西宮神社(西宮のえべっさん:ウィキペディアより)
●カントク 20:37
「天」の国々を調べるためには、イヤナギ・イヤナミの国造りをみていく必要があるな。ヒナちゃん、解説してくれない。
●ヒナ 20:39
イヤナギとイヤナミは御柱を右と左に別れて廻って出会い、イヤナミが最初に「ああ、いい男」と言い、次にイヤナギが「ああ、いい女」と言ってセックスしたところ、ヒルコ(水蛭子)が生まれたので、葦船に入れて海に流し、さらに淡島を生んだとされています。このヒルコと淡島は、二人の子の仲間には入れなかった、としています。
●ヒメ 20:43
日本神話の最初が、女性差別と障害者殺しの神話というのは、がっがりだよね。
●マル 20:44
実際には、女性優位の伝承であったのを、古事記作成時に男性優位の神話に作り替えた可能性もあるんじゃない?
●カントク 20:46
そうなんじゃ。海に流された蛭児命は西宮に漂着し、西宮のえびす神社、「えべっさん」に大神として祀られておるぞ。この西宮神社は全国の蛭子神系のえびす神社の総本社となっておる。
●ヒナ 20:48
大国主の国造りを助けた少彦名命も、「天の羅摩船(かがみぶね:長さ10㎝ほどのガガイモで作った船)」で流れ着いた小人とされています。
●カントク 20:50
障害者を海に流すというのは残酷じゃが、古代人にとっては、神の元に帰す、ということではなかったのかな。海から流れ着いた蛭子を神としてあがめたり、「雛まつり」の原型の「雛送り」の儀式は、海の彼方に神の国がある、という宗教があったことを示しておる。
●マル 20:54
大国主の子の事代主神(ことしろぬしかみ)もえびす(夷、戎、恵比寿)と呼ばれ、美保神社を総本社とする事代主系の恵比寿神社に祀られていますよね。
●カントク 20:56
大国主の国譲りの時に、タケミカヅチは美保ヶ崎の事代主に国譲りを強要し、事代主は国譲りを了承し、船から手を逆さに打って隠れたとされておる。逆さ手に拍手したということは、海中の神の国に拍手して神の国に行ったので「えびす」と呼ばれ、神として信仰されたのではないかな。
●ヒナ 21:00
イヤナギとイヤナミは、ヒルコと淡島に続いて、8島(淡路島、伊予二名島、壱岐三子島、筑紫島、隠岐島、津島、佐渡島、豊秋津島)と6小島(吉備児島、小豆島、大島、女島、知訶島、両子島)を生んだとされています。
●ヒメ 21:03
「天」の名が付く島があったわよね。
●ヒナ 21:04
別名として、「天」の名が付くのは、次の7島です。
隠岐島(天之忍許呂別:オシコロワケ)
壱岐三子島(天比登都柱:ヒトツバシラ)
津馬(天狭手依比売:サデヨリヒメ)
女島(天一根:ヒトツネ、大分県姫島)
知訶島(天之忍男:オシオ、長崎県五島列島)
兩兒島(天兩屋:フタヤ、五島列島南の男島・女島?)
大倭豊秋津島(天御虚空豊秋津根別:アマツミソラトヨアキツネワケ)
●マル 21:06
ヒナちゃんのデータベースからは、すぐにデータがカット・アンド・ペーストででてくるわよね。
大倭豊秋津島(天御虚空豊秋津根別)はどこをさすの?
●ヒナ 21:08
通説では、大倭豊秋津島は大和、奈良盆地のこととされています。しかし、豊(福岡県東部と大分県)が付いていることから、古田武彦氏は大分県の国東半島の「安岐町」のことではないか、といっています。
●カントク 21:11
「地名+固有名詞」で名前が付けられているとみると、「大倭」「天御虚空」の「豊」の「秋(安芸)」の「津島、津根別」ということになる。
安芸というと、宗像三女神を祀る厳島(伊都岐嶋)が古代の中心であろう。この「イツ」から分岐した島、という名前は、対馬の「いつ(厳)」から別れた島、ともとれる。そうすると「厳岐」=「津根別」となる。
「大倭」が「豊」が「安芸」にまで進出した時代の厳島を、「大倭豊秋津島」と言った可能性もある。
●マル 21:17
それって、こじつけじゃあない?「真実は単純明快」が口癖の人とは思えないんだけど。
厳島神社って、祭神の「市寸島比売命(いちきしまひめ)」の名前からとった、と単純に考えるわよね。
●カントク 21:20
まさにそうなんじゃ。宗像大社の名前と三女神を見てみよう。
沖津宮 多紀理毘売命(たきりびめ、 奥津島比売命):沖の島
中津宮 市寸島比売命(いちきしまひめ、市杵島姫神、狭依毘売):大島
辺津宮 多岐都比売命(たぎつひめ):田島
何が見えてくるかな?
●ヒナ 21:24
なるほど、宗像大社は正式には3つの「津宮」なんですよね。
●カントク 21:25
そうなんじゃ。宗像三社は、もともと「津島」の神を祀っておる。そして、大社の上流には秋郷(あきのさと)があるんじゃ。
●ヒメ 21:27
そうすると、大倭豊秋津島(天御虚空豊秋津根別)は、安芸の厳島じゃあなくて、宗像の秋郷でいいじゃない?
