「黄泉の穴」とされる平田市の「稲目洞窟」
(右下の舟置き場の浜から奥に続いている)
●ボク 20:11
ちょっと、ちょっと待って下さい。
「アマテラスが岩屋に籠もった」というのは、単に抗議のための「引きこもり」ということも考えられますよね。
●カントク 20:14
「アマテラス隠れんぼ説」とは面白いな。
しかし、記紀と同時代に書かれた万葉集では、「籠もる」「雲隠る」は貴人の挽歌に使われておる。
●ヒナ 20:16
万葉集では、皇族の死を「岩戸を開き、神上がり」「岩戸立て、隠り」とも表現していますから、岩戸は石室を表していると思います。
「天の岩屋」神話は、横穴式石室が北九州で4世紀後半に生まれた後にできた物語、というのが通説です。
●ボク 20:19
イヤナギが黄泉の国から逃れ出た時に、出口を岩で塞いだ、という表現はどうなりますか。地底の洞窟から地上に出てくる物語と思いますが。
●マル 20:21
「出雲国風土記」の「黄泉の穴」は出雲市の裏山を越えた海岸にある「稲目洞窟」というので見てきましたよ。「夜、この洞穴を夢で見たものは死ぬ」とされ、多数の人骨が出土したそうだけど、入り口は広々としてたわよ。
●カントク 20:24
「黄泉がえり信仰」の時代には、入り口を岩で塞ぐという宗教思想はないんじゃないかな。死の国を岩で塞ぐというのは、横穴式石室が作られるようになってから以後の表現じゃ。
●ヒナ 20:26
イヤナギやスサノオ、大国主の時代は、墳丘墓に上から穴を掘って木棺や石棺を埋め、土をかぶせる埋葬方法です。まだ、石室はありません。
●ボク 22:28
卑弥呼が死んだとき、「殉葬者百余人」というのは、どうなります?
●ヒナ 20:29
死者は大地に帰り、そこから生命が生み出されるという「黄泉がえり」の宗教、地母神信仰からは、殉死や殉葬はでてこないと思います。地下で王が生前と同じように暮らすという思想が中国から入ってきたのだと思います。
●ヒメ 20:32
アマテラスの高天原は地上の物語、ということでいいわよね。
いよいよ、ホビットさんお待ちかねの、高天原探しに移りましょうよ。
●ボク 20:34
イヤナギから、アマテラスは高天原、月読は「夜食国(よるのおすくに)」、スサノオは「海原」を支配することを命じられます。
●ヒメ 20:36
地上の支配者はいないのね。やっぱり、高天原は地上にあることになるわよね。
●ボク 22:37
スサノオは長いヒゲが生えるようになっても、母の「根堅州国」(出雲)へ行きたいと泣き叫び、イヤナギから「この国に住むべからず」と追放されます。そこで、スサノオは、姉と話をつけようと、高天原に上ります。
●カントク 20:40
「天上がり決死隊」じゃな。アマテラスは、「わが国を奪おうと欲している」と弓矢で武装し、迎え撃った。
●ヒナ 20:42
「筑紫の日向の橘」からスサノオが上った時に、「山川がことごとく動き、国土が皆震えた」というのですから、地面を踏みならして軍勢が山を登った様子を表しています。天空へ飛んで上がった様子ではありません。
●ホビット 20:45
そうすると、「筑紫の日向の橘」の背後の山を登ったところに高天原はある、ということになりますね。「高天原」は、「天(あま)」の「高原」で決まり、ですね。
●ヒメ 20:47
「高天原」へようこそ。ようやく見つけてくれましたね
●カントク 20:48
ヒメの『邪馬台国殺人事件』の現場にたどり着いたようじゃな。
「天」は甘木じゃ。その「日向(ひな城)」の背後には、前に佐田川が流れる「高原」がある。今は、「美奈宜の杜」という美しい住宅団地とゴルフ場になっておるが、旧甘木市一帯を見下ろす高原じゃ。
●ヒメ 20:52
懐かしいわよね。寺内ダムができていて、標高100mを越える高台があり、ざっと100haはあるかしら。そこから、秋月まで含めるとその何倍あるかしら。まさに「高天原」といえる高台なのよ。
●マル 20:55
私も久留米の仕事のついでに見てきました。日本書紀では、神功皇后は荷持田(のとり)村にいた羽白熊鷲を討ったとされているけど、この高台には「似鳥」、秋月の「野鳥」という地名があり、高台の下は「荷原(にないばる)」というのよ。
「羽白(はしろ)=羽城=杷木」の熊鷲王の拠点は、この高原に置かれていたに違いないわ。
(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)
