コロナ禍の緊急事態宣言の中で迎えた阪神・淡路大震災26年。共通テストのために1日後ろ倒しの1月18日昼に行われた震災慰霊の献花式。式典に参列した遺族や故人の関係者は3組7人だったが、時間をずらして供えられた花束が13組あった。現役の学生では応援団の団員が慰霊碑を訪れ、ディスタンスを取りながら手を合わせた。<献花式取材班>
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(写真:慰霊碑前で集合写真に収まる3組7人の遺族や関係者ら。2021年1月18日12時50分)
1月18日の12時30分から行われた神戸大の震災慰霊献花式。六甲台第1キャンパスの神戸大慰霊碑に集った遺族は3組7人だったが、式典の始まる前に、犠牲者の名前が刻まれたプレートの周りには、大小合わせて13の花束や、缶ビール、缶コーヒーが供えられていた。
前日の17日から18日午前に訪れた遺族や、故人の知人らが訪れていたことをうかがわせる。
今年も、慰霊碑前では参列した遺族が「お元気でしたか」と1年ぶりに心を通わせ、記念撮影を行って、来年の再会を誓っていた。
13時からは、一般市民や学生の献花の時間帯が設けられ、学ラン姿の応援団員らが亡くなった先輩に花を捧げた。
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▽坂本秀夫さん(75歳)
当時工学部3年 故・坂本竜一さん<兵庫県立八鹿高卒>の父。
やっぱり(今年は)人が少なかった。いつも会える人に会えなかった。
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▽戸梶幸夫さん(73歳)
当時経営学部2年 故・戸梶道夫さん<大阪府立三国ヶ丘高卒/バドミントン部>の父。
17日は神戸に来ないと、と言う思いでいつも来ている。東遊園地やここ(神戸大慰霊碑)で慰霊の式をやってくれるのでありがたい。私たちは大阪だから来れるけど、このご時世(コロナ禍)だからやっぱり遠くにいる人は来られないですね。
▽戸梶栄子さん(71歳)
故・戸梶道夫さんの母。
いつもここでお会いする、同じご遺族の(名古屋の)中村さんや竸さん、(津の)藤原さんも来るかギリギリまで迷っておられた。藤原さんは一昨日まで迷っていらした。(また会えるよう)来年まで頑張って生きようねと電話でお話ししました。
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▽森祐理さん
当時法学部4年 故・森渉さん<大阪府立泉陽高校卒/軽音楽部Rock>の姉。
母は高齢なので、もしものことを考えたが、来年来れるかどうかわからないので一緒に来ました。17日はいつも(震災追悼の)コンサートなどがあるので献花式への参加は無理なのですが、今年は(1日ずれたので)来ることができました。
▽森尚江さん(83歳)
故・森渉さんの母。
今日は祐理のいつもの(震災追悼のコンサート)がないし、人も少ないだろうということで来させていただきました。
式典の後、慰霊碑を訪れた遺族もいた。前日の17日早朝、娘が亡くなった下宿跡でろうそくと線香などを供え、その後近くの公園で献花した上野政志さんだ。
▽上野政志さん(73歳)
当時発達科学部2年 故・上野志乃さん<兵庫県立龍野高卒/マンドリン部>の父。
毎月(ここに)来てますけど、季節の移りかわりを感じていました。(慰霊碑の近くの)苗を持って帰った木がもう大きくなって、年月が経ったんだなと感じる。いいきっかけではないけれど、娘がいろいろ(な人との出会いを)とりもってくれました。
○ ○ ○ ○
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(写真:参列した応援団員ら。)
▽応援団 宮脇健也団長(経営・4年)
(阪神・淡路大震災のときには)まだ自分は生まれていなかったけれど、震災では、当時の応援団長と吹奏楽部のメンバーが亡くなられています。他にも多くの先輩が震災で亡くなられた。そういうことがあったんだと、(いまの応援団の)後輩にも知ってほしかったので(去年に続いて)一緒に来ました。先輩たちにも、今こういう活動をやっていますと報告できたらと思う。昨日(の17日)は、亡くなった先輩の下宿跡に行きました。
▽応援団 辻悠花団員(経営・1年)
地元(岐阜)ではこんなに大きな地震が起こったことはないけど、家が壊れたりとか想像すると恐ろしい。忘れちゃいけない。経験はしていないけど、知っているということが大切だと思う。
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(写真:式典前には13組の大小の花束が、メッセージや缶ビールなどとともに供えられていた)
コロナ禍の今年は緊急事態宣言が5日前の1月13日に再び出された。一般参列は式典後の13時以降に献花をという制限の中で行われ、共通テストで1日遅れての式でもあっただけに、去年の震災25年のときような一般学生や、若手教職員の姿はほとんどなかった。
正門前の階段を降りる学生は、「運動部の活動があったので大学に来ました。何の集まりですか」、「えっ、39人も神大生が亡くなったのですか。知りませんでした」(経済学部1年男子)。「留学生です。地震で亡くなった学生がいたのですか。知らなかった」(工学部1年男子)という声が聞かれた。
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(写真:献花式会場には手指消毒用のアルコールが設置されていた)