●カントク 21:29
博多っ子からみると、そうはいかんな。宗像は豊前じゃあない。筑前なんじゃ。宗像だと「大倭(だいわ)」と言わなくても、「倭(わ)」と言えばよいんじゃ。
●ボク 21:31
銅剣圏は北九州から中国地方に広がっていますから、安芸の国は「大倭」と言ってもいいかもしれません。
●カントク 21:33
おいおい。「大倭」を「だいわ」なんて言っていると、邪馬台国九州説になってしまうよ。ボクちゃん、「おおやまと」と読まないと、邪馬台国畿内説の誰かさんから怒られないかな?
●ボク 21:35
邪馬台国畿内説にとっては、神話時代はどうせ架空の物語ですから、何を言ってもいいんですよ。
●マル 21:36
真面目一徹の石頭かと思っていたけど、ボクちゃん、誤解していたようね。
●ヒメ 21:37
いずれにしても、天(海、海部、海人、海士)の国は、対馬を中心とした、対馬海流にそった島と瀬戸内海西部の島、ということになるね。
通商部族の「天族」は、まさに「打ち廻る 島の埼埼 かき廻る 磯の埼」に拠点を築きながら、「南北に市糴(してき)」し、国際南北貿易を支配して勢力を広げていったのね。
●マル 21:42
全国各地で仕事をしているとわかるけど、「あま」の付く地名は多いのよね。「天川」「天山」「天津」「甘木、天城」などは、天族が進出した痕跡かもしれないね。それと徳島県、和歌山県、愛知県にある海部郡もね。
●カントク 21:45
古事記では、イザナギはスサノオに「海原を支配せよ」と命じておる。スサノオは対馬海峡を支配し、対馬海流に乗って、韓国~筑紫~出雲の国際貿易をした天族の始祖王ということになる。
スサノオというと、乱暴で凶暴な騎馬民族、というような誤ったイメージがばらまかれているけど、海原を船で駆けめぐった交易部族、通商部族なんだよね。
●ヒナ 21:49
私の名字の朝比奈に縁があるので、以前に調べてみたんですけど、天穂日命の子の建比良鳥命(天日名鳥命、天夷鳥命、武日照(ひなてる)命)は、出雲国造や津島県主などの祖である、と古事記の注に書かれています。
天族と出雲族が同族であり、出雲と対馬が結ばれていることは古事記にはっきりと書かれていると思います。
(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)
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●カントク 20:37
「天」の国々を調べるためには、イヤナギ・イヤナミの国造りをみていく必要があるな。ヒナちゃん、解説してくれない。
●ヒナ 20:39
イヤナギとイヤナミは御柱を右と左に別れて廻って出会い、イヤナミが最初に「ああ、いい男」と言い、次にイヤナギが「ああ、いい女」と言ってセックスしたところ、ヒルコ(水蛭子)が生まれたので、葦船に入れて海に流し、さらに淡島を生んだとされています。このヒルコと淡島は、二人の子の仲間には入れなかった、としています。
●ヒメ 20:43
日本神話の最初が、女性差別と障害者殺しの神話というのは、がっがりだよね。
●マル 20:44
実際には、女性優位の伝承であったのを、古事記作成時に男性優位の神話に作り替えた可能性もあるんじゃない?
●カントク 20:46
そうなんじゃ。海に流された蛭児命は西宮に漂着し、西宮のえびす神社、「えべっさん」に大神として祀られておるぞ。この西宮神社は全国の蛭子神系のえびす神社の総本社となっておる。
●ヒナ 20:48
大国主の国造りを助けた少彦名命も、「天の羅摩船(かがみぶね:長さ10㎝ほどのガガイモで作った船)」で流れ着いた小人とされています。
●カントク 20:50
障害者を海に流すというのは残酷じゃが、古代人にとっては、神の元に帰す、ということではなかったのかな。海から流れ着いた蛭子を神としてあがめたり、「雛まつり」の原型の「雛送り」の儀式は、海の彼方に神の国がある、という宗教があったことを示しておる。
●マル 20:54
大国主の子の事代主神(ことしろぬしかみ)もえびす(夷、戎、恵比寿)と呼ばれ、美保神社を総本社とする事代主系の恵比寿神社に祀られていますよね。
●カントク 20:56
大国主の国譲りの時に、タケミカヅチは美保ヶ崎の事代主に国譲りを強要し、事代主は国譲りを了承し、船から手を逆さに打って隠れたとされておる。逆さ手に拍手したということは、海中の神の国に拍手して神の国に行ったので「えびす」と呼ばれ、神として信仰されたのではないかな。
●ヒナ 21:00
イヤナギとイヤナミは、ヒルコと淡島に続いて、8島(淡路島、伊予二名島、壱岐三子島、筑紫島、隠岐島、津島、佐渡島、豊秋津島)と6小島(吉備児島、小豆島、大島、女島、知訶島、両子島)を生んだとされています。
●ヒメ 21:03
「天」の名が付く島があったわよね。
●ヒナ 21:04
別名として、「天」の名が付くのは、次の7島です。
隠岐島(天之忍許呂別:オシコロワケ)
壱岐三子島(天比登都柱:ヒトツバシラ)
津馬(天狭手依比売:サデヨリヒメ)
女島(天一根:ヒトツネ、大分県姫島)
知訶島(天之忍男:オシオ、長崎県五島列島)
兩兒島(天兩屋:フタヤ、五島列島南の男島・女島?)
