ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団87 石の方殿は、なぜ山頂に立てられなかったか

2010-05-27 19:45:25 | 歴史小説
伊保山から見た竜山と瀬戸内海

「皆さん、裏山に登ってみません。高御位山をみたいなあ」高木も皆さんを竜山の頂上へ案内しょうと思っていたところだった。高木が声をかけるまでもなく、皆は頂上への道を捜し初めていた。謎解きに夢中になり、われ先にという状況であった。方殿の左手に進むと、岩盤の斜面に石を削った階段があり、それを昇ると石の方殿を斜め上から見ることができた。方殿を背後から眺めて、高木はこの石の方殿を計画した人物のスケールの大きさ、ずば抜けて独創的な構想力を実感した。これを大国主と少彦名の国づくりのモニュメントと見抜いたヒメの感性は大したものだ。方殿の裏手を回り、一行は頂上を目指した。頂上に昇ると、まさに四方八方が一望できた。「北に見える頂上に巨岩がある山が高御位山です。東側は加古川を越えて加古川平野が開け、南には高砂市街が広がっています。その先は瀬戸内海で、さらにその先には東から南へ淡路島が見え、西には家島群島とその奥に小豆島が見えます」高木はスマートフォンでグーグルマップを見ながら説明した。「古代には、どのあたりまで、海だったのかしら」マルちゃんがすかさず聞いてきた。「古代には海抜5~6mあたりまでは海だったと言われていますから、この山の下から南の高砂市街地、加古川平野のかなりの部分は海だったのではないでしょうか?」国土地理院の地図閲覧サービスで2万5千分の1の地図を見ながら高木は答えた。かつては、縮尺の異なる地図を何枚も持って歩かなければならなかったが、今は便利になったものである。「先ほどここまで登りながら不思議に思ったのだけど、なぜ大国主と少彦名が頂上ではなく、山の中腹を選んで方殿を造ったのかしら」ヒメの関心は、高御位山から、方殿の謎解きに変わってしまっていた。こういう子どもがいて、授業中に質問ばかりされていた教師はさぞかし困っただろうな、と高木は同情せざるをえなかった。とはいっても、今や有名な推理小説家になっているのだから、教師もその苦労話を自慢しているのかもしれない。「確かに、ヒメの言うように、この頂上に方殿を削り出すことも出来るな。ここに立てた方が、四方から目に入る効果ははるかに大きい」長老の言うとおりである。なぜ、山の中腹なのであろうか、高木も疑問に思わざるをえなかった。「もう1つの謎は、なぜ、最初から方殿を立てた状態で建造しなかったのかしら? 寝かせた状態で造って、あとで立ち上げるなんて、大変じゃない」ヒメは疑問を感じると、口に出さずにはおれない。そして、謎を解かなければすまない質である。何事も素直に丸ごと受け入れてしま、丸暗記してしまう受験優等生の高木には、このように次々と疑問を持つことはなかった。「頂上に造るとなると、削り出す岩石の量が大量になりすぎるからじゃないの?」マルちゃんが、高木が考えていたのと同じ答えを先に言ってしまった。なだらかな山頂に高さ7mの方殿を残して掘り下げるのは大変な作業になる。「それはどうかな? 掘り下げた石をゴミとみれば膨大な作業になるが、石材としてみると、人々に喜ばれる資源にならないかな?」カントクもなかなか柔らかでユニークな発想をする。ヒメといい勝負である。「その謎を解く鍵は、当時の人々の宗教思想にあると思います」思いもかけないヒナちゃんの発想であった。「このような山全体が巨岩からなる場所は、その全体が神々天からおりて宿る聖なる神那霊(かんなび)山であったと考えられます。特にその頂上は、磐座(いわくら)として、この地域の人々の聖地だったのではないでしょうか。神那霊山を崇める出雲族の大国主や少彦名が、その聖地を削ることは考えられません」ヒナちゃんの説明は高木の中にもすんなりと入ってきた。「確かにそうだ。播磨の人々の聖地を、出雲からきた大国主と少彦名が占拠するということはありえないな。天と地を繋ぐ神那霊山の磐座は播磨の人々の神聖な場所だから、大国主と少彦名が独占することはありえないな」宗教にはうるさいカントクが直ちに賛同した。「そうよね。竜山の頂上の磐座よりも、一段下がったところに、地上の支配者である二人の王が建国儀式に使う方殿を築こうとした、というのは当然よね」ヒメも古代人の宗教からの説明に納得したようだ。

資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)姉妹編:「邪馬台国探偵団」(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)

