古森病院@福岡市博多区です。
今週配信の週刊医学界新聞に
神戸大学の岩田健太郎教授が寄稿されていた文章が
面白かったので、ご紹介します。
*****************************************
週刊医学界新聞
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperTop.do
寄稿文
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03247_05
第3247号 2017年11月6日
The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言
「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。
【第54回(最終回)】
ジェネシャリの未来
岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)
(前回からつづく)
長かった本連載も今回で最終回である。お付き合いいただいた読者の皆様に心から感謝申し上げます。
連載の締めくくりとしてジェネシャリの未来を展望してみたい。
ジェネシャリの未来を展望するとは,要するに医療の未来を展望することに他ならない。
未来予測は難しい。しかし,一つだけほぼ確かなことがある。
それは,医療の未来が今の医療と同じようなものにはならないだろうということである。
それは歴史を振り返り,現在の医療が江戸時代までの医療や,昭和より前の医療,昭和時代の医療とは
まるで違うものであることから,簡単に推察できることだ。
*
ちょっと前までは,C型肝炎は手のつけられない疾患だと思っていた。治療薬は万能ではなく,効かないジェノタイプも多い。
副作用も多い。効果的なワクチンが存在しない。まことに厄介な存在であり,臨床的にも公衆衛生的にも
インパクトの大きな疾患であった。
ところが,新しい抗ウイルス薬が雨後の筍のようにニョキニョキと開発され,臨床現場で活用されるようになり,
C型肝炎治癒は現実のものとなった。多くの患者がC型肝炎ウイルスから完全に自由となり,疾患が消えてなくなっている。
自然界のリアルなレザボアを欠くこの感染症は,場合によっては近い将来撲滅することだって可能かもしれない。
同様に,B型肝炎も効果的な医療政策で激減させることが可能だろう。
逆説的に肝臓を専門とする臓器専門医は(その見事なまでに素晴らしい成果によって)滅びゆく運命にあるかもしれない。
滅ばないまでも,希少種になってしまう可能性は高いと思う。
*
一般に「選択と集中」は下手(げしゅ)である。それはバクチであり,失敗した時のロスが大きすぎる。
ある専門領域に特化しすぎたスペシャリストは,医療の進歩やセッティングの変化で容易に死に体となる。
特殊ながんの執刀を専門にしていたある医師は,ひょんなことから地域医療の担い手となるよう求められて,
現場で「できること」が皆無なことに呆然としていた。
その地域もどんどん消失してゆく運命にある。地域での小児科医のニーズは減少し,
その後高齢者までもが減少してゆく。現在のニーズを基盤に医療の姿を決めていくと,
10年の後にはそのニーズそのものが消失する。よくある話だ。
要するに,スペシャリストは,特に先鋭化したスペシャリストは将来の希望が保証されないのである。
それは「選択と集中」というバクチだ。
では,ジェネラリストであれば未来が保証されているかというとそうではない。
前述のように多くの「地方」は消えゆく運命にある。
多くのジェネラリストは人口が集中する都市での診療を余儀なくされるかもしれない。
中国地方とか四国地方と言えば「田舎」という感じかもしれないが,多くの人たちは県庁所在地をはじめ,
事実上の都市に住んでいる。
*
あるジェネラリストは「妊婦,お産が診られなくてジェネラリストを名乗るな」と言っていた。
が,都市においてはむしろ産婦人科との協調,分業があるべき姿なのかもしれない(そう決めつけているわけではないが)。
神戸大でぼくが感染管理にコミットしなかったように,セッティングによって医師に求められるニーズは変化する。
ただジェネラルなだけでは生きていけないセッティングだってあるかもしれない。
例えば,国内外で災害が発生した時,災害現場でコミットしたいという医療者も多かろう。
被災地では一般的にリソースが枯渇し,人材が枯渇するため一人一人のポリバレンスが必要となる。
