ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

9 吉備のスサノオ

2008-11-29 17:05:33 | Weblog
石上の地名と石上布津御霊神社(備前之国一の宮)

●長老 080910 21:01
 カントク達が酒場でわいわいやっているようなので、私たちはパソコンの前に集まって、酒でも飲みながらネットパーティといきましょうか。
 ところで「長老」がコナンのように「ガクセイ」に変身してしまったと思ってはいまいな。「長老」から「ガクセイ」は分身したのであって、「長老」は健在なのじゃ。念のために申しておくぞ。
 日本史ミステリーの口調がカントクから移ってしまったぞ。リセットじゃあ。

 父の田舎が岡山なので、ついつい吉備びいきになってしまいますが、日本書紀の一書第3は、ヤマタノオロチ退治でスサノオが使った剣は、吉備の神部のところにあり、出雲の簸(ひ)の川の川上の山としています。
 古事記や日本書紀に出てくるヤマタノオロチ退治が出雲国風土記に出てこないことから見て、その場所は出雲国の範囲にはなく、吉備の地にあった可能性があります。
 出雲国風土記は、播磨国風土記に出てくる大国主神の活躍などは一切載せていないことからみても、出雲国の範囲での地誌しか載せていません。出雲国風土記にスサノオのヤマタノオロチ退治がでてこないのは、スサノオが存在しなかったのではなく、この出来事が出雲国の範囲の外であった事件だからと考えられます。
 もちろん、それは出雲国風土記が書かれた頃のことであって、スサノオの時代には、このヤマタノオロチの拠点は出雲国に含まれていたと思われます。

●まる 080910 21:16
 愛機、ウィルコムのアドエスを使って、リアル飲み会から参加しますよ。酔っているので、地名とか間違えるかも。
 私は出雲から倉敷へ車で移動したことがあり、多少、土地勘があるのよね。肥の河、現在の斐伊川を上流に上ると、島根・広島・鳥取・岡山4県の県境になり、イザナミが葬られた比婆山やヤマタノオロチのいたという船通山があります。
 ここは4県の主要河川の源流部なんです。西へ三次盆地を経て江川、東へ日野川、南へは広島県から岡山県に入り、成羽川から高梁川にそって下ると、古代、吉備国の中心部、造山古墳のある総社市へ抜けられますよね。
 ヤマタノオロチの拠点は、この地域のどこかにあったのは間違いないのじゃないかしら。

●長老 080910 21:26
 記紀の記載からみて、ヤマタノオロチの拠点は船通山の西の鳥取県側か、その南の広島県側(備後)、あるいは岡山県側の3つの可能性があります。
 さらに、日本書紀の1書第3が、スサノオがヤマタノオロチを切った十拳剣(とつかつるぎ。別名を韓鋤剣=からさびのつるぎ)を「備前の神部」に置いたとしていることからみて、この十拳剣が置かれたところが、ヤマタノオロチの拠点で会った可能性があります。
 この十拳剣は、崇神天皇の時に備前の石上布津御霊神社(備前之国一の宮)から、大和の石上神宮に移されたと神宮の記録に残されています。なお、この「布津御霊」というのは、スサノオの十拳剣のことです。
 この「石上布津御霊神社」は、旭川上流の津山市よりは少し下ったところにあり、赤磐市(旧吉井町)の、旧建部町、旧御津町に接するあたりで、岡山県のほぼ中央部になります。この地は、戦後まで鳥取上村、鳥上などと呼ばれており、ヤマタノオロチのいたという「鳥上」地名が一致します。
 一方、船通山の周辺には「鳥上」地名は残っていません。

