ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団76 「2礼2拍手1礼」「2礼4拍手1礼」の意味

2009-11-29 15:16:08 | 歴史小説
射楯兵主神社(播磨国総社)
神戸観光壁紙写真集より(http://kobe-mari.maxs.jp/himeji/sousha.htm)


「祭り好きの皆さんは、すっかり『山」に夢中になってしまったわねえ。しかし、私たちはスサノオを追って射楯大神のことを調べにきたんじゃなかったの?」
マルちゃんの指摘は当然だ。
「姫路の人って、射楯兵主(イタテヒョウズ)神社に、スサノオの子の五十猛(イタケル)とされる射楯大神や、大国主の別名とされる兵主大神を祀っているって知っているの?」
カントクは神社となると、俄然、張り切ってくる。
「みんな総社(そうしゃ)と言っているから、射楯兵主神社の名前は知らないんじゃないかしら。ましてや、祀ってある神様は知らないと思う。私だって古代史推理小説を書くようになるまで、神社の祭神なんかに関心はなかったもの」
「考えてみると、日本人ってすごく変よね。神社に詣で、祭に参加しながら、誰を祀っているか考えていない。神の乗る神輿に乗ってしまう馬鹿もいるしね。私だって、大宮神社の初詣に毎年行っているけど、スサノオや大国主を意識してなかったものね」
マルちゃんもそうなのか。恥ずかしながら、地元葛城の鴨神社の祭神なんて考えていなかったなあ、高木は自問自答した。
「博多祇園祭の櫛田神社についても、祭神がスサノオの妻の櫛名田比売(くしなだひめ)という意識はないね。僕だって櫛田神社に詣でながら、自分や恋人、家族の幸せしか考えていなかったなあ」
カントクは、誰かを思い出しているのか、時空を超えた世界に入ってしまっている。
「神社は一族の祖先霊を祀る場所ですが、同時に、氏子の各家の祖先霊を祀る場所でもあったと思います。氏族社会の崩壊とともに、前者の意識は薄れ、後者だけが残ったのではないでしょうか」
ヒナちゃんは相変わらず、優等生の解答である。
「そうすると神社で2礼2拍手1礼するのは、一族の祖先霊と、自分の祖先霊に同時に合図を送っている、ということにならない?」
またまた、ヒメの発想は飛んでいる。
「実は、神社を参拝した時に行う2礼2拍手1礼や、出雲大社・宇佐神宮の2礼4拍手1礼の意味は伝わっていません。だから、ヒメ様の新説が定説になるかも知れませんよ」 
ヒナちゃんは以外と柔軟な考えの持ち主である。
「最後の1礼と、出雲・宇佐の4拍手はどうなるのかなあ?」
高木は、質問せずにはおれなかった。
「ボクちゃん、どっかに正解があると思ってない?いつまでたっても受験生気分から抜け出せないよね。自分の頭で考えてまず答えを出して見なさいよ」
マルちゃんは、いつも文句言ってきた姉の口調にそっくりになってきた。
「真面目なボクちゃんには難しいんじゃない?最後の1礼は、省エネだと思うよ」
カントクの話は冗談なのか、真面目なのか、いつも見分けがつかない。しかし、ヒントを貰いながら、乗らないわけにはいかない。
「4拍手ということは、他に2つの神を同時に祀っている、ということになりますね」
「ピンポン。ボクチャンの石頭もすこしは柔らかくなってきたようじゃな。5代目スサノオから出雲の支配権を任された大国主は、スサノオを祀る素鵞社の前に神殿を配置したんじゃ。
出雲大社に詣でたスサノオと大国主の子孫は、スサノオと大国主命と自分の祖先霊に拍手して合図を送ることになる」
「残りの1拍手はどうなります?」
「出雲大社の正面、客間には、天地創造の別天つ神5神が祀られ、大国主はその右手の納戸の位置に祀られています。従って、4拍手は、別天つ神5神、スサノオ、大国主命、自分の祖先霊に対して行われるのではないでしょうか?」
ヒナちゃんはよく細かなところまで気が付く。
「宇佐神宮はどうなの?」
どうせ答を知っているくせに、マル姉が突いてくる。
「もともとあった比売大神=宗像3女神に、神功皇后と応神天皇親子、これに祖先霊を足すと4つになります」
「正解がある時の優等生ボクちゃんは強いのう」
どこまでも、嫌みなカントクである。ヒナちゃんやヒメには超甘なのに、男にはキツイ。

(日南虎男:ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』梓書院刊です)

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神話探偵団75 「一ツ山」「三ツ山」は「舁(か)き山」「曳き山」のルーツ?

