くの教えを語られたということですね」
 まるで、イエス様から直接教えを受けているかのように、気持ちがへりくだるのを感じました。
 今度はそこを出て、すぐ向かいの「ペテロの家」と呼ばれる遺跡に行きます。部屋が15もあるという、黒玄武岩の大きな家の跡でした。説明を聞きましょう。

「ここは、ペテロの家の跡だと言われています。その根拠はですね、聖書にあります。そこをちょっと読みましょう。マルコの1章29節です。『会堂を出るとすぐ・・・・シモンとアンデレの家に入って行かれた』と、このように書いてあります。すぐと、書かれていますね」
「あ、なるほど、あそこからここまでは、ほんとにすぐだもんな」
「そうです。そして当時、普通の漁師がこんな大きな家に住むということは、まず考えられませんので、シモンとアンデレの家は、網元だったのではないかと考えられています。さらにですね、イエス・キリストは、その一室を借りて、ガリラヤ湖の周辺を伝道したのではないかと、そのようにも考えられています」
「う~ん、やっぱりイエスは、このあたりが好きだったんだな」
 みな倉田さんの説明に感心しています。

                 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

43.カペナウム A

2006年09月11日 | Weblog
 【写真:カペナウムのシナゴーク】

 いよいよ今度は、カペナウムのシナゴークに到着です。入り口に「半ズボンの人は入るべからず」という看板があります。昨年の夏には、入れない人が何人もいました。半ズボンどころか、暑さのために上半身が裸の、おデブさんまでいましたので気の毒なのと可笑しいのとで困ったものでした。団体さんは、ガイドさんが前日に注意してくれますので、何の心配もありません。

 さて門をくぐると、石柱や鴨居の一部が道の両側に並べてあります。いずれもユダヤ教に関する模様が彫られています。たとえば、神の箱、ざくろ、ぶどう、ダビデの星など・・・。そして、そのまま道なりに進むと、シナゴークの跡に出ました。倉田さんは日陰に私たちを座らせ、ご自分は眩しさに耐えながら説明して下さいました。

「ユダヤ教の教会堂をシナゴークといいます。このシナゴークはですね、実際にイエス・キリストが説教したシナゴークの、その上に建っています。床や壁、また柱などが残っているので、もとの姿がはっきりと分かるんですね。この建物自体は石灰岩造りで、このように二階建てになっていました」
 実際の場所に立っているのと、絵を見せての説明に、当時の建物の様子がちゃんと分かってゾクッとしました。
「男性は1階で、女性は2階で祈っていたと言われています。ユダヤ教では、必ず男女が別れてお祈りするんですね。また聖書にも書いてあるように、イエス・キリストは第二の故郷としてカペナウムに住んで、この辺を伝道したと言われています(マルコ2:1)。 そして、この地で数々の病人を癒したと書いてあります」
「ふむふむ」
「また、今みなさんが腰かけておられるこの建物はですね、これは3世紀頃のものと言われていますが、その土台は先ほども言いましたように、実際にイエスが説教したシナゴークだと考えられています」
「どうしてそれが分かるんですか」
「はい、それはですね、さらに発掘した結果、土台が黒玄武岩で出来ているということが、分かったからなんです」
 確かに素人目で見ても、はっきりと違いが分かりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする