ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団119 丹津日子は丹生都比売の一族?

2011-10-05 12:06:17 | 歴史小説
写真は丹生都比売神社(ウィキペディアより)

 「丹津日子ってどういう神なの」
 ヒメの母上の質問もヒメなみにポイントを押さえている。
 「『神』と書かれていますから神話時代の人物です。丹津日子の登場する賀毛郡では大国主の名前が3か所にでてきますし、大国主の子のアジスキタカヒコネは古事記では迦毛大御神と書かれていますから、その一族の可能性が高いと思います」
 「讃容郡の玉津日女命と、丹と玉の違いはあるけど似てるわね」
 ヒメは一度聞いたら覚えている。
 「アジスキタカヒコネ、迦毛大御神が生まれた託賀郡は丹波国に接していますから、丹の国の津と関わりがあったかもしれません」
 ヒナちゃんはこのあたりの地図が全て頭の中に入っているようだ。
 「丹波というと、もともと「丹のうみ」と呼ばれていた亀岡盆地を、大国主が京都への水路を切り開いて干拓した、という伝説がありましたね。丹波国一宮の出雲大神宮は、大国主と妻の三穂津姫尊を祀っているけど、なぜか、大国主の別名を三穂津彦大神というのよね」
 マルちゃんは仕事柄、全国どこでもよく知っている。
 「丹津日子、玉津日女、三穂津姫、三穂津彦、どうやら同じ系統の名前よね」
ヒメは言葉の繋がりには鋭く反応する。
 「大国主が亀岡盆地を干拓したという伝説と、丹津日子が河を掘って水路を雲潤(うるみ)に流そうとしたという播磨国風土記の記述は、大国主一族が新たな水利技術で稲作を指導した、ということを伝えていると思います」
 ヒナちゃんの深読みには高木はとてもかなわないと思った。
 「丹津日子は丹波と繋がりがありそうだけど、『丹』って何なの?」
 ヒメの母上の質問は当然だ。
 「遣隋使や遣唐使が持ち帰った漢音以前の漢字の読み方を呉音といいますが、『たん』と読みます。和音では『に』です。赤色をあらわし、酸化鉄のベンガラ、鉄丹や、硫化水銀の朱、丹(に)、鉛丹があります。日本各地の『丹生(にう)』の付く地名や丹生神社は、朱の産地とされています」
 こういう教科書的な解説となると、たいてい高木の出番だ。
 「もともと、ベンガラは縄文時代から使われており、朱は吉野ヶ里遺跡を始め、北九州から山陰にかけての弥生遺跡で使われている。魏書東夷伝倭人条には『その山に丹あり』とし、魏皇帝が鉛丹五十斤を賜っていることからみても、単なる染料というより、宗教的な貴重品だったのではないかな」
長老からの専門的なコメントである。
 「丹津日子は、丹波との繋がりを示す名前の可能性と、丹(に)を使った葬送や、丹の生産に関わる名前の可能性もあると思います」
 先まで考えているヒナちゃんの答えはよどみない。
 「播磨でも丹を生産していたの?」
 ヒメと同じ質問を高木も考えていたところだ。
 「播磨国風土記逸文に、息長帯日女(神功皇后)が新羅へ侵攻しようとした時に、国を堅めた大神の子の爾保都(にほつ)比売が、国造の石坂比売に乗り移って、赤土を差し出し、『私を祀り、赤土を矛に塗って船首に建て、船や軍衣を染めて戦えば、丹波(になみ)でもって平定できるであろう』という神託を下した、という記載があります。現在の神戸市北区の丹生山に丹生(にぶ)神社がありますが、古くは明石郡に含まれていた可能性があります。祭神は丹生都比売で、爾保都(にほつ)と同しです」
 播磨国風土記だけでなく、欠けていた「明石郡」の逸文までヒナちゃんが調べていたとは驚いた。
 「もしかしたら、『明石』は昔は『赤石』だった? それと、『丹波(になみ)』って『丹波(たんば)』よね」
 ヒメは、言葉には誰よりも鋭い。
 「赤石川の地名がありますから、古くは『赤石』だった可能性は高いと思います」
 「ここの『大神』って大国主のことだよね」
 「播磨国風土記では、大神=大国主とみてよいと思います」
 「丹生都比売が大国主の子だとすると、丹津日子もまた、大国主の一族とみて間違いないね」
 「その可能性は高いと思います」
 まるで、コナンとワトソンの会話のようになってきた。
 「丹生都比売って、全国の丹生神社に祀られている始祖神だよね。それが、大国主の子だとは、気付かなかったなあ」
 カントクの言う通りである。
 「しかし、丹生都比売って、和歌山県の高野山に近いかつらぎ町天野村の丹生都比売神社に祀られ、全国88社の総本社とされているよね」
 マルちゃんはここでも仕事をしたらしい。
 「播磨国風土記逸文では、紀伊国の管川の藤代の峯に鎮め奉った、とされています。播磨の明石から紀伊国に新たな採掘地を求めて、主な一族が移った、ということではないでしょうか?」
 「仕事のついでに丹生都比売神社に行ったことがあるけど、神社の由緒では、丹生都比売は天照大御神の妹の稚日女命(わかひるめのみこと)となっていたけどね」
 「播磨国風土記では、火明命を大国主の子としていますが、古事記はニニギの兄、日本書紀はニニギの子としています。同じように、大国主命の子孫は、天皇家の一族に組み入れられたのだと思います」
 ヒメの母上の丹津日子の質問から、思わぬ展開になってきた。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。
にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団118 黄泉がえり宗教にもとづく稲作