2009-11-20 22:30:18 | 歴史小説
御旅山山頂へと登っていく『灘のけんか祭り』の屋台(ウィキペディアより)


長老運転の車で姫路城前の地下駐車場を出ると、待ちかまえていたようにカントクが口火を切った。
「このような置き山祭りは姫路と岐阜、角館にしかないんだな。なぜ、全国各地の祭りでは、置き山ではなく、担ぎ山や曳き山に代わったのかな?」 
祭りマニアのカントクならではの着眼である。
「それこそ、『ずぼら文明進化説』で説明できるんじゃない。大きくて重い『置き山』から、小さくて軽くて持ち運びに便利な『担ぎ山』や『曳き山』に変えて、氏子の家の前まで神々を担いで出前したのじゃあないかしら」
マルちゃんは、しっかりカントクの揚げ足をとっている。
「それは違うんじゃない?」
地元代表として、ヒメがいつもになく真面目である。
「播磨総社の大国主の霊はここにいて動かず、全国の神々を『置き山』に呼び寄せたのだから、山が動いては困るのよ。」
「そう言われると、思い当たることがあるわ。私の実家の大宮の氷川神社では、神輿は境内を出ないのよね。祭神のスサノオや大国主は、神々を迎える側なので動かない、ということなのかしら」
マルちゃんは、今回は真面目に返球した。
「しかし、播磨総社では、置き山とは別に、毎年、神輿が巡幸しているんじゃない?」
カントクが面白い点を突いてきた。
「確かに、毎年11月の霜月大祭では、神輿は氏子町内を廻っているわよね」
ヒメの話だと、マルちゃんの神様の出前説になるではないか。
「しかし、近くの白浜の松原八幡神社の『灘のけんか祭り』は違うのよね。旧村の屋台がまず宮入し、神社の神様は3つの神輿に乗り、旧村の屋台と一緒に、近くの小高い御旅山の山頂の御旅所に登るのよね。山頂で神事が行われ、神輿と屋台は夕方に山を降りて帰るのよね。」
「その神輿と屋台って同じようなものなの?屋台って、車に載せた山車(だし)だと思っていたけど」
ちょうど、高木もマルちゃんと同じ質問をしたいと思っていたところであった。
「こちらでは、神輿も屋台も担ぐよね。太鼓とか、ふとん太鼓、ヤッサというところもあるわよ。カントクのところはどうなの?」 
「博多では舁(かき)山笠といって、舁(か)くね。やはり『山』と言うんだな。」
「『舁く』か『曳く』かより、山の役割の違いが気になるなあ。総社のような各地の神霊を迎える置き山と、神社の祭神が境内を巡幸する神輿、神社の祭神が氏子町内を巡幸する神輿、氏子が各村の神を神社に宮入させる神輿、神社から御旅山に神を運ぶ神輿、ざっと5種類もある。どう、整理できるかな?」 
指を折って数えながら、長老は問いを投げかけた。その口調は、またまた、みんなを生徒扱いである。
「動かない山と、動く山の違いが大きいんじゃない。各地の神々を呼び寄せる『置き山』と、神社に祀っている神霊を、いったん『舁き山』に移し、近くの山に担ぎ出して天に里帰りさせてパワーアップさせ、神霊がリフレッシュしたところで再び『山』に乗せて神社に帰る神輿、この違いが大きいんじゃない?」 
いつもながら、ヒメの推理は冴えている。
「置き山は神々の霊を天から招く依り代で、『舁(か)き山』や『曳き山』は神霊を神社から乗せ、旅立ちの場所である山や海岸に運ぶ乗り物、というわけじゃな」 カントクはいつもヒメへのフォローは素早い。
「神というのは、古代人にとっては霊(ひ)=祖先霊で、比婆(霊場)山などの神那霊山の頂きに降りてくるものでした。それを模して、『青葉山』や『一ツ山』などの置き山ができたと思います。
さらに、神那霊山に降りた霊を神社に移し、身近で日常的に祀る時代になって、年に1回、その霊を元の神那霊山、御旅山の上に運んで、天に里帰りさせて霊力を高める、という祭礼が生まれたのではないでしょうか?」 
優等生のヒナちゃんが早速、答える。
「毎年、神輿を御旅山に運ぶ祭りと、町内を練り歩く祭りとの関係はどうなの?」 
マルちゃんは当然の疑問をぶつけてきた。
