●カントク 080910 22:49
皆さん、せっかくだから、ちょっとだけ、寄り道しませんか?美味しいものは先に食べる、というのがわたくしの流儀なもんでね。
ヒメの「男は道具、女はゴシップ」という目のつけどころは、さすがだなあ。現代まで、変わらない原理だよなあ。
男としては、「剣」は物証だけに、「どこ」にもからむので先にやっちゃいましょう。
「早寝早起き朝ごはん」のボクちゃん、寝ていなかったら解説してよ?
●ボク 080910 22:55
10時がボクの就寝時間ですからね。学生までは8時だったので、これでもずいぶん夜更かしになったんですよ。皆さんに付き合ってますけど、この課題をこなしてから寝ます。
どうも、うまく乗せられて、スサノオ実在説に加担させられているようなんですけど、旗は降ろしていませんからね。
スサノオには、2本の剣があります。1本は十拳剣(とつかのつるぎ:別名、韓鋤剣など)、もう1本は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ:別名、草薙の剣など)です。
十拳剣はスサノオがヤマタノオロチを切った剣、もう1本はヤマタノオロチから奪った剣です。前者は、韓鋤剣(からさびのつるぎ)とも呼ばれていることから韓で造られた鉄剣、後者は熱田神宮関係者の証言から、銅剣と思われます。
十拳剣は、石上布都御魂神社に祀られていましたが、崇神天皇の時に奈良の石上神宮に移されて祀られていたものの、後に埋められて、明治になってから発掘されています。
天叢雲剣は、スサノオからの戦利品としてアマテラスに贈られ、宮中に置かれた後、アマテラスの鏡とともに伊勢神宮に移され、その後ヤマトタケルによって持ち出され、名古屋の熱田神宮に祀られています。その後、天智天皇の時に、新羅の僧によって盗まれますが、海を渡る前に取り戻され、宮中に置かれます。その後、天武天皇に祟ったということで、再び、熱田神宮に戻されます。
以上が記紀などに書かれたスサノオの2本の剣の由来です。
●ヒメ 080910 22:23
さすがボクちゃん、記憶力抜群ね。ありがとう。そしておやすみ。お姉さんから、チュッ。
しかし、スサノオの剣が埋められて粗末に扱われているのに、ヤマタノオロチの剣が天皇家の王位継承の印の「三種の神器」として扱われているってなぜなの?天皇家にとってみれば、ヤマタノオロチの剣って、1地方の王が持っていた銅剣にすぎないじゃない。
それに、なぜ、スサノオはヤマタノオロチを切った大事な鉄剣を備前に残し、アマテラスにヤマタノオロチの銅剣を贈ったのかしら。
彼女にはスーパーカーを贈り、姉には時代遅れのポンコツカーを贈ったようなものじゃない。
●カントク 080910 22:31
ヒメが横にいるのに、慣れない携帯で、おっさんが苦労してメール会話してるって、笑えるよね。喜劇に使えそう。
しかし、ヒメの発想はいいねえ。いつも「女が男を動かす。事件の陰に女あり」だからなあ。
●ガクセイ 080910 22:36
さしずめ、僕なんかも、ヒメのストーリーの中で動かされている登場人物の一人ですかね。
長老は「スサノオとアマテラスの時代は違う」という説のようですけど、それはさて置いて、記紀のストーリーに沿って意見を述べると、スサノオは、二人の女に剣を贈ったというよりも、むしろ、その子に剣を託したのではではないでしょうか?
剣というのは、王の御霊(みたま=ひ)が宿る、王位継承の印ですからね。
●まる 080910 22:36
スサノオは、愛しい女へ贈り物をしたのではなく、その子へ吉備国の王の印を渡したのか。
しかし、スサノオの十拳剣ではなくて、ヤマトノオロチの剣が、天皇家の王位継承のシンボルとなっているのは何故なの?