●まる 080910 21:56
 しかし、斐伊川の上流というには、船通山周辺なら分かりますが、岡山県中央部を流れる旭川の中流域では、ずいぶんと離れていますね。

●長老 080910 21:58
 確かに。この旭川中流の「鳥上」は、斐伊川の上流とは、言えませんね。
 スサノオはヤマタノオロチを殺したあと、出雲の須賀にもどって宮を造り、有名な「八雲立つ、出雲八重垣・・・」の歌を詠み、櫛名田比売と子をもうけたとされています。
 従って、備前の「鳥上」の石上に十拳剣を残したのは、その後のこととも考えられますね。
 斐伊川上流の船通山の東側は、鳥取県の日野川の源流部であることから、「鳥取上」の地名がこのあたりにもあった可能性がありますが、地名は見つけられていません。(日南虎男)


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8 スサノオとイソタケルの日本植林発祥の地

2008-11-26 16:50:27 | Weblog
「日本植林発祥の地碑」近くの案内板(基山)

●カントク 080910 21:15
こっちは今、ヒメとまるちゃんと、盛り上がっているよ。
ところで、ボクちゃん、九州で大事なことを忘れてない? わが故郷の博多から大宰府をさらに南に下ったところ、ちょうど筑紫平野への入口のところには、基山という山があるのを、ご存知かな?
この基山は、スサノオが高天原から追放され、子の五十猛神(イソタケル)と新羅に行き、持ち帰った木の種を最初に植えたという言い伝えがある。頂上の草スキー場のところに植林発祥の地の石碑が建てられており、麓には五十猛神を祀る荒穂神社もある。
日本書紀では、五十猛神は、天降りする時に多くの樹種を韓国に持っていったが、韓国には殖えずに持ち帰り、筑紫から始めて各地に植えた、そして紀伊国に住んだ、と言っている。

●ボク 080910 21:55
カントクの悪いクセです。またまた若者を試して楽しんでいますよね。
日本書紀の一書第4には、スサノオは筑紫に帰ってきたとは出てきません。知っていて、フェイントをかますんですから。
高天原から追放されたスサノオは、新羅のソシモリに行ったものの、この地には住めないと言い、息子のイソタケルと土で作った船で東に渡り、出雲国簸川(氷川=斐伊川)の上流の鳥上の峰へ到ったとされています。出雲直行であり、筑紫には立ち寄っていません。出雲が新羅(もちろん、当時にはまだ新羅の国はありませんが)の東にあることを正確に伝えていることです。新羅から南に下って筑紫を経て出雲に行くのではなく、東に直行する海路があった、ということです。
 ただし、この日本書紀の記載が、事実を伝えているかというと疑わしいし、仮に、筑紫から始めたとしても、基山という証拠は乏しいのではないでしょうか?
 また、もともと、高天原にあった樹種を持って新羅に行ったというのですから、この国が禿げ山であったとは考えられないし、植林というのも理解に苦しみますね?
 ましてや、石碑となると、林野団体が補助金の一部を使って建てたか、それとも観光協会が建てたのか、我田引水の観光対策ミエミエで、恥ずかしいですよ。

●カントク 080910 22:15
 お主、さすが史学を学んだだけのことはある、といいたいところじゃが、果たしてどうかな?そんな紙面の表面づらをなでただけのことを言っておると、ついつい、テレビ東京の「新説!?日本史ミステリー」の口調になってしまうぞ。

 日本書紀の一書第4を、お主、ちゃんと読んでおるか?
 重要なのは、スサノオが海原を自由に行き来する交易王として描かれていることじゃ。スサノオとイソタケルの行動範囲は、新羅と出雲、筑紫や紀伊に広がっていることがわかろう。その交易においては、樹の種や苗木、木材を運んだのであろう。
 高天原の物語を除いて見ると、スサノオ一族は、魏志倭人伝で対馬国の人々が「南北に市てきする(交易する)」と書かれているのと同じように、何度もこれらの地を航海していたことが、この一書からわかる。
 確かに、一書第4では、スサノオは東に渡って出雲に直行、イソタケルは筑紫から樹を植えた、と2つの行動が同時に書いてあるが、別の時期の出来事が1つに書かれているだけではないかな?
 スサノオとイソタケルは行動を共にしていた、そして、筑紫もその範囲に含まれることが分かろう。
 