「霜月というのは神在月―神無月ですから、全国の大国主やスサノオの子孫が出雲に集まるように、各地の大国主やスサノオの子孫が祭る神社では、神在月に神々を御旅山から出雲に送る、という祭礼に変わったところもあるのではないかと思います。町内を練り歩くのは、町内の小さな神社や家々に分かれて祀られているそれぞれのご先祖の神々をお宮に運んだり、パワーアップして出雲から帰ってきた霊をそれぞれの場所で迎える、という役割もあったのではないでしょうか?」 
ヒナちゃんはすっかり、皆のペースにはまってきてしまった。高木はヒナちゃんを「通説派」の仲間としてメンバーに誘ったつもりなのに、すっかり当てが外れてしまった。ちょっとこのあたりで牽制しておかなければ。
「白浜の松原八幡神社の祭神は誰ですか?」
「応神天皇と神功皇后、比(ひめ)大神だから、豊前の宇佐神宮と同じよね」 ヒメが答えた。
「応神天皇と神功皇后の時代と言うと、スサノオや大国主の時代とは、神社の創設はずっと後の時代になりますよね」 高木は少し反撃しておくことにした。
「比(ひめ)大神は、宗像大社に祀られているのと同じ比三神で、多紀理(たきり)毘売命、市寸島(いちきしま)比売命、多岐都(たきつ)比売命のことです。この3女神はスサノオの子とされ、そのうちの多紀理毘売は大国主の妻とされています。播磨はスサノオやその子の五十猛命と関係が深く、播磨国風土記によれば、大国主の妻の奥津島比売命こと多紀理毘売は、この地で阿治志貴高日子根神を産んだとされています。従って、この地では古くから比大神が祀られていて、後世に応神天皇と神功皇后が追加して祀られるようになった可能性があります」
ヒナちゃんは神社にはやたら詳しい、やぶ蛇であった。
「ボクちゃんの故郷の大和では、大物主と大国主、少彦名が三輪山の山頂の沖津磐座から順に、中津磐座、辺津磐座に祀られておる。これは、宗像3女神を祀る沖津宮、中津宮、辺津宮と同じ名称じゃ。スサノオの子の大物主=大年神と3女神に対して、同じ沖津、中津、辺津の名称が使われていることは、偶然とは言えないのじゃあないかな」
博多っ子のカントクが痛いところを突いてきた。
「古事記で『大神』というと、神話時代の出雲の神々の名前よね。『命』名の応神天皇や神功皇后の方が、後で祀られた可能性が高いことになるんじゃない?宇佐神宮で中央に比売大神が祀られ、左右に応神天皇と神功皇后が祀られていることから見ても、比売大神がメインの神ってことになるから、白浜の松原八幡神社の起源は古いと思うよ」
マルちゃんまで加わって多勢に無勢、高木は返す術もなく、完全に滑ってしまった。
「こちらに来て初めてわかったよ。すごいね、播磨は。『山』のルーツとも言える置き山があって、御旅山に担ぎ昇る『舁き山』もある。実に面白い」 一ツ山と三ツ山の模型を見てから、カントクのテンションはずっと上がりっぱなしである。
「播磨に曳き山、だんじりはないの?」
「ちょっと待って下さい。インターネットで調べてみます」
こういう時は、高木の出番である。
「ありました。姫路沖の家島に檀尻船があります。この家島神社では、大国主と少彦名、天満大神(菅原道真)を祀っています。それと、面白いのは丹波篠山の波々伯部神社(ほうかべじんじゃ)の檀尻山(だんじりやま)です。竹で山を作っていますから、総社の置き山と構造が同じです。スサノオを祀り、広峯神社から遷座したと言われています」
「姫路市は『置き山・舁き山・曳き山博物館』を作るべきじゃない?ヒメ、市長に言って見てよ」
マルちゃんは、いつもながらまちおこしコンサルらしい提案である。確かに、総社御門の資料室はレベルアップすべきで、高木も同感であった。財団から、姫路市に提案してもいいかもしれない。

(日南虎男:ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』梓書院刊です)

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神話探偵団74 「一ツ山」「三ツ山」は古代出雲の「青葉山」と同じ?

