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献花式に3組7人が参列 震災で亡くなった学生の遺族ら

2021-01-18 23:58:47 | 阪神・淡路大震災
 コロナ禍の緊急事態宣言の中で迎えた阪神・淡路大震災26年。共通テストのために1日後ろ倒しの1月18日昼に行われた震災慰霊の献花式。式典に参列した遺族や故人の関係者は3組7人だったが、時間をずらして供えられた花束が13組あった。現役の学生では応援団の団員が慰霊碑を訪れ、ディスタンスを取りながら手を合わせた。<献花式取材班>


(写真:慰霊碑前で集合写真に収まる3組7人の遺族や関係者ら。2021年1月18日12時50分)

 1月18日の12時30分から行われた神戸大の震災慰霊献花式。六甲台第1キャンパスの神戸大慰霊碑に集った遺族は3組7人だったが、式典の始まる前に、犠牲者の名前が刻まれたプレートの周りには、大小合わせて13の花束や、缶ビール、缶コーヒーが供えられていた。
 前日の17日から18日午前に訪れた遺族や、故人の知人らが訪れていたことをうかがわせる。

 今年も、慰霊碑前では参列した遺族が「お元気でしたか」と1年ぶりに心を通わせ、記念撮影を行って、来年の再会を誓っていた。
 13時からは、一般市民や学生の献花の時間帯が設けられ、学ラン姿の応援団員らが亡くなった先輩に花を捧げた。



▽坂本秀夫さん(75歳)
 当時工学部3年 故・坂本竜一さん<兵庫県立八鹿高卒>の父。
やっぱり(今年は)人が少なかった。いつも会える人に会えなかった。



▽戸梶幸夫さん(73歳)
 当時経営学部2年 故・戸梶道夫さん<大阪府立三国ヶ丘高卒/バドミントン部>の父。
17日は神戸に来ないと、と言う思いでいつも来ている。東遊園地やここ(神戸大慰霊碑)で慰霊の式をやってくれるのでありがたい。私たちは大阪だから来れるけど、このご時世(コロナ禍)だからやっぱり遠くにいる人は来られないですね。

▽戸梶栄子さん(71歳)
 故・戸梶道夫さんの母。
いつもここでお会いする、同じご遺族の(名古屋の)中村さんや竸さん、(津の)藤原さんも来るかギリギリまで迷っておられた。藤原さんは一昨日まで迷っていらした。(また会えるよう)来年まで頑張って生きようねと電話でお話ししました。



▽森祐理さん
 当時法学部4年 故・森渉さん<大阪府立泉陽高校卒/軽音楽部Rock>の姉。
母は高齢なので、もしものことを考えたが、来年来れるかどうかわからないので一緒に来ました。17日はいつも(震災追悼の)コンサートなどがあるので献花式への参加は無理なのですが、今年は(1日ずれたので)来ることができました。

▽森尚江さん(83歳)
 故・森渉さんの母。
今日は祐理のいつもの(震災追悼のコンサート)がないし、人も少ないだろうということで来させていただきました。

 式典の後、慰霊碑を訪れた遺族もいた。前日の17日早朝、娘が亡くなった下宿跡でろうそくと線香などを供え、その後近くの公園で献花した上野政志さんだ。

▽上野政志さん(73歳)
 当時発達科学部2年 故・上野志乃さん<兵庫県立龍野高卒/マンドリン部>の父。
毎月(ここに)来てますけど、季節の移りかわりを感じていました。(慰霊碑の近くの)苗を持って帰った木がもう大きくなって、年月が経ったんだなと感じる。いいきっかけではないけれど、娘がいろいろ(な人との出会いを)とりもってくれました。

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(写真:参列した応援団員ら。)

▽応援団 宮脇健也団長(経営・4年)
(阪神・淡路大震災のときには)まだ自分は生まれていなかったけれど、震災では、当時の応援団長と吹奏楽部のメンバーが亡くなられています。他にも多くの先輩が震災で亡くなられた。そういうことがあったんだと、(いまの応援団の)後輩にも知ってほしかったので(去年に続いて)一緒に来ました。先輩たちにも、今こういう活動をやっていますと報告できたらと思う。昨日(の17日)は、亡くなった先輩の下宿跡に行きました。

▽応援団 辻悠花団員(経営・1年)
地元(岐阜)ではこんなに大きな地震が起こったことはないけど、家が壊れたりとか想像すると恐ろしい。忘れちゃいけない。経験はしていないけど、知っているということが大切だと思う。