 スサノオがいたか、いなかったかは、まず、データを全部出し合ってから、最後に決着をつけようではないか?   (日南虎男)


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7 文献に現れたスサノオ

2008-11-24 07:27:20 | Weblog
●ボク 080910 21:55
 ハイハイ。仕事でクライアントを「使いっ走り」させてきた皆さんですから、市民生活においても同じですよね。

 スサノオが登場する基本的な文献は、古事記と日本書紀、それから出雲国風土記です。
 『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)『日本書紀』では素盞嗚尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)などと表記されています。
 ホビットさんの意見に従い、場所にこだわって、その足跡をたどると、まず生まれた場所は、イザナギ命が死んだイザナミ命を黄泉の国に訪ねて、宍道湖湖畔の黄泉比良坂(よもつひらさか:出雲國の伊賦夜坂:いふやさか)で地上に出て、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊を行った際に産まれたとされています。いずれも、出雲、筑紫の具体的な地名です。
 「古事記」では、イザナギ命が鼻をすすいだ時に生まれたとされており、「日本書紀」ではイザナギ命とイザナミ命の間に産まれたされています。
 成長したスサノオは、高天原にいる姉のアマテラスの後継者を巡って乱暴狼藉を働き、アマテラスが天の岩戸に隠れる事態になり、神々によって高天原を追放されます。戦前までは、この高天原は天上の神の国とされてきましたが、話の流れからすると、「筑紫の日向」の地上のどこかかの可能性もあります。
 その後、スサノオは出雲の斐伊川の上流の鳥髪(とりかみ:船通山)に来て、櫛名田比売(くしなだひめ:奇稲田姫)を助け、越のヤマタノオロチを切り、須賀の地に宮を建てたとされており、全て、出雲にある地名です。
 「出雲国風土記」では、大国主と較べるとスサノオは影が薄く、意宇郡安来郷や飯石郡須佐郷の地名を定めたとか、その御子人(みこと)たちの話が書かれているだけです。有名なヤマタノオロチ退治の話はでてきません。
 死んだ場所は、大国主が「木の国」へ行って根の国へスサノオの訪ねたとされていることや、子のイソタケルが祀られていることから紀伊国(熊野)と考えられますが、墓所の記録や伝承はありません

 以上、出雲、筑紫、紀伊の3か所が、記紀と出雲国風土記に現れたスサノオの足跡です。
 「5w1H」の他のテーマは、その時々に、取り上げていただきたいと思います。(日南虎男)


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6 ウソから出た誠

2008-11-22 10:27:54 | Weblog
●ひめ 080910 16:30
けだるい目覚めです。今宵は酔いつぶれて、明日からは昼型の生活に切り替えたいと思っています。書き上げた『大国の里殺人事件』、ちょっとは期待していて下さい。

一眠りしている間に、いろんな論点がでてきましたね。
カントクの問いかけの「なぜ、夫婦神とせずに、兄弟神として、誓いで子どもを生ませたか」には大いに興味がありますよ。
おっしゃる通り、嘘をホントらしく書く小説家からみると、記紀神話の明らかな「ウソ話」が一番面白い。
歴史家は、ウソかホントか、が問題でしょうけれど、小説家の端くれのひめとしては、嘘をホントのように書いたところより、嘘をわざと嘘らしく書いたり、ホントの話を嘘らしく書いていたりしているところにそそられますね。
「ウソからでた誠」「身からでた錆」が一番面白いんじゃない。カントク?
小説で登場人物を動かす時に、一番苦労するのは動機なんです。ホビットさんの「5W1H」でいえば、私の興味は「何のために」です。推理小説を書いていて、この動機の部分を考えるのが一番難しいけど、楽しい。「好き、いとおしい、嫌い、憎い、殺してやりたい・・・」
 例えば、アマテラスとスサノオの「誓い(ウケイ)」で、アマテラスの玉から5王子、スサノオの剣から3女神が生まれたとされているけど、なぜ、こんな、誰にでも解る嘘を書いたのか、ここから推理小説の謎解きを書きたいよね。