2011-09-26 19:11:51 | 歴史小説
写真は兵庫県宍粟市と佐用市、岡山県美作市の境にある日名倉山の宍粟市側の麓にある日名倉神社

「播磨国風土記に出てくるのは、『鹿や猪、鳥などの狩り』の話、『猪を放って飼った』話、肉を『鱠(なます)や羹(あつもの)料理』にして食べたという話と、見逃せないのは、『鹿の腹を割いて、稲をその血に種いた』『宍の血で田を作る』という記載があることです」
 ヒナちゃんは珍しく、いつものようにカントクの問いかけには答えなかった。代わりに自分の説を述べ始めた。
「確かに、鹿の血に種を播いたり、猪の血で田んぼを作る、という話は奇妙だな」
 カントクの、面白い話への頭の切り替えは早い。
「大国主の妻の玉津日女(たまつひめ)が鹿の血に種を播いたところ、一夜で苗が生えたので植えたところ、大国主は『おまえはなぜ五月夜(さよ)に植えたのか』と言って去ってしまったので五月夜(さよ)郡と名づけた。その神を賛用都比売命と名づけた、と書かれています。鹿の血に種を播いたため、玉津日女は大国主にフラれているんです」
「鹿の血に種を播いて育てた苗を植えたので、玉津日女の下から逃げ出した大国主って、とんでもない男よね」
 ヒメがいつものように反応する前に、母上がかんできた。
「宍の血で田を作った、という方の話はどうなの?」
 ヒメもいつものように質問せずにはおれない。
「こちらの話は、丹津(につ)日子神が川を雲潤(うるみ)の里に引こう太水神(おおみずのかみ)に言ったところ、『宍の血で田をつくるから河の水はいらない』と断った、というんです」
「面白いわね。播磨では、稲をつくる時に、鹿や猪の血を使った、というのね」
 ヒメは次の推理小説に使えそうなネタがあると、必ず「面白い」と乗ってくる。
「私は、この地方では『黄泉がえり』の宗教が行われていた、と考えています」
 ヒナちゃんは高木にはない、全く別のアンテナを持っている。
「黄泉がえりって、草剛君の映画があったわよね」
 ヒメの母上がまぜっかえす。
「映画と同じように、死者が蘇る(黄泉がえる)と考えられていた時代があったんです。古事記では、イザナギが殺した子のカグツチの血や死体から多くの神が生まれ、スサノオが殺したオオゲツヒメの死体から、稲や粟、麦、小豆、大豆などの穀物が生え、蚕が生まれた、とされています」
「そういえば、アマテラスも死んで岩屋に葬られたあと、黄泉がえった、ということになっているわね」
「それは、岩屋の中で、死んだアマテラスから次の女王への『霊継ぎ』の儀式が行われ、アマテラスにそっくりの姫が岩屋からでてきたという史実から、天の岩屋の黄泉がえりの伝説が生まれたと思います」
「私って、こういう恐い話が大好きなのよ」
 ヒメの母上の反応は、まさにヒメそのものである。推理小説家のヒメの血は、この母親から受け継いでいることは確実だ。
「稲作が伝わったとき、黄泉がえりの宗教のもとにあった播磨の人たちは、鹿や猪の血を種や稲にかけることで、豊作を祈願した、ということなのね」
 小説家のヒメは、質問が具体的だ。
「水利工事を行おう、という丹津日子神の提案を太水神が蹴ったというのは、新しい稲作技術を古い宗教で受け付けなかった、ということだと思います」
「大国主が玉津日女のもとから去ったのも、同じように、宗教や稲作技術上の争いがあった、ということなのね」
 ヒメの考えるテンポは、いつも高木より数歩、先に進んでいる。


