ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団121 丹色は再生の色

2011-10-15 06:16:34 | 歴史小説
天理市柳本の崇神天皇陵近くにある黒塚古墳:木棺の死体部分は丹(水銀朱)で、周辺はベンガラで赤く塗られている

本文が重複して掲載していましたのでカットします。ご迷惑をおかけしました。日南虎男(111201記)

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
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神話探偵団120 『丹色の研究』

2011-10-12 10:28:29 | 歴史小説
写真は保渡田古墳群の八幡塚古墳の埴輪群(王に巫女が酒を捧げ、兵士や力士が守っている)

「丹を矛や船、服に塗って戦うって、まるで源平合戦の平家みたいだけど、どういう意味なの? 鳥居や神社の柱も赤く塗っているわよね」
 ヒメの母上の質問は、ヒメと似ている。
「コナン・ドイルの『緋色の研究』になってきたわね」
 推理小説家のヒメにとっては、赤は緋色になってしまう。
「緋色って、『風と共に去りぬ』のスカーレットよね。情熱の火の色、火色よね」
発想が飛躍する親子問答になってきた。
「昔、歌声喫茶で、緋色のサラファン縫いながら♪♪♪って歌もよく唄ったわね」
 どんどん、昔話に入ってきた。
「そういえば、『赤』という漢字は、『大』と『火』からできている、『大』の字は両手・両足を開いた『人』の形からできたって習ったなあ」
 カントクの時代の教師って、今と違って、漢字や漢文の素養があったのかもしれない。
「壬申の乱の天武天皇の軍も赤旗です。柿本人麻呂は高市皇子の挽歌で、皇子の旗が野焼きの赤い火のように靡いた、と詠っていましたから赤=火だと思います」
 万葉集に親しんできた高木も一言、付け足すことにした。
「そういえば、各地の火祭りは、火が悪霊を祓う、という考えではなかったかな?」
 カントクは、高木の財団の仕事で、『火祭り』の記録映画を撮っていたことがあったことを思い出した。
「普通、赤=火と考えられていますけど、私は赤=血=霊(ひ)色と考えています。血は祖先霊を表し、赤色の矛や船、服で戦うというのは、祖先霊に守られた『霊(ひ)』の軍ということだと思います」
 ヒナちゃんから、思いがけない説が出されたが、そういわれてみると、霊(ひ)信仰はこの探偵団のメインテーマだったけど、高木はそこまで思いつかなった。
「若御毛沼命、後の神武天皇の皇后のホトタタライスキ比売は、大物主が丹塗りの矢に化けて、便所の水路を流れてきて、大便をしているセヤタタラ比売のホトを突いて生まれた、とされていましたね」
 高木も同じことを考えていたが、マルちゃんの発言の方が早かった。
「それって、処女の血が大物主の矢に付いた、ってことじゃあないかしら。そうすると、丹って血のことになるわよね」
 ヒメの母がいうと自然で、説得力がある。
「大物主=大年神の子の大山咋(オオヤマクイ)神を主人公として、京都の上賀茂神社に同じような丹塗矢伝説がありますね。時代からみて、こちらの伝説から、ホトタタライスキ比売の物語ができたと思います」
 マルちゃんは、京都にも詳しい。
「埴輪に顔を赤く塗っているのがあったけど、それも血を表しているのかしら?」
 小説家のヒメは、一度見た物や写真を忘れないで覚えていて、いつでも文章にして描くことができる。
「埼玉県の保渡田(ほとだ)古墳群の八幡塚古墳の前に、埴輪群が復元されていたけど、王と王に酒を捧げる巫女、兵士や力士は、顔を赤く塗っていたね」
 カントクは、埴輪の映画も撮っているから、全国の埴輪を見ている。
「その場面は、古墳の前方の方壇上で行われた、王の霊(ひ)継ぎの儀式を再現したものだと思います。死んだ先王の霊(ひ)を受け継ぐために、霊(ひ)人として、顔を赤く血の色で染めていたのではないでしょうか」
 ヒナちゃんの霊(ひ)信仰論は首尾一貫している。
「そういえば、清酒(すみざけ)はキリスト教のワインと同じで、スサノオや大国主の霊(ひ)のお酒、という事だったし、鹿の血で稲の苗を育て、猪の血を田に播いて稲を育てるのは、黄泉帰りの再生儀式、という話もあったわね」
 ヒメの母も記憶力はすごい。
「テングの赤いお面も同じなのかしら?」
 ヒメはさらに想像を先へ先へと膨らませている。
「血を顔に塗ることは、霊人()=神になることだと思います。古墳の前方部で、次王は霊人()として先王の霊(ひ)を清酒で体内に取り込み、地上に黄泉帰って王になったのだと思います。その儀式に関わる人たちは、みな、顔を赤く丹で染めたと思います」
 ヒナちゃんは、ここでも、答えを用意していた。
「赤い顔のサルが神の使いとされるのも同じかしら?」
 ヒメの発想はいつも飛んでいる。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
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神話探偵団119 丹津日子は丹生都比売の一族?