地域医療がそうであるように,「これしかできない」という人材は役に立ちにくい。
一方,災害現場でこそ生きるスペシャルティもある。救急外傷ケアのスペシャルティ,メンタルヘルスのスペシャルティ,
エコーの技術,感染管理能力……災害現場でも質の高い仕事をしようと思えば,やっつけ仕事にしないためには,
そこに「専門性」はどうしても必要となる。
*
ジェネシャリは一生勉強し続ける常に変なる存在である。彼,彼女はスタティックではなく,環境の変化に応じて横に,
縦に成長し続ける。
たとえAIが人間の医療分野に深く食い込んでこようとも,成長し続けるジェネシャリは
全ての環境下で生存と成長の手段を模索し続ける。高齢化が進もうとも,外国人がコミュニティに入ってこようとも,
あるいはその他われわれが想像もしなかったような大きな変動が医療の環境に入ってこようとも。
あえて言おう。ジェネシャリは医療者の“選択肢の一つ”ではない。おそらくはボラタイルで
予想し難い現在と未来においてわれわれが生き延びていくための“ほぼ唯一の選択肢”である。
そうでない全てのスペシャリストもジェネラリストも,流動していく環境下で滅びるか希少種になるか,
あるいは一時の隆盛の徒花に散るか,あるいは「やっつけ仕事」の連打で生きていくしかなくなっていくであろう。
これがぼくの未来予測である。
そして,全ての医療者がジェネシャリになった時,医療者の立場は相対化される。二元論はなくなり,
だれもがフラットな関係となる。円滑なコミュニケーションが可能となり,われわれはもっとわかり合える存在となる。
夢のような話かもしれないが,夢を見ないで未来を語るくらいむなしいものはない。
全世界の医療者よ,ジェネシャリとなって団結しようではないか。
***************************************************
これから医師を目指す若い人にぜひ読んでいただきたい文章です。
解説
医師には特定の領域に専門性の高い医師と、管理人のように領域を問わず、万遍なく(浅く)診る医師が
いて、前者をスペシャリストと、後者をジェネラリストと呼んでいます。
http://komori-hp.cloud-line.com/
今週配信の週刊医学界新聞に
神戸大学の岩田健太郎教授が寄稿されていた文章が
面白かったので、ご紹介します。
*****************************************
週刊医学界新聞
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperTop.do
寄稿文
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03247_05
第3247号 2017年11月6日
The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言
「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。
【第54回(最終回)】
ジェネシャリの未来
岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)
(前回からつづく)
長かった本連載も今回で最終回である。お付き合いいただいた読者の皆様に心から感謝申し上げます。
連載の締めくくりとしてジェネシャリの未来を展望してみたい。
ジェネシャリの未来を展望するとは,要するに医療の未来を展望することに他ならない。
未来予測は難しい。しかし,一つだけほぼ確かなことがある。
それは,医療の未来が今の医療と同じようなものにはならないだろうということである。
それは歴史を振り返り,現在の医療が江戸時代までの医療や,昭和より前の医療,昭和時代の医療とは
まるで違うものであることから,簡単に推察できることだ。
*
ちょっと前までは,C型肝炎は手のつけられない疾患だと思っていた。治療薬は万能ではなく,効かないジェノタイプも多い。
副作用も多い。効果的なワクチンが存在しない。まことに厄介な存在であり,臨床的にも公衆衛生的にも
インパクトの大きな疾患であった。
ところが,新しい抗ウイルス薬が雨後の筍のようにニョキニョキと開発され,臨床現場で活用されるようになり,
C型肝炎治癒は現実のものとなった。多くの患者がC型肝炎ウイルスから完全に自由となり,疾患が消えてなくなっている。
