ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

2011年 播磨国風土記から大国主一族の建国を解明

2011-12-26 10:47:10 | 歴史小説
 読者の皆様には申し訳ありませんが、今年はこれでクローズさせていただきます。
 今年は、東日本大震災と福島第1原発事故に時間を取られ、遅々たる歩みになってきましたが、着実に「霊(ひ)の国」の解明は進んできています。

 2008年11月より、「スサノオ・大国主一族の建国」をテーマにこのブログを開始しましたが、播磨国風土記を読み進めるうちに、古事記とほぼ同時期に書かれ、江戸時代の末まで秘匿されていた播磨国風土記は、古事記と合わせて、神話時代の古代史解明の鍵となる書であることに気づきました。
 播磨国風土記は、私の「霊(ひ)の国史観」にとって、強力な裏付けとなる書です。
 特に、今年に入り、「ヒメ」の家での酒や肉食、丹を巡っての霊(ひ)信仰についての探偵団の皆さんの議論は、筆者の思惑を超えて、面白くなってきました。今後は、播磨国風土記で、火明命、伊勢都比古、丹生都比売らが大国主の子とされ、コノハナサクヤ比売が大国主の妻とされていること、尾張連の上祖の長日子の墓が飾磨郡にあることなど、ワクワクする謎解きを行っていきたいと思います。
 また、飾磨郡の大野里に「恵多」なる人物を発見したことから、「帆人の古代史メモ」では、差別の起源論を展開するという、思わぬ展開もありました。

 来年も7人の神話探偵団は、この国の真の建国史の解明を続けますので、よろしくご愛読をお願いたします。

2012年の皆様のご多幸をお祈りいたします。         konanhina(日向勤)

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ホームページ:霊(ひ)の国古代史研究室(http://www.geocities.jp/hinatsutomu)
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
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神話探偵団125 「霊(ひ)」を継ぐ「棺(ひつぎ)」と子宮回帰の宗教思想

2011-12-05 20:36:21 | 歴史小説
内部を丹で塗った吉野ヶ里の甕棺

「それじゃあ、古代人がお棺の中を赤く染めたというのは、お棺を子宮として考えていたということになるわね」
ヒメの母親の発想は飛んでいる。
「死者を入れるお棺のことを『ひつぎ』というのは、『霊(ひ)を継ぐ入れ物』だからと考えていましたけど、『子宮』までは考えていませんでした」
 ヒナちゃんは率直に認めた。
「人は女性の子宮から生まれて、子宮に帰っていく、ということはありうるなあ」
 カントクは、やはりすぐに同調する。
「確かに、吉野ヶ里遺跡から大量に見つかった甕棺(かめかん)は子宮を思わせる。しかし、割竹型木棺や、割竹形や長持形、舟形、家形などの石棺をみると、死体を収めたのは、霊(ひ)宿ると考えられた巨木や霊(ひ)を運ぶ長持ちや船、霊(ひ)が宿る家などに変わってきたのかも知れないな」
 長老の解釈に高木は納得できた。
「しかし、血を表す丹が棺の内部に撒かれていたということは、やはり、棺を子宮と考えた名残ではないのかな」
マルちゃんは子宮説にこだわっている。
「前方後円墳は、壺の形を模したものである、という説もあったな」
カントクも同調する。
「甕棺に葬った時代は、人が大地に帰り、大地から再生すると考えられていた黄泉帰り宗教の段階で、甕棺の内部を朱に塗って子宮に見立てたと思います。しかし、霊(ひ)が天にのぼり、再び地上に降りてくる、という宗教思想が生まれると、遺体を霊(ひ)が降臨する山上の巨木や巨石に入れる思想に変わり、甕棺から木棺や石棺に代わったと思います。その棺(ひつぎ)の形は、最初は巨木を割った割竹形とし、石棺になってから長持形や舟形にしたのは、霊(ひ)を運ぶものと考え、家形にしたのは、霊(ひ)が帰ってくる場所と考えたと思います。
従って、この段階では、墳墓の形を子宮型にするということは思想的にありえないと思います」
ヒナちゃんの考えはブレない。
「しかし、霊(ひ)継ぎの場面を再現した埴輪群のある八幡塚古墳は、保渡田(ほとだ)といったわよね。女性の性器の『ホト』が付いた地名が残っているということは、お墓を子宮と考える子宮回帰の宗教思想が残っていたんじゃない?」
マルちゃんの話は、全国どこにでも飛んでいく。
「子宮回帰思想は前方後円墳よりずっと前の宗教思想だから、子宮回帰思想から壺型の前方後円墳ができた、というのは考えにくいね。墓の上での霊(ひ)継ぎ儀式の場と、前王の埋葬場所を分離した、ということだと思うよ」
長老の考えは無理がない。
「墓の上に、壺をずらっと並べる、というのは、天に昇った祖先の霊(ひ)を壺の形の子宮に回帰させようとした、ということは考えられません?」
マルちゃんは食い下がる。
「それは、ありうるんじゃない。底が抜けた壺を並べているのは、天から壺に霊を受け止め、棺に導くという考え方は成り立つね」
カントクは面白い発想に同調しやすい。
「しかし、元々は、祖先霊に捧げるお供え物を置く台や、水を捧げる壺だった、ということはありません? 現在のお墓だって、墓の前に水を置きますよね」
 高木としては、いろんな可能性を検討しておきたかった。
「壺を並べている古墳があるし、壺の底が抜けているというのはどうなの?」
 マルちゃんはネバる。
「雨水が溜まって腐らないように壺の底を抜いた、ということも考えられますよね」
 高木も負けてはおれなかった。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ホームページ:霊(ひ)の国古代史研究室(http://www.geocities.jp/hinatsutomu)
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