2009-11-13 21:10:56 | 歴史小説
射楯兵主神社(播磨国総社)の「一ツ山」と「三ツ山」の模型(総社御門2階の資料室:神戸観光壁紙写真集http://kobe-mari.maxs.jp/より、http://kobe-mari.maxs.jp/himeji/sousha.htm)
<参照>
http://www.himejifan.com/manabu/rekisiisan/rekisi/souzya.html、
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/festival/html/075exp.html

ヒメの案内で、朱塗りの新しい総社御門2階の資料室に登った。そこには、始めてみる「一ツ山」と「三ツ山」の模型が中央に展示してあった。壁面には、60年に1度行われる「一ツ山大祭」と20年に一度行われる「三ツ山大祭」の模様が写真と説明文で紹介されていた。
「私が中学校に入った時に一ツ山大祭があり、大学に入った時に三ツ山大祭があったのよ」
「これはすごい。こんな祭りがあるとは不覚にも知らなんだよ。この『山』は古代人の宗教を解明する鍵になるかもしれんな」 カントクはいつも仰々しく、芝居がかっている。
「高さ16m、直径10mというと、4階建て住宅の高さと幅になる。丸太と竹で骨組みを造り、布を巻いて山にしているのか、実に面白い」 どうやら、カントクは「山」が造られる様子を想像し、映像で記録する目になっている。
「こんな祭りは、他でもあるのかな?」 ネットミーティングではおとなしい長老だが、身を乗り出してきた。フィールドワークになると、いつも学生の先頭に立って調査しているからか、長老は積極的である。
「以前、角館の仕事をした時に、大きさや形は違うけど『大置山』というのが街角に作られていたわよ。それと、別に、もっと小さな『曳山』がいくつも練り歩いていたけど、どちらも山があって、その前に神話や歌舞伎の人形が飾ってある、大変絢爛豪華なものだったよね」 マルちゃんは仕事で全国どこにでも行っているので、だいたいのことは知っている。
「岐阜市の三輪神社でも、置山を作ってその前に人形を飾っていたなあ」 カントクも撮影で全国各地に足を運んでいるので、祭には詳しい。 
「なぜ、こんな山が造られるようになったのかな?」 長老は、答えを知っていて、学生に質問する時の、「上から目線」のクセが抜けない。職業病だよなあ、高木はここでは学生役になるのはパスすることにした。
「ここに書いてあるけど、播磨国一宮の伊和神社でも、同じように一つ山祭と三つ山祭が行われていて、神社を囲む一ツ山(宮山)と三ツ山(白倉山、花咲山、高畑山)で神事が行われているのよ。総社にはこの伊和神社の祭神の大国主を移すとともに、その祭りを継承して、4つの山を模した山の模型を建てて祭りを行ったのよ。ずいぶんと頭がいいと思わない?ずぼら、とも言えるけどね」 今日は、ヒメは神妙にも郷土の優等生になって答えている。
「『ずぼら』したい、楽チンしたいこそ文明の原動力である、という『ずぼら文明進化論』を知っとるかな?」 カントクはいつもの調子である。
「混ぜっ返さないでよね。祖先霊を天から神那霊山(かんなびやま)の山頂の磐座(いわくら)に招き、それを迎えて祀る、という伊和神社の祭りがもとになって、一ツ山と三ツ山の模型で祖先霊を迎えた、というのね」 マルちゃんは、相変わらずカントクの発言をフォローしている。
「ここに書いてあるけど、正確に言うと、射楯神・五十猛神と兵主神・大国主を神門の上の門上殿に移し、その神門の前に置かれた置き山の上の山上殿に全国の3,732座の天神地祗を招く、という祭礼なのよね」 ヒメはパネルの記載部分を指さしながら説明を加えた。