※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。

にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団117 播磨国風土記は肉食系、出雲国風土記は魚食系

2011-09-18 06:02:02 | 歴史小説
写真は綾部山より見た家島群島
:鹿が追われて泳いで渡ったという「揖保郡伊刀島」の比定地

「私は子どもの頃から出雲国風土記に親しんできましたから、播磨国風土記の違いが目に付くんです。酒もそうですが、もう1つは狩りと肉食です」
 ヒナちゃんが、話題を変えてきた。
「酒の次ぎに肉とは、ヒナちゃん、やるね。また、レジュメのコピーがでてくるのかな?」
 カントクの大好きな話題に入ってきた。
「あたり、です。お酒と食事の邪魔にならないほどの簡単なメモを作りましたので、皆さん、お目通し下さい」
 メモには次のような抜き書きが打ち出されていた。

<播磨国風土記の狩りと肉食>
①賀古郡:(大神=大国主か大帯日子命:景行天皇)狩した
②飾磨郡英馬野:品太天皇(注:応神天皇)、この野に狩した
③揖保郡伊刀島:品太天皇・・・狩したまう。・・・牝鹿、この阜を過ぎて海に入り、伊刀島に泳ぎ渡った
④揖保郡槻折山:品太天皇、この山に狩したまう。槻弓をもって走る猪を射た・・・
⑤讃容郡:(大神の)妹玉津日女命、生ける鹿を捕って臥せ、その腹を割いて、稲をその血に種いた。よりて、一夜の間に苗が生えたので、取って植えさせた
⑥讃容郡町田:(賛用都比売)鹿を放した山を、鹿庭山と号す
⑦讃容郡柏原里:大神、出雲国より来た時に、・・・筌(うえ:竹で編んだ魚を捕る道具)をこの川に置いた・・・魚は入らず、鹿が入った。これを取って鱠(なます)に作って、食べた
⑧宍禾郡:伊和大神・・・巡行した時に、大きな鹿が舌を出して・・・
⑨神崎郡勢賀:品太天皇、この川内に狩したが、猪鹿が多かった・・
⑩託賀郡大羅野(おおあみの):老夫と老女、羅(あみ)を袁布(おふ)の中山に張り禽鳥(とり)を捕っていると
⑪託賀郡比也山:品太天皇、この山に狩した時、1つの鹿が前に立った
⑫託賀郡伊夜丘:品太天皇の狩犬と猪とこの岡に走り上った。天皇これを見て「射よ」と言った。
⑬託賀郡阿富山:あふこを以て、宍を荷った
⑭託賀郡目前田:天皇の狩犬、猪のために目を打ち害(さ)かれた
⑮託賀郡阿多加野:品太天皇、この野に狩したが、1つの猪、矢を負いてあたきした
⑯賀毛郡:品太天皇・・・勅(みことのり)して射つよう命じた時、1矢を発って2つの鳥に命中した・・・羹(あつもの:肉・野菜の吸物)を煮た処は煮坂という
⑰賀毛郡鹿咋(ししくい)山:品太天皇、狩に行った時、白い鹿が自分の舌を咋(く)って・・・
⑱賀毛郡猪飼野:難波高津宮御宇天皇(注:仁徳天皇)の世に、日向の肥人、朝戸君・・・此の処を賜って、猪を放って飼った
⑲賀毛郡雲潤(うるみ)里:大水神・・・「吾は宍の血を以て佃(田を作る)る。故、河の水を欲しない」と辞して言った