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了
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(写真:慰霊碑前で集合写真に収まる3組7人の遺族や関係者ら。2021年1月18日12時50分)
1月18日の12時30分から行われた神戸大の震災慰霊献花式。六甲台第1キャンパスの神戸大慰霊碑に集った遺族は3組7人だったが、式典の始まる前に、犠牲者の名前が刻まれたプレートの周りには、大小合わせて13の花束や、缶ビール、缶コーヒーが供えられていた。
前日の17日から18日午前に訪れた遺族や、故人の知人らが訪れていたことをうかがわせる。
今年も、慰霊碑前では参列した遺族が「お元気でしたか」と1年ぶりに心を通わせ、記念撮影を行って、来年の再会を誓っていた。
13時からは、一般市民や学生の献花の時間帯が設けられ、学ラン姿の応援団員らが亡くなった先輩に花を捧げた。
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▽坂本秀夫さん(75歳)
当時工学部3年 故・坂本竜一さん<兵庫県立八鹿高卒>の父。
やっぱり(今年は)人が少なかった。いつも会える人に会えなかった。
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▽戸梶幸夫さん(73歳)
当時経営学部2年 故・戸梶道夫さん<大阪府立三国ヶ丘高卒/バドミントン部>の父。
17日は神戸に来ないと、と言う思いでいつも来ている。東遊園地やここ(神戸大慰霊碑)で慰霊の式をやってくれるのでありがたい。私たちは大阪だから来れるけど、このご時世(コロナ禍)だからやっぱり遠くにいる人は来られないですね。
▽戸梶栄子さん(71歳)
故・戸梶道夫さんの母。
いつもここでお会いする、同じご遺族の(名古屋の)中村さんや竸さん、(津の)藤原さんも来るかギリギリまで迷っておられた。藤原さんは一昨日まで迷っていらした。(また会えるよう)来年まで頑張って生きようねと電話でお話ししました。
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▽森祐理さん
当時法学部4年 故・森渉さん<大阪府立泉陽高校卒/軽音楽部Rock>の姉。
母は高齢なので、もしものことを考えたが、来年来れるかどうかわからないので一緒に来ました。17日はいつも(震災追悼の)コンサートなどがあるので献花式への参加は無理なのですが、今年は(1日ずれたので)来ることができました。
▽森尚江さん(83歳)
故・森渉さんの母。
今日は祐理のいつもの(震災追悼のコンサート)がないし、人も少ないだろうということで来させていただきました。
式典の後、慰霊碑を訪れた遺族もいた。前日の17日早朝、娘が亡くなった下宿跡でろうそくと線香などを供え、その後近くの公園で献花した上野政志さんだ。
▽上野政志さん(73歳)
当時発達科学部2年 故・上野志乃さん<兵庫県立龍野高卒/マンドリン部>の父。
毎月(ここに)来てますけど、季節の移りかわりを感じていました。(慰霊碑の近くの)苗を持って帰った木がもう大きくなって、年月が経ったんだなと感じる。いいきっかけではないけれど、娘がいろいろ(な人との出会いを)とりもってくれました。
○ ○ ○ ○
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(写真:参列した応援団員ら。)
▽応援団 宮脇健也団長(経営・4年)
(阪神・淡路大震災のときには)まだ自分は生まれていなかったけれど、震災では、当時の応援団長と吹奏楽部のメンバーが亡くなられています。他にも多くの先輩が震災で亡くなられた。そういうことがあったんだと、(いまの応援団の)後輩にも知ってほしかったので(去年に続いて)一緒に来ました。先輩たちにも、今こういう活動をやっていますと報告できたらと思う。昨日(の17日)は、亡くなった先輩の下宿跡に行きました。
▽応援団 辻悠花団員(経営・1年)
地元(岐阜)ではこんなに大きな地震が起こったことはないけど、家が壊れたりとか想像すると恐ろしい。忘れちゃいけない。経験はしていないけど、知っているということが大切だと思う。
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(写真:式典前には13組の大小の花束が、メッセージや缶ビールなどとともに供えられていた)
コロナ禍の今年は緊急事態宣言が5日前の1月13日に再び出された。一般参列は式典後の13時以降に献花をという制限の中で行われ、共通テストで1日遅れての式でもあっただけに、去年の震災25年のときような一般学生や、若手教職員の姿はほとんどなかった。
正門前の階段を降りる学生は、「運動部の活動があったので大学に来ました。何の集まりですか」、「えっ、39人も神大生が亡くなったのですか。知りませんでした」(経済学部1年男子)。「留学生です。地震で亡くなった学生がいたのですか。知らなかった」(工学部1年男子)という声が聞かれた。
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(写真:献花式会場には手指消毒用のアルコールが設置されていた)
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了