●カントク 080910 17:35
 「祝い人」の岩井の名にかけて、是非、ひめの原稿アップを祝いたいね。場所のメール送ってよ。
 なんか、「ウソからでた誠」だの、「身からでた錆」だの私に当てつけてない?年寄りはちょっとした事でひがむのよ。

 「誓い(うけひ)、誓約」の出てきた背景として、ボクちゃんのアマテラス・スサノオの近親相姦説は、1つの動機になりますね。それを記紀は隠したことは考えられる。
 僕は、アマテラスとスサノオは実際には夫婦で、スサノオの方が偉大な王であったため、天皇家は祖先のアマテラスを上位に持ってくるために、「誓い(うけひ)、誓約」神話が作られたと考えている。

●まる 080910 17:50
 「ほら~小説家」のヒメの発言は、いつもみんなと発想が逆で面白いねよね。
 実は、ちょうど今、石の宝殿のある「大国の里」を新幹線で通り過ぎたところなの。偶然とは面白いよね。9時には東京駅に着くので、お店を教えてよ。『大国の里殺人事件』の話を是非、聞きたいよね。

 スサノオ英雄説とスサノオお坊ちゃん説の争いで楽しいなあ、と思っていたら、スサノオ架空説、スサノオ・アマテラス非兄弟・夫婦説、スサノオ・アマテラス別時代説がでてきましたよね。さらに、方法論として、「神話遺跡を探そう論」と「神話の嘘の動機論」、論点は出尽くしたかな?
 論点整理のために、スサノオに関して、どんなデータがあるのか、ボクちゃん、紹介してくれない? (日南虎男)
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5 スサノオはどこにいたの?

2008-11-20 10:03:23 | Weblog
●ホビット 080910 10:50(こちらは、080909 22:40)

 今、アンデスのエルドラド(黄金郷)からメールしています。深夜、一人で調査結果をまとめている最中です。
 急な呼び出しがかかり、出雲の打ち上げに行けなくて失礼しました。

 私は、論より証拠、論より現地派です。
 5W1H(いつ、どこで、誰が、どうした、何のために、どのようにして)のうち、一番大事なのは、どこで、と考えています。最終的には、遺跡の裏付けが必要であり、そのためには、「どこで」が一番重要となります。
 スサノオを論じるなら、スサノオが生まれ、結婚し、即位し、死んだ場所こそが決め手と考えます。その記録や伝承が残っている土地で痕跡を捜すことが、課題と思います。
 考古学というと、たまたま工事現場からでてきた遺跡を発掘するという仕事に追われていますが、本来は、一定の歴史仮説を立て、そこから遺跡の所在を推定し、発掘して仮説を裏付ける、というのが歴史科学のあり方ではないか、というのが私の持論です。
 邪馬台国論争が、いつまでシュリーマン以前のように、机上の論争に終始しているのは理解に苦しみますね。
 
 私は、スサノオについても、「どこ」にこだわりたいなあ。

●マル 080910 12:50

 どうやらアンカーは私のようですね。
 今、仕事で倉敷市にきています。柳並木を見ながら、喫茶店、エル・グレコで食後のコーヒーを味わっています。

 しかし、まだアイデア出しの段階なので、今回は、私も提案者になります。
 前に福山市の仕事をした時に、素盞嗚神社に行ったことがありましたが、ここには「備後国風土記」逸文に載せられている有名なスサノオの茅の輪(ちのわ)伝説、蘇民将来伝説があります。
 スサノオが南海の王女を訪ねた帰り道、ここで宿を求めたところ、金持ちの弟は断り、貧しい兄の蘇民将来はスサノオを泊めてもてなしたところ、帰る際に茅の輪をさずけて、疫病が流行った時に、腰に付けて家を出ないよう、言い残したといいます。そして、その後、疫病が流行った時、蘇民将来の一家は助かり、弟の一家は亡くなったと伝わっています。
 今も、各地の神社で茅の輪をくぐったり、蘇民将来のお札を求めて貼るのは、この言い伝えにもとづいているといわれています。
 京都の祇園の八坂神社が姫路の広峰神社から分祠されるなど、疫病が流行ると素戔嗚大神が頼りにされたようです。