「お酒もそうだったけど、こうやって並べてみると、播磨国風土記は肉食系よね」
草食系と言われてきた高木としては、ヒメは肉食系、と思わずにはおれなかった。
「出雲国風土記はどうなの?」
 ヒメの母上の好奇心に満ちた目を見ていると、ヒメの質問魔は母親ゆずりなのかもしれない。
「出雲国風土記は優等生の堅苦しい公式報告文書のようで、生活や遊びの情報が少なく、そもそも狩や肉を食べる話なんかが出てきません。あえて言うなら、魚食系なのかも知れませんが」
 ひょっとしたら、ヒナちゃんは「魚食系女子?」と考えると、釣り大好き人間の高木はうれしくなってしまった。
「確かにね。八束水臣津野命の国引き神話で、新羅の三崎を、『童女の胸鋤所取らして、大魚のきだ衝(つ)き別けて はたすすき穂振り別けて・・・国来々々(くにこくにこ)と引いた』という有名な話がでてくるなあ」
 長老が認めるとなると、これは面白い。
「それって、どういう意味なのか?」
 ヒメの母上の質問は当然だ。
「『きだ』は魚のえら、『はたすすき』は肉ですから、『童女の胸のような鋤を手にとって、大魚のえらを突くように土地を突き刺し、大魚の肉を切り分けるように』国引きを行い、島根半島を引いてきた、という壮大な神話です」
 ヒナちゃんの説明はわかりやすい。
「なるほど、ヒナちゃん、出雲族は海人(あまと)系、天皇家は山人(やまと)系と言いたいのかな?」
 カントクのカンは飲むほどに冴えてくる。



筆者:お待たせしました。やっと、古代史に取り組めるようになりました。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。
にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団116 清酒は大国主・少彦名の霊(ひ)のお酒

2011-08-22 16:29:30 | 歴史小説
写真はたつの市揖保町の播磨井の石碑(播磨国風土記:萩原里酒田で息長帯日売命が酒殿を造り、少足命を祭った)

「讃容(さよう)郡のところで、『清酒を以て手足を洗った』とでてくるけど、今の清酒のことを指しているのかしら?」
ヒメはヒナちゃんのメモの小さなところまで見逃していなかった。
「2つの説があるようです。1つは、今の清酒だ、と言う説。もう1つは、単に『清めの酒』のことだ、という説です」
ヒナちゃんは抜かりなく調べている。
「清酒と濁酒(どぶろく)の違いってなんだっけ?」
ちょうど高木も考えていたところでヒメが質問した。
「どぶろくを布袋に入れて圧力をかけて漉すと、簡単に清酒と酒粕に分かれるから、古代人が今のような清酒を飲んだ可能性は大いにあるね」
どぶろくやビールづくり、ワインづくりや焼酎づくりなどを密かに楽しんでいるだけあって、カントクは酒造りには詳しい。
「伯耆の加具漏と因幡の邑由胡が、清酒を以て手足を洗ったというのは、どこでのことなの?」
ヒメの質問は停まらない。
「伯耆と因幡でのことだと思います。朝廷は2人をとらえて、この佐用郡を通って難波に向かう途中、しばしば2人の一族を清水に中に入れてひどく苦しめた、と書かれているので、伯耆と因幡で2人が驕ってやったことが罪に問われたのではないでしょうか?」
「清酒で手足を洗ったのが、なぜ、罪に問われたのかしら?」
「朝廷から派遣された役人がハメを外し、神に捧げる清酒を冒涜したということで現地の人々から非難され、朝廷に呼び戻される途中の道々で見せしめのために水に浸けられた、ということではないでしょうか? 伯耆と因幡の豪族を見せしめに懲らしめるのなら、伯耆と因幡で水に浸けると言う刑罰を行ったのではないでしょうか」
「その清酒は伯耆と因幡で祀られていた大国主の祖先霊に捧げるものであった、ということになるわね」
「これは、天皇家が伯耆や因幡、播磨各地の大国主一族の祖先霊の祀りを尊重した、という逸話と思います」
「キリスト教においては、イエスがパンとワインを自分の体と血であると宣言し、それを信者は受け継ぐ儀式を行うけど、日本の場合は、大国主と少彦名が作った清酒を飲むことで、祖先霊を共に受け継ぐ、ということだったのね」
ヒメの感性は鋭く、いつも高木を遙かにこえている。それは、ヒナちゃんも同じであった。
「面白いわね。今日は、私たちも、大国主と少彦名のありがたいお酒を思いっきり飲みましょうよ」
ヒメの母上も陽気である。
「澄んだ清酒は、大国主と少彦名の霊(ひ)のお酒、ということなのか」
マルちゃんも感心している。
「しかし、清酒か濁酒か、何か手がかりはないの?」
長老はあくまでこだわる。
「古代人が普段飲んでいたのは、記録を見る限り、濁酒と思います。しかし、神に捧げる澄んだお酒は、大国主・少彦名の時代から続く、特別な清酒であったと思います。もし、天皇家の支配が確立する段階で、始めて清酒が誕生したのなら、その記録を残したのではないでしょうか?」
ヒナちゃんは、いつも答えを用意している。
「そうだよね、すでに身近にあった清酒には、わざわざ解説は付けないものね」
マルちゃん同様に、誰もが納得したようだ。
「播磨国風土記って、面白い。ヒナちゃんありがとう。『播磨国風土記殺人事件』を書きたくなってきたけど、お酒を絡ませるアイデア、いただきね」
ヒメの小説の構想は、かなり具体的にまとまってきたようだ。