スサノオやアマテラスよりも、ヤマタノオロチの方が位が高い、輝かしい王であった、ということになるわよね。
ヤマタノオロチという偉大な王の権力のシンボルである剣を、天皇家は皇位継承のシンボルとしたことになるじゃあない。
●カントク 080910 22:45
こういうややこしい時は、いよいよ僕の出番だね。異説・珍大好きだからね。
もともと、葦原の中国を支配していた出雲族の王は「ヤマトノオロチ」ではないか、という説があるんだよ。
記紀が出雲神話を大きく取り上げているのは、「ヤマトノオロチ」→「スサノオ」→「アマテラス」へと権力が渡されてきた、という歴史を伝えている、というんだな。
「ヤマト」という国が、出雲・岩見・安芸・伯耆・吉備にかけてあり、その王がオロチだった、とは考えられないかな。可能性はあると思うよ。
●ヒメ 080910 23:03
面白くなってきたわよね。しかし、そろそろ私もシンデレラタイム。退場しなければ。
明日は「壬申の乱殺人事件」のための取材旅行で関西なのよ。ガクセイさん。1日くらい、付き合って案内してくれない?是非、アドバイスが欲しいんだけど。
それと、ひなちゃん、帰ってからだけどさあ、資料整理、手伝ってくれない。アルバイト代は、ボクちゃんのところよりいいから。ボクちゃんのお手伝いを裏切らない範囲でね。
●ガクセイ 080910 23:15
いつも、うまく人をころがすよね。「あいにく」と言いたいところですが、ちょうど、奈良に行ってますよ。明日の夜と、翌日は12時までは空いているんだなあ。奈良ならOKですよ。
●ひな 080910 23:17
ヒメ様。楽しそうなお話し、ありがたくお受けします。今なら、手が開いています。ご連絡をお待ちしています。
●カントク 080910 23:19
初秋の奈良、若い二人、絵になるなあ。と言いたいところだけど、いつかのように、二人で死体なんぞを見つけて首を突っ込み、さんざ疑われて、みんなを巻き込まないようにしてよね。 (虎男記)
皆さん、せっかくだから、ちょっとだけ、寄り道しませんか?美味しいものは先に食べる、というのがわたくしの流儀なもんでね。
ヒメの「男は道具、女はゴシップ」という目のつけどころは、さすがだなあ。現代まで、変わらない原理だよなあ。
男としては、「剣」は物証だけに、「どこ」にもからむので先にやっちゃいましょう。
「早寝早起き朝ごはん」のボクちゃん、寝ていなかったら解説してよ?
●ボク 080910 22:55
10時がボクの就寝時間ですからね。学生までは8時だったので、これでもずいぶん夜更かしになったんですよ。皆さんに付き合ってますけど、この課題をこなしてから寝ます。
どうも、うまく乗せられて、スサノオ実在説に加担させられているようなんですけど、旗は降ろしていませんからね。
スサノオには、2本の剣があります。1本は十拳剣(とつかのつるぎ:別名、韓鋤剣など)、もう1本は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ:別名、草薙の剣など)です。
十拳剣はスサノオがヤマタノオロチを切った剣、もう1本はヤマタノオロチから奪った剣です。前者は、韓鋤剣(からさびのつるぎ)とも呼ばれていることから韓で造られた鉄剣、後者は熱田神宮関係者の証言から、銅剣と思われます。
十拳剣は、石上布都御魂神社に祀られていましたが、崇神天皇の時に奈良の石上神宮に移されて祀られていたものの、後に埋められて、明治になってから発掘されています。
天叢雲剣は、スサノオからの戦利品としてアマテラスに贈られ、宮中に置かれた後、アマテラスの鏡とともに伊勢神宮に移され、その後ヤマトタケルによって持ち出され、名古屋の熱田神宮に祀られています。その後、天智天皇の時に、新羅の僧によって盗まれますが、海を渡る前に取り戻され、宮中に置かれます。その後、天武天皇に祟ったということで、再び、熱田神宮に戻されます。
以上が記紀などに書かれたスサノオの2本の剣の由来です。