 私など、全国各地で仕事をしていると、いろんな伝承に出会います。古事記・日本書紀や風土記などの文献からだけでなく、各地にスサノオを祀る神社があり、伝説が残っていることからのアプローチが必要と思います。これらの伝承には後世の創作も多く混じっているでしょうが、全てが創作である、と決めつける証拠はないように思います。
 貧しい、親切な民衆を助けるというスサノオの言い伝えが各地に残っているということは、古代の英雄・スサノオの実在性を示しているのではないでしょうか? (日南虎男)
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4 スサノオはいなかった

2008-11-18 12:02:14 | Weblog
●ひな 080910 0830
はじめまして。高木さんから紹介されて参加した朝比奈曖です。みんなからは、「ひな」と呼ばれています。学生も、けっこう、朝メール自由人なんですよ。
生意気な新参者がいきなり盛り上がりに水をさすようで申し訳ありませんが、そもそも、スサノオは実在したのでしょうか?
戦前、津田左右吉氏は『古事記』・『日本書紀』の神話時代は後世の創作であると批判し、早稲田大学を辞職させられ、有罪判決を受けていますが、今や、定説なのではないでしょうか?
また、アマテラスは、卑弥呼(ヤマトトトヒモモソヒメ)をモデルにして創作された架空の人物、という説も有力なように思います。
そうすると、スサノオもまた、8世紀に創作された神の可能性が高くなります。夫婦神とせずに、「誓(うけ)い」で子をもうけるなどというという荒唐無稽な記紀の記載は、スサノオの架空性を示しているのではないでしょうか?
スサノオはいなかった、という仮説の検討も必要と思います。

●カントク 080910 0900
いいところをついてくるねえ、ひなちゃん。ボクちゃんが言っていたとおり、明晰かつ論理的だね。
初めまして。カントクこと、「毎日がお祝い」の岩井さんです。すぐに相手の土俵に乗ってしまうおっちょこちょいのどこかの「メール内弁慶」とは大違いだねえ。

付け加えると、アマテラスとスサノオの両方、あるいは片方が実在しなかった、という論点とともに、「なぜ、夫婦神とせずに、兄弟神としたか」、という論点がでてくるよね。ボクの「兄弟神の近親相姦論」を含めてね。

このあたりで、ひめの意見を聞きたいなあ。ひめのお目覚めを待つとしましょうか?

●ガクセイ(長老) 080910 1020
どうも、昼間からメールのやりとりができるという、自由人がやけに多いグループだなあ。
しかし、カントクによれば、自由な発想で仮説を出し合う段階では、堅物の学者などは、端から相手にされていないようですね。
朝からの講義を終えて、皆さんのメールを「学生街の喫茶店」で見ています。ここは、昔のままで時間が止まっていますので、私も別世界にワープして、学生・大野に戻って参加したいと思います。「長老」はしばらく封印して、「ガクセイ」にして下さい。
スサノオとアマテラスがいたか、いなかったか、なぜ兄弟神にしたのか、という論点とは別に、いたとしてもいなかったとしても、スサノオとアマテラスの物語は同時代の人物かどうか、という論点を提案したいなあ。