筆者おわび:ある研究会への準備があり、2週間ほど、連載を中断させていただきます。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。
にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団115 口噛み酒から黴(かむ)酒へ

2011-08-07 22:48:37 | 歴史小説
写真はたつの市揖保町の萩原神社(祭神は息長帯日売命、天伊佐々命:少彦名命を祀っていない)
播磨国風土記では、萩原里酒田で息長帯日売命が酒殿を造り、少足命を祭ったとされている。


「天皇家ではどうなの?」
「古事記の仲哀天皇のところで始めてでてきます。角鹿(敦賀)より還って来た太子(応神天皇)を息長帯日売命(神功皇后)が迎えた時に、待酒を醸(か)んで献った時の歌が最初です」
「どんな歌なの?」
「『この御酒は わが御酒ならず 酒の司 常世に坐す 石たたす 少名御神の 神壽(ほ)き 壽き狂おし 豊壽き 壽き廻し 獻りこし御酒ぞ 乾さず食(お)せ ささ』という歌です。ここで、『ささ』は酒のことです」
「播磨国風土記に出てくる『少足命(すくなたらしのみこと)』と『少名御神』は同じ人物なの?」
 高木はヒナちゃんのメモの詳しい内容を見落としでいたが、ヒメの注意力と記憶力はすごい。
「播磨国風土記では『息長帯日売命、・・・酒殿を造った。・・・神を祭る。少足命(すくなたらし命)坐す』となっています。息長帯日売命(神功皇后)が太子を迎えた歌の酒の神が『少名御神』ですから、少足命=少名御神で、大国主の国造りの同志であった少彦名命だと思います」
「播磨国風土記で大国主が酒を醸(か)んだ、醸(か)ませた、酒屋を作ったというのは、少彦名命が技術を伝えた可能性があるということかな」
 酒好きのカントクがかんできた。
「そうだと思います。それまでは、穀類を噛んで瓶にため、唾液で糖化してからアルコール発酵させてお酒にしていました。大国主命は『御かれひ(餉:乾飯)枯れて、かむ(黴)が生えた。酒を醸(か)ませて庭酒(にわき)を献って宴した』というのですから、米にできた麹菌で糖化を行う、今と変わらない製法でお酒を造ったと思います」
「そういえば、昔、鹿児島県の仕事をした時に、大隅国風土記の逸文に、村中の男女が集まって米を噛んで酒船に吐き入れ、酒の香りがしたら集まって飲むというような話があることを聞いたことがある。口噛みの酒と言っていたようだ」
 全国を撮影で歩いているカントクは、各地の酒の情報には詳しい。
「私が仕事をしたことのある愛知県岡崎市は八丁味噌で有名だけど、酒人(さかんど)神社があったんですよ。皆さん、知っていました? 祭神は酒人親王で、確か、百済から日本へ来て、酒造を伝えた人の子孫だったと思うけど」
 マルちゃんも加わってきた。
「それは阿知使主(あちのおみ)で、応神天皇の時に百済から渡来し、蘇我氏を支えた東漢氏の祖だったな。徳川家康関係の撮影で行った時に詣ってきたが、配祀されているのが稻倉魂尊(うがのみたまのみこと)なんでびっくりしたね」
 カントクも見逃してはいない。
「稻倉魂尊って、前にでてきたわね。スサノオと神大市比売の子どもで、大年神の弟だったよね」
 高木は人名が苦手だが、ヒメは人名を忘れない。多くの小説で、何人もの登場人物を自由自在に動かしてきただけのことはある。
「伏見大社のところで、出てきました。『おいなりさん』です」
 ヒナちゃんも忘れてはいなかった。
「どうやら、スサノオと大国主一族が酒を各地に広めたようね。大年が拠点とした三輪(みわ)は、播磨国風土記の神酒(みわ)、酒(みわ)と同じなのかしら?」
 ヒメはよく覚えている。
「酒を醸(かも)すことを、『かむ』というのは、口噛み酒の名残と思います。同じように、みわ=三輪=酒の可能性は十分にあると思います」
 ヒナちゃんはちゃんと検討していた。
「大神(おおみわ)神社の『酒まつり』で、『この御酒は わが御酒ならず 倭なす 大物主の醸みし御酒』と歌われていることも、みわ=三輪=酒という説に繋がるわよね」
ヒメはすっかりその気になったようだ。高木も負けてはおれなかった。
「そういえば、古事記では、大物主は三輪山のことを御諸山と言っています。三輪山と言うようになったのは、大物主をたたえて大国主が酒まつりを行うようになったからかも知れませんね」
 みんなに感化されて、高木も大胆になってきた。
「しかし、播磨国風土記で『御かれひ枯れて、かむ(黴)が生えた』と言っていることからみると、酒を『醸(か)む』というのは『かむ(黴)』からきているとは考えられないかな?」
 長老が水をさした。
「噛んで酒ができると思っていた古代人は、糀黴(こうじかび)で酒ができることに驚いて、神が『噛む』と考え、黴(かび)のことを『かむ』と言ったのではないでしょうか?」
 ヒナちゃんはいつも答えを用意している。
「そう考えると、『噛む』=『黴(かむ)』=『醸(か)む』は繋がってくる」
長老はあっさり認めたが、どうやら、正解を知っていた教師であったようだ。
「『口噛み酒』から『黴(かむ)酒』への酒造技術の転換に大国主と少彦名が関わっていた、ということは、古代人には広く知られていたようだな」
 カントクも納得したようだ。
「こうなると、庭音村(庭酒村)を探し出して、『日本酒発祥の地』の石碑を建てましょうか」
 ヒメの母の発言には高木はびっくりした。邪馬台国を掘ろう、と言い出したヒメの行動力はどうやらこの母親ゆずりのようだ。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。
にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団114 酒とスサノオ・大国主と少彦名