(写真:式典前には13組の大小の花束が、メッセージや缶ビールなどとともに供えられていた)

 コロナ禍の今年は緊急事態宣言が5日前の1月13日に再び出された。一般参列は式典後の13時以降に献花をという制限の中で行われ、共通テストで1日遅れての式でもあっただけに、去年の震災25年のときような一般学生や、若手教職員の姿はほとんどなかった。
 正門前の階段を降りる学生は、「運動部の活動があったので大学に来ました。何の集まりですか」、「えっ、39人も神大生が亡くなったのですか。知りませんでした」(経済学部1年男子)。「留学生です。地震で亡くなった学生がいたのですか。知らなかった」(工学部1年男子)という声が聞かれた。


(写真:献花式会場には手指消毒用のアルコールが設置されていた)





コロナ禍の震災26年 静かに慰霊献花式

2021-01-18 15:52:20 | 阪神・淡路大震災
 阪神・淡路大震災から26年。1月18日午後、六甲台第1キャンパスの慰霊碑前で遺族や武田廣学長が参列して慰霊献花式が行われた。コロナ禍のなかということもあり、大学側からは幹部教職員のみの参列で、遺族も3組と静かな献花式となった。<献花式取材班>


(写真:震災慰霊碑に献花する武田学長。 2021年1月18日12時21分、神戸大六甲台第1キャンパスで。)

 風は強かったものの青空からはやわらかな日差しが降り注ぐ中、定刻の12時30分に、参列者はまず1分間の黙祷を捧げた。
 武田廣学長が花束を献花し他のに続いて、理事ら大学幹部も白い菊の花を慰霊碑に供えた。コロナ禍ということもあり、大学の一般教職員は時間をずらしての献花となった。
 続いて、参列した遺族が花を捧げた。緊急事態宣言が直前の1月13日に再び出たこともあり神戸への移動をあきらめた遺族も多く、今年参列した遺族は、兵庫県内と、大阪府、京都府からの3組7人だった。

 13時からは、職員や、詰襟姿の応援団の団員らが献花し、亡くなった学生や職員を偲んだ。

【関連記事】「献花式に3組7人が参列 震災で亡くなった学生の遺族ら」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/09065e4fcc531159233a47b4acb0e5c8


(写真:ニュースネットの記者の質問に答える武田廣学長。2021年1月18日12時21分、六甲台第1キャンパス慰霊碑前で。)

 式典では5年ごとに学長のメッセージが述べられるが、今回、武田廣学長はニュースネットの記者の質問に答える形で震災の日の思いをコメントした。

【武田廣学長のコメント】コロナも震災も“災害”。大学としてできる限りの取り組みをしたい。授業も兼ね合いを見ながら対面を増やしたりしていく。(今日の)震災慰霊献花式にしても、対策をとりながら行うことができた。献花式は来年も行う。放っておくと、風化してしまうからだ。コロナのような感染症(の大流行)も100年前に同じことが起きている。(歴史上何があったかを)伝えていくことは大切だ。来年は多くの学生に献花に来てほしいが、このコロナの感染拡大次第だと思う。

【動画】震災26年 神戸大慰霊献花式 黙祷 https://youtu.be/mNi0q9D9F7E
【動画】震災26年 神戸大慰霊献花式 学長献花 https://youtu.be/duG1NfdQm2w
【動画】震災26年 神戸大慰霊献花式 遺族献花 https://youtu.be/lULCkIluD2Q

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 1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震で、神戸大では、学生39人(うち留学生7人)、職員2人と、名誉教授1人、生協職員2人が犠牲になった。

 海事科学部でも、統合前の神戸商船大だった当時、震災で学生5人(うち留学生1人)と研究員1人が亡くなっている。この日は、六甲台と同じ時間に深江キャンパスでも、慰霊碑前で献花が行われた。
 海事科学部の学部サイト(http://www.maritime.kobe-u.ac.jp/news/2020/20210119.html)によると、練習船「深江丸」の汽笛が鳴るなか、「神戸商船大学犠牲者慰霊碑」で、阿部晃久研究科長はじめ教職員が献花を行った。
 神戸大への統合前の神戸商船大では学生5人(うち留学生1人)、研究員1人の計6人が犠牲となった。慰霊碑は震災で倒壊した旧神戸商船大の正門の石柱を用いて作られいて、6人の名前が刻まれている。


(画像:深江キャンパスでも、阿部晃久研究科長らが献花を行った。海事科学部の学部サイトのスクリーンショット。)