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3 スサノオを捜そう

2008-11-08 19:19:34 | Weblog
ヒメ 080910 0640 スサノオを捜そう

おはよう。昨日は徹夜です。アシスタントは帰して、ぬるいお湯にゆっくり浸かって、夜明けのビールをいただいています。襲いにこないでくださいね(笑)。
皆さん、神話探偵団の提案、受け止めていただき、ありがとう。掲示板の体制を組んでくれたボちゃんに感謝の投げキッス。
ところで、出雲での話の盛り上がりからいうと、最初のテーマはやはり、スサノオでしょう。
美女を差し出すように命じるヤマタノオロチに戦いを挑み、櫛稲田媛を助けた勇敢な若きスサノオ、なんと素晴らしい英雄でしょう。
古事記に最初に出てくる歌は、スサノオの「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(つまご)みに 八重垣作るその八重垣」の恋歌ですよね。実際にスサノオがこの歌を詠んだかどうかは大いに?だけど、このような伝承がいつの頃からか言い伝えられていたことは否定できませんよね。このような英雄神話は誇っていいと思う。
次に古事記に出てくる歌は、大国主神と越国の沼河媛(ぬなかわひめ)の相聞歌で、4・5番目の歌は、大国主神と須勢理媛(すせりひめ)の相聞歌ですよね。
恋歌に彩られた古代神話、興味は尽きないですね。
しばらく、別世界にワープします。

カントク 080910 0700 ヒメに賛成

ヒメの朝風呂は、絵になるなあ。朝酒・朝風呂・朝メールは自由人の特権ですよね。
スサノオを探偵することは大賛成。恋歌からのスサノオ神話、面白いね~。女性ならではの提案です。
わたくし的には、酒づくり名人の少彦名命あたりから入って行ってもいいと思うけど、ヒメを支持します。

ボク 080910 0735 スサノオはマザコンのオボチャマンでは?

おっと、朝メールは、通勤人の特権でもあることをお忘れなく。今や、痛勤電車は携帯電車ですよ。ヒメ様の投げキッスで、車内はバラ色です。
しかし、スサノオって、そんなにいい男ですかね。
古事記によれば、髭が胸まで届くようになっても、父・イザナギに命じられた「海原」を治めることもせずに、母を恋い慕って泣いていたんですよね。
また、姉のアマテラスと「誓約(ウケヒ)」を行い、スサノオの剣からアマテラスが3女神、アマテラスの玉からスサノオが5王子を生んだとされていますよね。これって、近親相姦じゃないですか?
それはさておくとしても、スサノオは、自分の剣から生まれたのが王女なので後継者争いに勝った、と宣言したのに、アマテラスは自分の玉から生まれた王子が後継者である、と告げています。女王の次は女王であるはずなのに、男王にするというのは約束が違う、とスサノオが怒るのは、当然ですよね。
スサノオは怒りにかられて、アマテラスの田んぼの水を抜いて稲を枯らしたり、神聖な神殿でウンコをしたり、機織りの部屋に馬の皮を剥いで放り込んで機織りの巫女を殺すなど、乱暴狼藉の限りを行ったとされています。
そして、天照大神が岩屋に隠れる事件を起こしたあと、高天原の神々によって手足の爪を剥がされ、高天原を追放されたというのでしょう。
これじゃあ、思慮分別や政治力のない、ただの甘ったれのお坊ちゃんじゃあないですか。英雄とはほど遠いですよ。
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2 おもしろ怪しい7人

2008-11-02 14:47:29 | Weblog
ここで、出雲市の鮨屋で盛り上がったメンバーを紹介しておこう。

まず、端役のボク。主役にも名脇役にもなれないのは、小学校の学芸会からずっと。
奈良県葛城市生まれ。高木功。28歳。
国の財団の職員(学芸員)で、ちょうど仕事が面白くなってきてバリバリこなしている。
ボクと言ってしまう癖をカントクに付け込まれ、高木=こうぼく=公僕=ボクのあだなにされてしまった。おっとりした性格のため、いつも、カントクの餌食にされている。
AかBか、の争いなると、歴史学、それも考古学をまともに専攻してきたため、どうしても通説の受け売りになってしまう。
今回のプロジェクトでは、発注者であるにもかかわらず、「トンデモ素人衆」にさんざん振り回されてしまった。

