はてなブログに「縄文ノート50 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ(Ⅵ縄文文化・文明13)」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
「旧石器時代-縄文時代-弥生時代-古墳時代」の時代区分を習った時、教師の教えに素直ではなかった小学生の私は「なんで日本には鉄器時代がないのか」とがっがりしながら疑問に思ったものです。昭和20・30年代には村や町に普通に鍛冶屋があって鉄器を作っていたのを飽きずによく見ていましたが、そんな身近な鉄器を古代人は知らなかったのか、と思ったものです。さらに「稲作が始まって米を保存するために薄くて硬い弥生式土器が生まれた」という説明も米俵や木の米櫃に保存していたことから信じられず、「大和(だいわ)」を「やまと」と読むことなどどうしても納得できませんでした。
「旧石器-縄文-弥生-古墳」の時代区分だと、日本文明は「土石文明」になります。しかしながら、「土石工事」とは言わず「土木工事」というのは、道路や河川の土留工事、川の堰や橋づくりに木材が欠かせないからです。建築となると重い石より木材が使い勝手がよく、舟づくりにも木は必要であり、料理や土器づくりにも燃料の木は欠かせません。日本文明を「土石文明」にしたいとしても「土木文明」というべきなのです。大和には鉄器が少なく、九州や出雲に多いことを隠すために弥生時代や古墳時代をもうけ、天皇中心・大和中心の歴史にしたかったとしか考えれらません。
ギリシア神殿の真ん中が膨らんだエンタシスの石柱(パルテノン神殿で直径1.9m、高さ10.4m)は、もともとは木の柱の神殿であったことを示しており、古ギリシアでは「石の文明」の前に「木の文明」があったのです。
「古代文明」というと、石のピラミッド(60~146m)や日干しレンガのジグラット(聖塔:ウルのジグラットは高さ30m)、メソポタミア・インダス・黄河文明の石と日干し煉瓦の水利施設や大沐浴場、城壁のような「シンボリックな石造・レンガ造巨大建造物」に目を奪われがちですが、わが国にはそれらとは異なる巨木木柱建築文明があったのです。それが縄文時代に遡ることを、出雲大社からたどりたいと考えます。
本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」には直接に関わりますので、後ほどアップしたいと思います。雛元昌弘
Ⅵ 文化・文明論
6 縄文からの「日本列島文明論」 200729・0903
10 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして150923→200307・0912
13 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ 200207・0819・22
20 縄文社会・文明論の経過と課題 200926
27 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について 201104
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
邪馬台国探偵団 http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/
「旧石器時代-縄文時代-弥生時代-古墳時代」の時代区分を習った時、教師の教えに素直ではなかった小学生の私は「なんで日本には鉄器時代がないのか」とがっがりしながら疑問に思ったものです。昭和20・30年代には村や町に普通に鍛冶屋があって鉄器を作っていたのを飽きずによく見ていましたが、そんな身近な鉄器を古代人は知らなかったのか、と思ったものです。さらに「稲作が始まって米を保存するために薄くて硬い弥生式土器が生まれた」という説明も米俵や木の米櫃に保存していたことから信じられず、「大和(だいわ)」を「やまと」と読むことなどどうしても納得できませんでした。
「旧石器-縄文-弥生-古墳」の時代区分だと、日本文明は「土石文明」になります。しかしながら、「土石工事」とは言わず「土木工事」というのは、道路や河川の土留工事、川の堰や橋づくりに木材が欠かせないからです。建築となると重い石より木材が使い勝手がよく、舟づくりにも木は必要であり、料理や土器づくりにも燃料の木は欠かせません。日本文明を「土石文明」にしたいとしても「土木文明」というべきなのです。大和には鉄器が少なく、九州や出雲に多いことを隠すために弥生時代や古墳時代をもうけ、天皇中心・大和中心の歴史にしたかったとしか考えれらません。
ギリシア神殿の真ん中が膨らんだエンタシスの石柱(パルテノン神殿で直径1.9m、高さ10.4m)は、もともとは木の柱の神殿であったことを示しており、古ギリシアでは「石の文明」の前に「木の文明」があったのです。
「古代文明」というと、石のピラミッド(60~146m)や日干しレンガのジグラット(聖塔:ウルのジグラットは高さ30m)、メソポタミア・インダス・黄河文明の石と日干し煉瓦の水利施設や大沐浴場、城壁のような「シンボリックな石造・レンガ造巨大建造物」に目を奪われがちですが、わが国にはそれらとは異なる巨木木柱建築文明があったのです。それが縄文時代に遡ることを、出雲大社からたどりたいと考えます。
本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」には直接に関わりますので、後ほどアップしたいと思います。雛元昌弘
Ⅵ 文化・文明論
6 縄文からの「日本列島文明論」 200729・0903
10 「日本中央縄文文明」の世界遺産登録をめざして150923→200307・0912
13 縄文6本・8本巨木柱建築から上古出雲大社へ 200207・0819・22
20 縄文社会・文明論の経過と課題 200926
27 縄文芸術・模様・シンボル・絵文字について 201104
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
邪馬台国探偵団 http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/