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神話探偵団86 「石の宝殿」は「石の方殿」

2010-05-19 15:41:02 | 歴史小説
四角形の平面の方殿

「私は、宝殿の宝は、元々は宝ではなく、四方の方を使った方殿であったと思います」
「なるほど、東西南北の四方を平らげた大国主と少彦名が即位する方殿、その方が筋が通っている」
カントクは女性意見には、直ちに同調する。
「そう言えば、天皇が霊(ひ)継ぎの儀式を行う高御座(たかみくら)は、正方形の方壇の上に、八角形の屋形が乗っているなあ」
長老も納得したようだ。
「方形の基壇と八角形の屋形というのは、どういう意味を持っているのかしら?」
マルちゃんが聞いた。
「四角形は、東西南北の地上を、八角形は八方を支配する王を表している。聖徳太子ゆかりの法隆寺の夢殿や舒明・天智・天武天皇などの八角墳に八方は使われている」
長老の説明は淀みがない。
「そう言えば、最近、前方後円墳の形状について、中国・インドの天円地方の思想に基づき、前方は地上を表し、後円は天を表している、という説を読んだことがある。後円部に葬られ、天に昇った先帝の霊(ひ)を後方部の方壇の上で、次の天皇が受け継ぐという、霊(ひ)継ぎの儀式が行われた、という説だったな」
カントクが大好きな宗教世界に入ってきた。
「天円地方思想に基づく石の方殿説か、魅力的な引き込まれるような説よね」
マルちゃんも賛同者になったようだ。
「後で説明する予定だったんですが、この伊保山の北側にある山の名前は高御位山(たかみくらやま)で、地元では単に『たかみくら』と言っています。天皇の即位儀式に使われる高御座(たかみくら)と同じ名前の山は、全国でここにしかありません」
ヒナちゃんの頭の中では、しっかりと1つの仮説が出来上がってきているようだ。

資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
姉妹編:「邪馬台国探偵団」(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)

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神話探偵団85 「将座」の謎解き

2010-05-13 06:18:37 | 歴史小説
上からみた石の宝殿

「この場所で石槨説は成り立たないよ。この巨大な石造物を下に運び下ろすことが考えられない以上、ここで使われる予定であったと考えると以外にない。そうなら、ここで岩に直接、横穴式の石槨を彫って、その中に石棺を置けばよいからね。石槨なら横倒しにする形で彫って、あとで起こして立てるということはありえない」
長老は、他の学者の説への批判は手厳しい。
「それより、オオナムチ・少彦名のいましけむ、の歌が気になるなあ。大国主と少彦名を葬る予定なら、こんな表現は絶対にしないね」
ヒメは言葉にはトコトンこだわる。
「万葉集の元の漢字はどのように書かれていたの?」
マルちゃんから指令が飛んできたが、高木の記憶ははっきりしない。
「将(まさ)にの将と、座(ざ)すの座の字が使われています」
ヒナちゃんは用意していたかのように直ちに答えた。こと調査については、高木はヒナちゃんに負け続けであった。調査スケジュールを組むのに掛かり切りであったので仕方ないともいえるが、やはり心穏やかではない。
「そうすると、『いましけむ」は生きている大国主と少彦名が将に座ろうとした、という意味よね。死体を葬る、ということはありえないわ」
マルちゃんが的確にフォローした。
「将という字は、将来のように未来を指す漢字と思うけど、将軍や大将に使われるように、トップを指す漢字よね。王としてまさに座ろうととした、という意味じゃないの」
ヒメの推理力は、いつもユニークで群を抜いている。さすがミステリー大賞作家、と高木はファンクラブ事務局長として、感心してしまうのであった。
「さすがだなあ。さしずめミステリー大将の称号に恥じない名推理。蛇足だけど、大将は大きな賞ではなく、山下画伯の大将だからね」
高木が感心している間に、カントクはベタボメである。ダジャレの解説まで付け加えるおっさんにはかなわない。
「大国主と少彦名が建国宣言を行う予定であった玉座を置くための宝殿、確かに、そう解釈すると、大石村主真人が聖武天皇に捧げた歌にふさわしい」
長老が誉めるところを見ると、どうやら、ヒメの推理力は長老を超えたらしい。
「間壁忠彦・葭子氏の石槨説はいただけないが、益田岩船と同じように、2つの部屋が作られる予定であった、という説は実に素晴らしい卓見じゃ。この2つの部屋は、大国主と少彦名の玉座をそれぞれ設ける部屋であった、ということになるな」
カントクが橿原市にある益田岩船に皆の注意を向けた。
「そうですね。この播磨の石の宝殿と大和の益田岩船、同じ形状の2つの建造物を同時に構想したということになると、石槨説は成り立たないですね。墓を2か所で造ることはありえないですからね。大国主と少彦名が2か所に建国の儀式を行う宝殿を設けた、と見るべきでしょうね」
長老はやはり間壁説にこだわっているようだ。
「益田岩船の2つの穴の大きさはどれくらいなの?」
またまた、マルちゃんの質問だ。あわてて、高木はスマートフォンでホームページを検索してみた。
「起こして立てた状態で考えると、高さ1.6m、幅1.6m、奥行き1.3mですね」
「そうすると、立てた状態で幅6.4m、高さ7.2m、奥行き5.7mの石の宝殿には十分にそれ位の穴は彫れるわよね」
「当時の人々の身長は現代人より低く、160㎝前後であったとされていますから、立って入り、椅子に坐ることは可能と思います」
高木は素早くネットで縄文人・弥生人の平均身長を調べて答えた。
「石の宝殿は大国主と少彦名が建国の儀式を行おうとした石の建物、これで決まりよね」
マルちゃんが最後の締めくくりを行った。
「少し違うと思います」
みんなが同意しかけた時に、突然、ヒナちゃんが否定的な発言をしたので、高木はびっくりしてしまった。

