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訃報 キッシンジャー氏逝去           心からご冥福をお祈りする (合掌)

2023-11-30 | 小日向白朗学会 情報
 2023年11月30日、Bloombergは『キッシンジャー元米国務長官が100歳で死去、米中国交樹立の立役者』を配信した。
『……
ニクソン、フォード米政権で国務長官を務め、1970年代の米外交政策決定で重要な役割を果たしたキッシンジャー元米国務長官が、米コネティカット州の自宅で死去した。100歳だった。元国務長官の関係者が明らかにした。
キッシンジャー氏は大統領補佐官として、72年のニクソン大統領による電撃的な中国訪問を実現させ、79年の米中の国交樹立につながる土台を築いた。
冷戦下での旧ソ連とのデタント(緊張緩和)や戦略兵器制限条約の実現に貢献したことで歴史に名を残す一方、ベトナムとカンボジアに対する大規模な空爆を支持したことなどで批判も受けた。
……』
 キッシンジャー氏最大の功績は、上海コミュニケで「一つの中国」を纏めたことである。この「一つの中国」をアメリカが認めたことで、今日の中国があると言っても過言ではない。
 しかし、最近のアメリカ政府は、オバマ元大統領やバイデン現大統領が私的な利害関係で戦争を繰り返す危険な世界外交を繰り広げ、ついに、アメリカ軍を台湾有事に介入させることまで想定するようになった。その結果、中国をロシアに急接近させることになり、世界の核バランスを崩しかねない状況を招いてしまった。危機感を抱いたキッシンジャー氏は中国とアメリカが「一つの中国」政策に回帰することに尽力し、ついに、バイデン大統領と国務省を説得することに成功した。
 それは2023年07月のことであった。
 その後の、アメリカであるが「一つの中国」政策が完全に定着するかは、いまだ、不安が残るところである。
 そのような中でアメリカ外交の重鎮であるキッシャンジャー氏が逝去したことで、バイデン大統領の暴走を誰が止めるのかと考えると、その影響は計り知れないものがある。
(寄稿:近藤雄三)
尚、「一つの中国」政策に付いては下記のスレッドでまとめてきた。
・(2023年10月27日)『王毅外相とブリンケン国務長官会談
・(2023年06月22日)『上海コミュニケ
(岩波書店版周恩来キッシンジャー機密会談録の表紙=笑顔で握手を交わす周恩来総理とキッシンジャー補佐官、1971年7月9日北京中国政府迎賓館にて=AP/WWP提供)
(July 17 1970付け、小日向白朗訪米要請の手紙=1971年7月の周恩来キッシンジャー会談に同席しているNSC-国家安全保障会議上級スタッフのジョン・ホルドレッジ氏からの書簡=キッシンジャー補佐官の要請を含んだもの)
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