自然界のリアルなレザボアを欠くこの感染症は,場合によっては近い将来撲滅することだって可能かもしれない。
同様に,B型肝炎も効果的な医療政策で激減させることが可能だろう。
逆説的に肝臓を専門とする臓器専門医は(その見事なまでに素晴らしい成果によって)滅びゆく運命にあるかもしれない。
滅ばないまでも,希少種になってしまう可能性は高いと思う。
*
一般に「選択と集中」は下手(げしゅ)である。それはバクチであり,失敗した時のロスが大きすぎる。
ある専門領域に特化しすぎたスペシャリストは,医療の進歩やセッティングの変化で容易に死に体となる。
特殊ながんの執刀を専門にしていたある医師は,ひょんなことから地域医療の担い手となるよう求められて,
現場で「できること」が皆無なことに呆然としていた。
その地域もどんどん消失してゆく運命にある。地域での小児科医のニーズは減少し,
その後高齢者までもが減少してゆく。現在のニーズを基盤に医療の姿を決めていくと,
10年の後にはそのニーズそのものが消失する。よくある話だ。
要するに,スペシャリストは,特に先鋭化したスペシャリストは将来の希望が保証されないのである。
それは「選択と集中」というバクチだ。
では,ジェネラリストであれば未来が保証されているかというとそうではない。
前述のように多くの「地方」は消えゆく運命にある。
多くのジェネラリストは人口が集中する都市での診療を余儀なくされるかもしれない。
中国地方とか四国地方と言えば「田舎」という感じかもしれないが,多くの人たちは県庁所在地をはじめ,
事実上の都市に住んでいる。
*
あるジェネラリストは「妊婦,お産が診られなくてジェネラリストを名乗るな」と言っていた。
が,都市においてはむしろ産婦人科との協調,分業があるべき姿なのかもしれない(そう決めつけているわけではないが)。
神戸大でぼくが感染管理にコミットしなかったように,セッティングによって医師に求められるニーズは変化する。
ただジェネラルなだけでは生きていけないセッティングだってあるかもしれない。
例えば,国内外で災害が発生した時,災害現場でコミットしたいという医療者も多かろう。
被災地では一般的にリソースが枯渇し,人材が枯渇するため一人一人のポリバレンスが必要となる。
地域医療がそうであるように,「これしかできない」という人材は役に立ちにくい。
一方,災害現場でこそ生きるスペシャルティもある。救急外傷ケアのスペシャルティ,メンタルヘルスのスペシャルティ,
エコーの技術,感染管理能力……災害現場でも質の高い仕事をしようと思えば,やっつけ仕事にしないためには,
そこに「専門性」はどうしても必要となる。
*
ジェネシャリは一生勉強し続ける常に変なる存在である。彼,彼女はスタティックではなく,環境の変化に応じて横に,
縦に成長し続ける。
たとえAIが人間の医療分野に深く食い込んでこようとも,成長し続けるジェネシャリは
全ての環境下で生存と成長の手段を模索し続ける。高齢化が進もうとも,外国人がコミュニティに入ってこようとも,
あるいはその他われわれが想像もしなかったような大きな変動が医療の環境に入ってこようとも。
あえて言おう。ジェネシャリは医療者の“選択肢の一つ”ではない。おそらくはボラタイルで
予想し難い現在と未来においてわれわれが生き延びていくための“ほぼ唯一の選択肢”である。
そうでない全てのスペシャリストもジェネラリストも,流動していく環境下で滅びるか希少種になるか,
あるいは一時の隆盛の徒花に散るか,あるいは「やっつけ仕事」の連打で生きていくしかなくなっていくであろう。
これがぼくの未来予測である。
そして,全ての医療者がジェネシャリになった時,医療者の立場は相対化される。二元論はなくなり,
だれもがフラットな関係となる。円滑なコミュニケーションが可能となり,われわれはもっとわかり合える存在となる。
夢のような話かもしれないが,夢を見ないで未来を語るくらいむなしいものはない。
全世界の医療者よ,ジェネシャリとなって団結しようではないか。
***************************************************
これから医師を目指す若い人にぜひ読んでいただきたい文章です。
解説
医師には特定の領域に専門性の高い医師と、管理人のように領域を問わず、万遍なく(浅く)診る医師が
いて、前者をスペシャリストと、後者をジェネラリストと呼んでいます。
http://komori-hp.cloud-line.com/