2011-07-26 11:09:17 | 歴史小説
写真は大神神社。毎年11月14日に「酒まつり(醸造安全祈願祭)」が開催され、「この御酒は わが御酒ならず 倭なす 大物主の醸みし御酒 いくひさ いくひさ」の歌にあわせて「うま酒みわの舞」を巫女が舞う

 「この11の物語のうち、①~⑦の賀古郡・印南郡・揖保郡・讃容郡の話は、大帯日子命(後の12代景行天皇)、品太天皇(同15代応神天皇)、息長帯日売命、難波高津宮天皇(同16代仁徳天皇)の時代で、天皇家が登場してからの地名説話です。一方、⑧~⑪はもっと古く、大国主命(葦原志許乎命、大汝命)の時代の地名説話です」
 ヒナちゃんは、長老のゼミの生徒のような答えを用意していた。
 「おかしいわよね。宍禾郡・託賀郡・賀茂郡には大国主時代の説話があるのに、賀古郡・印南郡・揖保郡・讃容郡には天皇時代の地名説話しか残っていない、ということってあるかしら?」
 ヒメは、いつものように質問が鋭い。
 「賀古郡と印南郡の北の賀茂郡下鴨里では大汝命が酒屋を作ったとしていますし、賀茂郡の北の託賀(たか)郡で、宗形大神奥津島比売が大国主との子、阿遅須伎高日古尼(あじすきたかひこね)神(古事記では迦毛之大御神)が生まれたしています。揖保郡には大国主の子の伊勢都比古、讃容郡には大国主の妻や子の玉足日子が登場しますから、大国主の影響力は賀古郡や印南郡、揖保郡や讃容郡にも及んでいたことは間違いありません」
 「そうすると、天皇時代に付けられたとされる地名の多くは、大国主時代からの地名であったということになるわね?」
「基本的な地名は、大国主時代から続いていると思います。もちろん、天皇時代に新たに付けられた地名もあるとは思いますが、もともとの地名説話の多くは、大国主ゆかりの地名だったと思います」
 「賀古郡・印南郡・揖保郡が、大国主時代の地名空白地域ってことはありえないよね」
 「出雲国風土記の地名は、ほとんどがスサノオ・大国主一族にちなんでいます。播磨でも同じだったと思いますよ」
 ヒナちゃんは、地元の出雲には詳しい。
 「ヒナちゃんから播磨国風土記が『日本酒風土記』という評価を頂いたのは、酒好きの私としては大変うれしいんだけど、聞いたこともないんだなあ」
 「そうですよ。地元で酒所というとなんと言っても神戸の灘で、播磨が古くからの酒所なんてことも、あまり言わないですね」
 ヒメと顔を見合わせながら、母親も同じ意見であった。
 「ホームページを見ると、ちらほら、そんな説が紹介されていますよ」
 「確かに、魏志倭人伝には『人性嗜酒(さけをたしなむ)』、弔問客が『歌舞飲酒する』と書かれているけど、出雲国風土記では、確か1カ所、佐香の里が『酒を醸した』ということから地名となった、と出てくるだけだったね」
 長老も地元・出雲のことは詳しい。
 「そうすると、播磨国風土記の酒の記載の多さは特別ということになるわね。同時期の古事記はどうなの?」
 高木が聞きたいことを、ヒメが外すことはない。
 「最初に酒がでてくるのは、須佐之男命が八俣大蛇(やまたのおろち)を酔わせるために、八塩折之酒(やしおおりのさけ)を醸し、酒船に盛って飲ませた、という記述です」
 やっぱり、スサノオが最初であった。ヒナちゃんは、高木と違って、いつも周辺調査が半端ではない。