,,,
(右下の舟置き場の浜から奥に続いている)
●ボク 20:11
ちょっと、ちょっと待って下さい。
「アマテラスが岩屋に籠もった」というのは、単に抗議のための「引きこもり」ということも考えられますよね。
●カントク 20:14
「アマテラス隠れんぼ説」とは面白いな。
しかし、記紀と同時代に書かれた万葉集では、「籠もる」「雲隠る」は貴人の挽歌に使われておる。
●ヒナ 20:16
万葉集では、皇族の死を「岩戸を開き、神上がり」「岩戸立て、隠り」とも表現していますから、岩戸は石室を表していると思います。
「天の岩屋」神話は、横穴式石室が北九州で4世紀後半に生まれた後にできた物語、というのが通説です。
●ボク 20:19
イヤナギが黄泉の国から逃れ出た時に、出口を岩で塞いだ、という表現はどうなりますか。地底の洞窟から地上に出てくる物語と思いますが。
●マル 20:21
「出雲国風土記」の「黄泉の穴」は出雲市の裏山を越えた海岸にある「稲目洞窟」というので見てきましたよ。「夜、この洞穴を夢で見たものは死ぬ」とされ、多数の人骨が出土したそうだけど、入り口は広々としてたわよ。
●カントク 20:24
「黄泉がえり信仰」の時代には、入り口を岩で塞ぐという宗教思想はないんじゃないかな。死の国を岩で塞ぐというのは、横穴式石室が作られるようになってから以後の表現じゃ。
●ヒナ 20:26
イヤナギやスサノオ、大国主の時代は、墳丘墓に上から穴を掘って木棺や石棺を埋め、土をかぶせる埋葬方法です。まだ、石室はありません。
●ボク 22:28
卑弥呼が死んだとき、「殉葬者百余人」というのは、どうなります?
●ヒナ 20:29
死者は大地に帰り、そこから生命が生み出されるという「黄泉がえり」の宗教、地母神信仰からは、殉死や殉葬はでてこないと思います。地下で王が生前と同じように暮らすという思想が中国から入ってきたのだと思います。
●ヒメ 20:32
アマテラスの高天原は地上の物語、ということでいいわよね。
いよいよ、ホビットさんお待ちかねの、高天原探しに移りましょうよ。
●ボク 20:34
イヤナギから、アマテラスは高天原、月読は「夜食国(よるのおすくに)」、スサノオは「海原」を支配することを命じられます。
●ヒメ 20:36
地上の支配者はいないのね。やっぱり、高天原は地上にあることになるわよね。
●ボク 22:37
スサノオは長いヒゲが生えるようになっても、母の「根堅州国」(出雲)へ行きたいと泣き叫び、イヤナギから「この国に住むべからず」と追放されます。そこで、スサノオは、姉と話をつけようと、高天原に上ります。
●カントク 20:40
「天上がり決死隊」じゃな。アマテラスは、「わが国を奪おうと欲している」と弓矢で武装し、迎え撃った。
●ヒナ 20:42
「筑紫の日向の橘」からスサノオが上った時に、「山川がことごとく動き、国土が皆震えた」というのですから、地面を踏みならして軍勢が山を登った様子を表しています。天空へ飛んで上がった様子ではありません。
●ホビット 20:45
そうすると、「筑紫の日向の橘」の背後の山を登ったところに高天原はある、ということになりますね。「高天原」は、「天(あま)」の「高原」で決まり、ですね。
●ヒメ 20:47
「高天原」へようこそ。ようやく見つけてくれましたね
●カントク 20:48
ヒメの『邪馬台国殺人事件』の現場にたどり着いたようじゃな。
「天」は甘木じゃ。その「日向(ひな城)」の背後には、前に佐田川が流れる「高原」がある。今は、「美奈宜の杜」という美しい住宅団地とゴルフ場になっておるが、旧甘木市一帯を見下ろす高原じゃ。
●ヒメ 20:52
懐かしいわよね。寺内ダムができていて、標高100mを越える高台があり、ざっと100haはあるかしら。そこから、秋月まで含めるとその何倍あるかしら。まさに「高天原」といえる高台なのよ。
●マル 20:55
私も久留米の仕事のついでに見てきました。日本書紀では、神功皇后は荷持田(のとり)村にいた羽白熊鷲を討ったとされているけど、この高台には「似鳥」、秋月の「野鳥」という地名があり、高台の下は「荷原(にないばる)」というのよ。
「羽白(はしろ)=羽城=杷木」の熊鷲王の拠点は、この高原に置かれていたに違いないわ。
(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)
,,,