大倭豊秋津島(天御虚空豊秋津根別:アマツミソラトヨアキツネワケ)
●マル 21:06
ヒナちゃんのデータベースからは、すぐにデータがカット・アンド・ペーストででてくるわよね。
大倭豊秋津島(天御虚空豊秋津根別)はどこをさすの?
●ヒナ 21:08
通説では、大倭豊秋津島は大和、奈良盆地のこととされています。しかし、豊(福岡県東部と大分県)が付いていることから、古田武彦氏は大分県の国東半島の「安岐町」のことではないか、といっています。
●カントク 21:11
「地名+固有名詞」で名前が付けられているとみると、「大倭」「天御虚空」の「豊」の「秋(安芸)」の「津島、津根別」ということになる。
安芸というと、宗像三女神を祀る厳島(伊都岐嶋)が古代の中心であろう。この「イツ」から分岐した島、という名前は、対馬の「いつ(厳)」から別れた島、ともとれる。そうすると「厳岐」=「津根別」となる。
「大倭」が「豊」が「安芸」にまで進出した時代の厳島を、「大倭豊秋津島」と言った可能性もある。
●マル 21:17
それって、こじつけじゃあない?「真実は単純明快」が口癖の人とは思えないんだけど。
厳島神社って、祭神の「市寸島比売命(いちきしまひめ)」の名前からとった、と単純に考えるわよね。
●カントク 21:20
まさにそうなんじゃ。宗像大社の名前と三女神を見てみよう。
沖津宮 多紀理毘売命(たきりびめ、 奥津島比売命):沖の島
中津宮 市寸島比売命(いちきしまひめ、市杵島姫神、狭依毘売):大島
辺津宮 多岐都比売命(たぎつひめ):田島
何が見えてくるかな?
●ヒナ 21:24
なるほど、宗像大社は正式には3つの「津宮」なんですよね。
●カントク 21:25
そうなんじゃ。宗像三社は、もともと「津島」の神を祀っておる。そして、大社の上流には秋郷(あきのさと)があるんじゃ。
●ヒメ 21:27
そうすると、大倭豊秋津島(天御虚空豊秋津根別)は、安芸の厳島じゃあなくて、宗像の秋郷でいいじゃない?
●カントク 21:29
博多っ子からみると、そうはいかんな。宗像は豊前じゃあない。筑前なんじゃ。宗像だと「大倭(だいわ)」と言わなくても、「倭(わ)」と言えばよいんじゃ。
●ボク 21:31
銅剣圏は北九州から中国地方に広がっていますから、安芸の国は「大倭」と言ってもいいかもしれません。
●カントク 21:33
おいおい。「大倭」を「だいわ」なんて言っていると、邪馬台国九州説になってしまうよ。ボクちゃん、「おおやまと」と読まないと、邪馬台国畿内説の誰かさんから怒られないかな?
●ボク 21:35
邪馬台国畿内説にとっては、神話時代はどうせ架空の物語ですから、何を言ってもいいんですよ。
●マル 21:36
真面目一徹の石頭かと思っていたけど、ボクちゃん、誤解していたようね。
●ヒメ 21:37
いずれにしても、天(海、海部、海人、海士)の国は、対馬を中心とした、対馬海流にそった島と瀬戸内海西部の島、ということになるね。
通商部族の「天族」は、まさに「打ち廻る 島の埼埼 かき廻る 磯の埼」に拠点を築きながら、「南北に市糴(してき)」し、国際南北貿易を支配して勢力を広げていったのね。
●マル 21:42
全国各地で仕事をしているとわかるけど、「あま」の付く地名は多いのよね。「天川」「天山」「天津」「甘木、天城」などは、天族が進出した痕跡かもしれないね。それと徳島県、和歌山県、愛知県にある海部郡もね。
●カントク 21:45
古事記では、イザナギはスサノオに「海原を支配せよ」と命じておる。スサノオは対馬海峡を支配し、対馬海流に乗って、韓国~筑紫~出雲の国際貿易をした天族の始祖王ということになる。
スサノオというと、乱暴で凶暴な騎馬民族、というような誤ったイメージがばらまかれているけど、海原を船で駆けめぐった交易部族、通商部族なんだよね。
●ヒナ 21:49
私の名字の朝比奈に縁があるので、以前に調べてみたんですけど、天穂日命の子の建比良鳥命(天日名鳥命、天夷鳥命、武日照(ひなてる)命)は、出雲国造や津島県主などの祖である、と古事記の注に書かれています。
天族と出雲族が同族であり、出雲と対馬が結ばれていることは古事記にはっきりと書かれていると思います。
(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)
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