「そうすると、五十猛と大国主の霊を招くのではなくて、五十猛と大国主の霊はここにいて、全国の天神・地神の霊を招く、ということになる。この祭礼は、出雲に八百万の神々が集う、という毎年の神在月の神事と似ているよなあ」 長老ははるか遠くを眺めるように目を細めた。時空を超えるときに、長老はいつもこんな目になる。
「この置き山は、古事記の垂仁天皇の条にある『青葉山』と同じなのではないでしょうか?」 神話や神社にやたらと詳しいヒナちゃんらしい。
「垂仁天皇の御子で、母とその兄を天皇に殺されたホムチワケは、大人になっても言葉がしゃべれなかった。そこで、出雲の大神の宮を拝みに行ったところ、出雲国造の祖の岐比佐津美(きひさつみ)が出雲大社の大庭に青葉山を飾り立てて迎えた。これを見たホムチワケはしゃべれるようになった、という話を古事記は伝えています。この青葉山が『山』の最初の記録と思います」 
「もともと、出雲大社の庭に青葉で飾り立てて『山』を作っていたのを、この播磨国総社が受け継いだとすると、出雲と播磨の関係は深いな」 ヒナちゃんの解答に、長老は自分の教え子であるかのように満足気である。
「そうかなあ?出雲の青葉山の神事がこの地で受け継がれた、というだけかしら。この地で大国主が全国の3,732座の天神地祗を招く祭礼が行われた、という事は、この地で、実際に大国主が全国の神々を迎えた、ということがあった、とは考えられないかしら?」 ヒメの発想は、いつもブッ飛んでいる。
「それは面白い。この3日かけてじっくり、検討したいね」 どうやら、カントクもヒメと同じことを考え始めたようだ。
神社や祭りの起源をずっと後の時代とする通説に凝り固まっていた高木も、ようやく、天下の奇祭、60年に一度の「一ツ山大祭」と20年に一度の「三ツ山大祭」の重要な謎解きに引き込まれていった。
「射楯大神、スサノオの子の五十猛(イソタケル)のことを話したいと思っていたんだけど、『山』で盛り上がってしまったわね。続きは、車に乗ってやりましょう。」 

(日南虎男:ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』梓書院刊です)

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神話探偵団73 播磨のスサノオ

2009-11-07 15:13:09 | 歴史小説
射楯兵主神社の茅の輪くぐり(播磨国総社)


「ボクちゃん、今日の予定を説明してくれない」 ヒメの指令はいつも素早い。そして、何故か、いつも準備しているボク。なぜこんな役割になったのか、と思いながら、高木はいそいそとスケジュールと地図のコピーを配った。
「まず、スケジュールですが、スサノオの痕跡を追って、射楯(いたて)大神と兵主(ひょうず)大神を祀る射楯(いたて)兵主神社、通称・播磨国総社からスタートします。射楯大神はスサノオの子の五十猛(いたける)命とされ、兵主大神は大国主の別名で、伊和大明神とも言われています。続いて、ヒメの実家の白国の裏山の広峰山に登り、スサノオを祀る牛頭(ごず)天王社総本宮の広峯神社を見学します。
 その後、高砂・加古川に移動し、大国主と少彦名が造った「石の宝殿」と天皇の石棺材として有名な竜山石の石切場、天皇の即位式に使われる「高御座(たかみくら)」と同じ名前の「高御位山」の麓の高御位山神社、ヤマトタケルが生まれたという伝説があり、その母の景行天皇の正妃、針間伊那毘能大郎女(はいまのいなびのおおいらつめ)が葬られたという日岡山、縁結びの謡曲「高砂」で有名な高砂神社などを回ります。そして、帰りに新羅(しら)国ゆかりの白国神社を見て、ヒメの実家に向かいます」

「13日のスケジュールも説明しておいてよ」
「翌日は、大国主デーになります。まず、東に向かい、奥津島比売命が大国主の子の阿治志貴高日子根 (あじすきたかひこね)神=を産んだ地とされる、西脇市の「袁布(をふ)山」あたりの「古奈為(こない)神社」を訪ねます。この阿治志貴高日子根神は、古事記によれば迦毛大御神と呼ばれています。続いて、阿治志貴高日子根神が神宮を造ったと言われる神前郡の「新次(にいすき)神社」を訪ねます。
昼食は、姫路に帰り、生姜醤油で食べる「姫路おでん」とします。午後は西に向かい、大国主の子の伊勢都比古命・伊勢都比売命ゆかりの地の「伊勢神社」を見て、宍粟市の播磨国一宮、大国主・少彦名・下照姫を祀る伊和神社を見ます。たつの市に引き返して、「野見宿禰の墓」、発生期の前方後円墳や珍しい中方双方古墳のある「養久山古墳群」、画文帯環状乳三神三獣鏡が発見された3世紀中頃の「綾部山三九号墳」、三角縁神獣鏡5面が発掘された3世紀後半の前方後方墳の「権現山五一号墳」、阿蘇山凝灰岩の舟型石棺の蓋が発掘された雛山など、揖保川流域の古墳群を見ます。せっかくですから、軽く「揖保の糸」のソーメン流しを食べてはどうでしょうか。
最後は、大国主・火明命親子の伝説ゆかりの日女道(ひめじ)丘、姫路城に立ち寄り、ヒメの実家の白国に向かいます。この白国は、播磨国風土記では、大国主と日女道丘神が契りを交わした場所とされています。」