ヒメ
姫路生まれ。やはり、主人公でしょう。
高階樹(いつき)。推理小説家。年齢は30代前半だが、20代に見えたり、40代に思えたりする。歴史ミステリーとトラベルミステリーが得意分野。
デビュー作の「法隆寺炎上」でミステリーファン大賞、「卑弥呼殺人事件―14人目の探偵」でユーモアミステリー大賞を受賞。
テレビのコメンテータとしても知られている。アヤヤ似の美人だが、おっとりしている人が多い播州人とは程遠い。カントクの一番のお気に入り。
AかBの争いになると、Cと言ってしまうタイプで、どこに話が飛んでいくかわからない。ボクの一番苦手なタイプ。

カントク
岩井定男 博多生まれ。61歳。
映画監督で、歴史ものの映画やテレビドラマ、テレビ番組を撮っている。歴史の異説・珍説にやたら詳しい。「祝い人」と称して、飲み会が大好き。
AかBか、という争いになると、面白そうな方についているようでもあり、単に、女性意見に同調しているに過ぎないフシも見られる。

長老
東京・府中生まれ。大野靖。45歳。八雲大学教授。
落ち着いた物腰と、丸メガネ、長髪のスタイルで、歳より10歳は老けてみえる。飲み会で誰か(カントクと思う)が「長老」と言いだし、そのまま続いている。
指導教官と対立し、京西大学の学閥からは閉め出され、もっぱら執筆で活躍している。
唯一まともな理性派で、ボクには感覚的に一番近く、信頼している。しかし、学会の異端児であり、通説派のボクを裏切ることがある。
AかBか、というと、論理的に決着を付けないと気がすまないタイプ。

マルちゃん 津嶋千帆。大宮生まれのまちづくりコンサルタント。46歳
グラマラスで丸顔。それでてっきり「マルちゃん」と思っていたら、大外れ。
AかBかの争いを足して2で割るのが得意なので、カントクが「丸め屋のマルちゃん」と言い出したらしい。カントクとは一番の古い付き合い。カントクは「2ワリ打者」と言って冷やかすこともあり、評価している。足して2で割ると、確率2割くらいのヒットがあるらしい。

ホビット 海部穂人。トレジャーハンター。35歳。
ロード・オブ・ザ・リングの小人のホビットとは違い、力持ちの優しい大男。「穂人」の名前から、「ホビット」で通っている。
世界を放浪していて、フリークライマーとしても有名であるが、何故か、怪しいコロンビア奥地のエルドラド(黄金郷)の調査に参加。新しい遺跡発見で大活躍して、日本に帰ってからは、奥州藤原氏の黄金遺跡を発見するなど、日本初の本格的なトレジャーハンターの道を歩んでいる。

ひな 朝比奈優。西北大学の大学院生。23歳。
時々、財団の調査や原稿書きのアルバイトを頼んでいる。皆さんがあまりにも逸脱するので、正統派を増やしたかったのと、対抗上、若いメンバーを増やしたくて推薦した。仕事から離れたところで、ボクの大活躍を見せたい、二人で調査に行きたい、という気持ちが無い、といえば嘘になる。
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1 神話探偵団誕生

2008-11-01 08:03:07 | Weblog
「神話探偵団をつくりたい。」 そろそろお開きにしたいな、と思っていた時に、ヒメが突然に切り出した。
盛り上がっていた4人は、「またー」、と顔を見合わした。
1年かけて、月1回、各地を回ったチームを解散し、やっと自分の仕事に集中できると思っていた矢先に、またまたヒメの提案である。
この臨時混成チームは、いい仕事をしたと思っているが、姫はいつも仕事を増やしてきた。正直、ボクはずいぶん迷惑を被った。姫の思いつき提案の3割方は、いい結果を残してきたことは認める。しかし、解散チームに延長戦はないんじゃない?
すぐさま反対意見を考えはじめたが、まず頭で考えをまとめ、それから口に出すタイプのボクは、いつもワンテンポ出遅れてしまう。
一方、いつもカントクのアクションは素早い。
「面白い。大賛成。このチームは残した方がいい」
この人は、個人的な好意からか、いつもヒメの意見を支持する。従って、反応だけはやたらと早い。しかも、賛成理由は「それ面白いねえ」か「ユニークでいいんじゃない」のどちらかに決まっている。いい歳こいて、面白ければいいのかよ。