資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
姉妹編:「邪馬台国探偵団」(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

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神話探偵団84 石の宝殿の謎

2010-05-04 00:02:28 | 歴史小説

仕事の都合で4か月間、休みをいただきましたが、この連休から連載を再開します。ご愛読いただいている皆様にはご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。日南虎男 「石の宝殿」兵庫建築士会ホームページ『兵庫探訪』より http://www.hyogo-aba.or.jp/tanbou/50anive/50/sibulist.htm

石の宝殿に登るには、先ほど見た東から登る階段とは別に、南側の中腹の駐車場から登るスロープがあった。ダラダラと昇って行くと、右手に舞台、左手に拝殿と本殿があった。この舞台、拝殿、本殿を貫いて中央に東から階段と通路が通る、珍しい割拝殿の形式をとっている。その通路の奥、正面に石の宝殿があった。この生石(おうしこ、おいしこ)神社は巨石の磐座(いわくら)を神体とする古い宗教様式を示している。「大きいなあ」初めて見るカントクの感想である。「幅6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2mで、推定重量は500tとされています。大阪城最大の蛸石が幅11.7m、高さ5.5m、奥行き推定0.9m、推定重量は130tですから、重量では4倍近くになります」高木は自慢のスマートフォンに入れてきたデータを紹介した。「この石はどういう石なの?」いつものように、ヒアリング大好きのマルちゃんから質問が飛んできた。「火山灰が固まってできた流紋岩質溶結凝灰岩といわれる柔らかい石です。竜山石と呼ばれ、古代には石棺として使われ、間壁忠彦・葭子氏によると、兵庫県内だけでなく、山口・広島・岡山・大阪・奈良・滋賀に運ばれています。姫路城の石垣や土台、日本帝国ホテル、国会議事堂などにも使われています」「これってどうやって作ったのかしら」今度はヒメの番だ。「岩盤を上から四角に切り込んでいったのではないでしょうか」「ここは、標高50~60mってとこかな。ここで作って平地に降ろす、ということは考えられないなあ」長老の考えはもっともだ。「後で近くの石切場を見ますが、運び出すつもりなら、平地で切り出したと思います」「そうだね。当時は、この山裾まで海が迫っていたに違いないから、イカダに載せて遠くに運び出すなら、海面すれすれの所で作業するよね」どうやら、長老は間壁忠彦・葭子氏の『日本史の謎・石の宝殿』を読んでおり、蘇我氏が作らせて大和に運ぶつもりであった、という説に反対のようだ。「この裏側にある突起は何なのかなあ?」先に裏手に回ったマルちゃんは、側面屋根型の突起を指さしながら質問するでもなく、つぶやいていた。「もともと、この屋根型の突起のある部分が上面にくるように、完成後に全体を前に倒して起こす予定であったのではないか、と考えられています」高木は間壁氏の説をそのまま述べた。確かに、この巨石の底の部分も彫り込まれており、全体が一部分だけで下の岩盤と繋がっているのであった。そこには水が溜まっていたので、ちょうど岩全体が水に浮かんでいるように見える。「不思議よね。なぜ、最初から屋根を上にして立てた形で岩を彫り込まなかったのかしら」高木も間壁説を紹介しながら、ヒメと同じ疑問を感じていたところであった。「それに、これで完成型なのかしら?」質問魔で教師を困らせ、特殊学級、今の特別支援学級に入れられそうになったというヒメの性格は今も変わらない。「間壁説は、橿原市にある益田岩船の形状から、現在の石の宝殿の上面はくり抜かれ、2つの部屋が作られる予定であったのでは、という説を唱えています」高木は、出身地の葛城市に近い益田岩船のことを紹介しておきたかった。「益田岩船って、松本清張さんはゾロアスター教の拝火台であるという説だったわよね」「他にも、益田池を造った弘法大師の石碑の台石、占星術の天体観測台、横口式の石槨、火葬墳墓などの説があります」「間壁説はどうなの?」「蘇我王朝のモニュメントとなる横口式の石槨という説です」「この中に2つの石室を作り、石棺が入るかしら?」そう言われてみると、2つの石棺を入れるのは難しいとしても、1つなら入れられないことはなさそうだ。スマートフォンでデータを見ると、立てた状態で左右は6.4m、奥行きは約5.7mであった。 ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です。姉妹編として「邪馬台国探偵団」(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)を始めました。 にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