「ずいぶんと盛りだくさんね。14日は、どうなるの?」
「14日は、岡山県赤磐市に移動し、スサノオの十柄剣が祀られていたとされる石上布都(ふつ)御魂神社を見ます。せっかくですから、ヒメが構想中の『桃太郎殺人事件』の取材を兼ねて吉備津神社と楯築古墳・造山古墳、温羅(うら)伝説の鬼城に寄り道してはどうでしょうか。最後は、広島県の福山市に移動し、スサノオの蘇民将来で有名な素盞嗚神社を見ます。ここがゴールで、ヒメとカントクは新幹線の福山駅で乗車して下さい。ヒナちゃんと長老は車で出雲に向かいます。」
「ありがとう。さすが、東都大学出のボクちゃんの仕事は完璧だわ。姫路出身者よりもよく知っているじゃない」
「ホームページで調べるだけで、歴史、地理、所用時間、施設案内、名物料理などはまずわかりますね」 
「そうすると、現地に行って調べなくても、小説ぐらい書けちゃうじゃない?」
「テーマによると思いますよ。ホームページの情報はまばらで穴が一杯ありますから、実際に現地に行って調べないと、絶対にわからないことってありますね」
「そうよね。私とカントクなんて気まぐれだから、盛り上がってきたら、そのまま一緒に出雲に行くって言い出すよね。現地で考える、っていうのは大事だと思うなあ。では、ボクちゃんの大船に乗って、さあ、出発!」
またしても、ヒメの「右向け、左」の性格を見逃していたか。何度も振り回されていながら、いつまでたっても「気まぐれ、天の邪鬼」人間の行動パターンが高木には理解できないのである。
「おいおい、勝手に共犯者にしないでくれよ」 カントクは一応、口では異議を申し立てているが、目は完全に「それ面白いかも」というイタズラ坊主の輝きを見せていた。
駅前広場の駐車場に向かいながら、「長老と車は、多分、誰かのお古のレトロなポンコツ車ではないか」と高木は予想していた。やっぱり、そこには年代物の初代のオデッセイが待っていた。日本のミニバンの草分けで、7人乗りでセダン並みの走行性能を持っている。長老の行動パターンなら、高木にも多少は読める。相性というものであろう。
最初は、姫路城の東南にある播磨国総社に向かった。姫路城前の地下駐車場に車を停め、西門から本殿に向かった。
「ここは、正月には必ず参拝するのよ。参道は前に進めない位の人出なんだから」 ヒメは懐かしそうに説明した。
「しかし、ヒメの実家は白国神社の氏子ですよね?」 高木は、今回、秘かにヒメのこと全てを聞いてみようと思っていた。
「そうなんだけど、母の実家がこの近くで、こちらの方が従兄弟達が多いので、いつも遊びにきていたのよね。正月は2つの神社をはしごしてたことになるね」
「それって、本当の狙いはお年玉のはしごじゃないの?」 マルちゃんがいつものように突っ込む。
「ところで、ヒメはその時、射楯大神と兵主大神、あるいは五十猛命と大国主にお参りする、という意識はあったの?」 カントクはやはり、神にこだわっている。
「そうねえ。誰が祀られていたかなんて、考えてもいなかったよね。ただ、あこがれの男の子のことを祈っていただけかな。」
「そこが、日本人の面白いところなんだね。キリスト教徒やイスラム教と、仏教徒などは、神や仏を具体的にイメージしているよね。しかし、ほとんどの日本人は神社に詣って、そこに祀られている神のことをそんなには考えていない」
「最近まで、射楯兵主神社という正式な名前を知らなくて、ずっと総社(そうしゃ)と呼んでいたから、意識しなかったのかも知れない。播磨中の神々がここには祀られている、と教えられてきたからね」 あまりこだわらないヒメであった。
「ここには、正月には『茅の輪』が飾られていて、それを潜って参拝すると病気にならない、って言われていて、高校受験や大学受験の前には、試験当日に風邪を引きませんように、と祈りながら、『茅の輪』を潜ったことを思い出すなあ」 懐かしそうにヒメは話しながら、西門に向かい、総社御門の上に面白いものが展示してあるので見学しよう、と提案した。

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