ようやく、ボクの考えもまとまってきた。
「皆さんは忙しすぎますよ(本音:ボクは皆さんのスケジュール調整役はごめんですよ)。それと、これだけいろんな分野のメンバーが集まるメリットがありますか?(本音:素人の趣味に付き合っちゃあいられないよね)。」
ここで、ボクの意見をいつも受けることが多い、長老こと、八雲大学の大野靖教授の登場である。このメンバーのなかでは、ただ一人、論理的に物事が判断できる先生である。
「確かに、ヒメの忙しさに振り回されそうで、大変だなあ。いろんな発想、仮説が飛び交うのは面白いけど、それを記録してまとめるボクも迷惑でしょう。」
ちょっと待ってよ。ボクが記録係をやるなんて、仮定で話を進めないで下さいよ。だいたい、僕は高木なのに、それを「コウボク(公僕)」なんて、カントクが言い始めたから、世話役を押し付けられるじゃない。
最後は、いつもマルちゃん。カントクお気に入りの「丸め屋のマルちゃん」は、いつも、どんな激論をもものともせず、ニコニコと待っていましたとばかりに調整に入る。
「アメリカじゃあ、今時、パーティはネットで調整している時代よ。ホストの手間なんかかからないから。誰かが場所を提供して、つまみ1品とお酒1本をそれぞれみんなが持ち寄れば、簡単に研究会なんてできるじゃない。」
待ってよ。研究会じゃなくて、飲み会を皆さんは期待しているの?
「それと、もっといい方法は、みんなで会わなくても、ブログで意見交換したらいいじゃない?これだと、ボクが記録してまとめ、参加できない人に配付する手間はかからないよね。普段はネット探偵団、時には現場捜査班、時にはノミ研でどうかしら。」
やはり、マルちゃんは丸めるのがうまい。
「マルちゃん、それ、面白い。グッドアイデア。映像も一緒に送って見て貰えるの?」 女性意見には同調するクセのあるカントクの反応は素早い。
「もちろんよ。ハイビジョンカメラではなく、画素数の小さなおもちゃカメラを買って下さいね。カントク」
長老「遠く出雲に島流しの私としては、メールだと参加しやすいね。」
いつもは、AかBかとなると、Cと答えてしまいたいヒメも、今回は提案者だけに、Cとは言えない。
「ありがとう。ボクちゃん、ブログの開設と管理人、お願いね。欠食児童に、時々、食事をオゴるからさ。」
ちょっと、ちょっと。「欠食児童」なんてカントクの時代の話でしょ。書きかけの小説とごっちゃにしないでよ。ボクなんて給食世代で、それも、自校方式世代なんですよ。

「今日、欠席のホビットさんにも、是非、連絡してね。ボクちゃん。遺跡探しには、欠かせない人だから」
「ブログ開設と管理、ホビットさんへの連絡、了解しました。だけど、現地調査やノミニケーション研究会は、それぞれ主催者を決めて下さいね。」
「それと、1つ、提案があるのですが。せっかくですから、もう一人加えて、『七人の侍』にしませんか?」
「ははん、彼女でも紹介してくれるのかな?」
こういう時のカントクは鋭い。
カントクの支持を取り付けるには、若いかわいい女性が参加する、ということをアピールするに限る。
「財団で、時々、調査のアルバイトをしてもらっている西北大学史学科大学院の朝比奈優さんです。ボクよりははるかにカンがいいし、頭もよくてかわいいですよ。」
「ひなちゃん、いいねえ。皆さん、異議なしですね?」 100%、狙いどおりにカントクは支持してくれるんだな、これが。
「では、神話探偵団の発足と、この栄えある会の活動を通してボクちゃんの恋が実ることを祝って、乾杯!」
またまた、カントクの鴨にされてしまった。

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