●ヒメ 080910 22:23
さすがボクちゃん、記憶力抜群ね。ありがとう。そしておやすみ。お姉さんから、チュッ。
しかし、スサノオの剣が埋められて粗末に扱われているのに、ヤマタノオロチの剣が天皇家の王位継承の印の「三種の神器」として扱われているってなぜなの?天皇家にとってみれば、ヤマタノオロチの剣って、1地方の王が持っていた銅剣にすぎないじゃない。
それに、なぜ、スサノオはヤマタノオロチを切った大事な鉄剣を備前に残し、アマテラスにヤマタノオロチの銅剣を贈ったのかしら。
彼女にはスーパーカーを贈り、姉には時代遅れのポンコツカーを贈ったようなものじゃない。
●カントク 080910 22:31
ヒメが横にいるのに、慣れない携帯で、おっさんが苦労してメール会話してるって、笑えるよね。喜劇に使えそう。
しかし、ヒメの発想はいいねえ。いつも「女が男を動かす。事件の陰に女あり」だからなあ。
●ガクセイ 080910 22:36
さしずめ、僕なんかも、ヒメのストーリーの中で動かされている登場人物の一人ですかね。
長老は「スサノオとアマテラスの時代は違う」という説のようですけど、それはさて置いて、記紀のストーリーに沿って意見を述べると、スサノオは、二人の女に剣を贈ったというよりも、むしろ、その子に剣を託したのではではないでしょうか?
剣というのは、王の御霊(みたま=ひ)が宿る、王位継承の印ですからね。
●まる 080910 22:36
スサノオは、愛しい女へ贈り物をしたのではなく、その子へ吉備国の王の印を渡したのか。
しかし、スサノオの十拳剣ではなくて、ヤマトノオロチの剣が、天皇家の王位継承のシンボルとなっているのは何故なの?
スサノオやアマテラスよりも、ヤマタノオロチの方が位が高い、輝かしい王であった、ということになるわよね。
ヤマタノオロチという偉大な王の権力のシンボルである剣を、天皇家は皇位継承のシンボルとしたことになるじゃあない。
●カントク 080910 22:45
こういうややこしい時は、いよいよ僕の出番だね。異説・珍大好きだからね。
もともと、葦原の中国を支配していた出雲族の王は「ヤマトノオロチ」ではないか、という説があるんだよ。
記紀が出雲神話を大きく取り上げているのは、「ヤマトノオロチ」→「スサノオ」→「アマテラス」へと権力が渡されてきた、という歴史を伝えている、というんだな。
「ヤマト」という国が、出雲・岩見・安芸・伯耆・吉備にかけてあり、その王がオロチだった、とは考えられないかな。可能性はあると思うよ。
●ヒメ 080910 23:03
面白くなってきたわよね。しかし、そろそろ私もシンデレラタイム。退場しなければ。
明日は「壬申の乱殺人事件」のための取材旅行で関西なのよ。ガクセイさん。1日くらい、付き合って案内してくれない?是非、アドバイスが欲しいんだけど。
それと、ひなちゃん、帰ってからだけどさあ、資料整理、手伝ってくれない。アルバイト代は、ボクちゃんのところよりいいから。ボクちゃんのお手伝いを裏切らない範囲でね。
●ガクセイ 080910 23:15
いつも、うまく人をころがすよね。「あいにく」と言いたいところですが、ちょうど、奈良に行ってますよ。明日の夜と、翌日は12時までは空いているんだなあ。奈良ならOKですよ。
●ひな 080910 23:17
ヒメ様。楽しそうなお話し、ありがたくお受けします。今なら、手が開いています。ご連絡をお待ちしています。
●カントク 080910 23:19
初秋の奈良、若い二人、絵になるなあ。と言いたいところだけど、いつかのように、二人で死体なんぞを見つけて首を突っ込み、さんざ疑われて、みんなを巻き込まないようにしてよね。 (虎男記)
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。
後で調べると、日立金属安来工場
というとこらしく、刃物なども有名でなるほどスサノオかと納得した。
潤滑油を一つの部品として考えることが大切だと思いました...