2011-10-05 12:06:17 | 歴史小説
写真は丹生都比売神社(ウィキペディアより)

 「丹津日子ってどういう神なの」
 ヒメの母上の質問もヒメなみにポイントを押さえている。
 「『神』と書かれていますから神話時代の人物です。丹津日子の登場する賀毛郡では大国主の名前が3か所にでてきますし、大国主の子のアジスキタカヒコネは古事記では迦毛大御神と書かれていますから、その一族の可能性が高いと思います」
 「讃容郡の玉津日女命と、丹と玉の違いはあるけど似てるわね」
 ヒメは一度聞いたら覚えている。
 「アジスキタカヒコネ、迦毛大御神が生まれた託賀郡は丹波国に接していますから、丹の国の津と関わりがあったかもしれません」
 ヒナちゃんはこのあたりの地図が全て頭の中に入っているようだ。
 「丹波というと、もともと「丹のうみ」と呼ばれていた亀岡盆地を、大国主が京都への水路を切り開いて干拓した、という伝説がありましたね。丹波国一宮の出雲大神宮は、大国主と妻の三穂津姫尊を祀っているけど、なぜか、大国主の別名を三穂津彦大神というのよね」
 マルちゃんは仕事柄、全国どこでもよく知っている。
 「丹津日子、玉津日女、三穂津姫、三穂津彦、どうやら同じ系統の名前よね」
ヒメは言葉の繋がりには鋭く反応する。
 「大国主が亀岡盆地を干拓したという伝説と、丹津日子が河を掘って水路を雲潤(うるみ)に流そうとしたという播磨国風土記の記述は、大国主一族が新たな水利技術で稲作を指導した、ということを伝えていると思います」
 ヒナちゃんの深読みには高木はとてもかなわないと思った。
 「丹津日子は丹波と繋がりがありそうだけど、『丹』って何なの?」
 ヒメの母上の質問は当然だ。
 「遣隋使や遣唐使が持ち帰った漢音以前の漢字の読み方を呉音といいますが、『たん』と読みます。和音では『に』です。赤色をあらわし、酸化鉄のベンガラ、鉄丹や、硫化水銀の朱、丹(に)、鉛丹があります。日本各地の『丹生(にう)』の付く地名や丹生神社は、朱の産地とされています」
 こういう教科書的な解説となると、たいてい高木の出番だ。
 「もともと、ベンガラは縄文時代から使われており、朱は吉野ヶ里遺跡を始め、北九州から山陰にかけての弥生遺跡で使われている。魏書東夷伝倭人条には『その山に丹あり』とし、魏皇帝が鉛丹五十斤を賜っていることからみても、単なる染料というより、宗教的な貴重品だったのではないかな」
長老からの専門的なコメントである。
 「丹津日子は、丹波との繋がりを示す名前の可能性と、丹(に)を使った葬送や、丹の生産に関わる名前の可能性もあると思います」
 先まで考えているヒナちゃんの答えはよどみない。
 「播磨でも丹を生産していたの?」
 ヒメと同じ質問を高木も考えていたところだ。
 「播磨国風土記逸文に、息長帯日女(神功皇后)が新羅へ侵攻しようとした時に、国を堅めた大神の子の爾保都(にほつ)比売が、国造の石坂比売に乗り移って、赤土を差し出し、『私を祀り、赤土を矛に塗って船首に建て、船や軍衣を染めて戦えば、丹波(になみ)でもって平定できるであろう』という神託を下した、という記載があります。現在の神戸市北区の丹生山に丹生(にぶ)神社がありますが、古くは明石郡に含まれていた可能性があります。祭神は丹生都比売で、爾保都(にほつ)と同しです」
 播磨国風土記だけでなく、欠けていた「明石郡」の逸文までヒナちゃんが調べていたとは驚いた。
 「もしかしたら、『明石』は昔は『赤石』だった? それと、『丹波(になみ)』って『丹波(たんば)』よね」
 ヒメは、言葉には誰よりも鋭い。
 「赤石川の地名がありますから、古くは『赤石』だった可能性は高いと思います」
 「ここの『大神』って大国主のことだよね」
 「播磨国風土記では、大神=大国主とみてよいと思います」
 「丹生都比売が大国主の子だとすると、丹津日子もまた、大国主の一族とみて間違いないね」
 「その可能性は高いと思います」
 まるで、コナンとワトソンの会話のようになってきた。
 「丹生都比売って、全国の丹生神社に祀られている始祖神だよね。それが、大国主の子だとは、気付かなかったなあ」
 カントクの言う通りである。
 「しかし、丹生都比売って、和歌山県の高野山に近いかつらぎ町天野村の丹生都比売神社に祀られ、全国88社の総本社とされているよね」
 マルちゃんはここでも仕事をしたらしい。
 「播磨国風土記逸文では、紀伊国の管川の藤代の峯に鎮め奉った、とされています。播磨の明石から紀伊国に新たな採掘地を求めて、主な一族が移った、ということではないでしょうか?」
 「仕事のついでに丹生都比売神社に行ったことがあるけど、神社の由緒では、丹生都比売は天照大御神の妹の稚日女命(わかひるめのみこと)となっていたけどね」
 「播磨国風土記では、火明命を大国主の子としていますが、古事記はニニギの兄、日本書紀はニニギの子としています。同じように、大国主命の子孫は、天皇家の一族に組み入れられたのだと思います」
 ヒメの母上の丹津日子の質問から、思わぬ展開になってきた。

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