 「大国主はどうなの?」
 「嫉妬した須勢理毘売と歌を交わした時に、須勢理毘売が大御酒杯を取り、捧げて歌った、というのが最初です。その歌は、『豊御酒、奉らせ』で終わり、盞結(うきゆい)した、乃ち、酒を汲み交わして心が変わらないことを確かめあったと伝えています」
 「おもしろいわね。女性が酒を用意して大国主を誘っているのね」
 「古事記の最初の歌は、有名な『八雲立つ』の歌ですし、2・3番目は大国主が沼河比売へ求婚した時の相聞歌で、4・5番目が大国主と須勢理毘売の相聞歌です」
 「恋歌とお酒がセットでてくるってうれしいね」
 ヒメの中では、次の小説のイメージが膨らんできているようだ。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。
img src="http://novel.blogmura.com/img/novel88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 小説ブログへ" />,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団113 播磨国風土記の酒物語

2011-07-13 10:53:25 | 歴史小説
写真は宍粟市一宮町の事代主命を祀る「式内社庭田神社由緒記」
:由緒記では「庭音村(庭酒)」に比定されているが、比治里は山崎町比地の地と考えられる

「最高だなあ。2人の美女からおもてなしを受けながら、日本酒談義に花を咲かせることができるとはね」
カントクは必ず女性を褒めるが、高木も全く同感であった。ヒメはどちらかというと愛くるしい顔立ちであるが、母親の方は正統派の美人として多くの男性を引きつけたに違いなかった。
「今日は皆さん、はるばる播磨の地にお越しいただき、ありがとうございました。樹の母の楓です。樹からみなさんの話はよく聞いていましたので、とても初対面のような気がしません。どうぞ、我が家にいるように、くつろいでお楽しみ下さい」
母親の挨拶を受けて、カントクが音頭をとった。
「本日は、楓様と樹様、見事なお料理をご用意いただき、感謝に堪えません。美しいお二人のご健康と、神話探偵団のますますの迷走・暴走・力走を祈念して、乾杯!」
酒好きというよりもアルコール好きの高木であるが、瀬戸内の魚介類を肴にした「八重垣」の冷酒はよく合っていた。
「ヒナちゃんが酒好きなのは知っていたけど、お酒の研究もしていたんだ」
マルちゃんも高木と同じように感じていたようだ。
「父が神主ですから、子どものころから御神酒(おみき)には親しんでいます。だから、播磨国風土記を読んでいても、お酒が気になるんです」
「地元なのに、全然、そんなことは知りませんでした。説明していただけます?」
ヒメの母に促されて、ヒナちゃんが説明を始めた。
「播磨国風土記から酒に関わるところを抜き出してコピーを用意しましたので、ご覧になって下さい」
コピーには、次のような抜き書きがされていた。

①賀古郡「酒屋村」:大帯日子命が酒殿を作った。
②印南郡含芸(かむき)里(本の名は瓶落):他田熊千、瓶の酒を馬の尻に付け、家地を求めて行き、その瓶がこの村に落ちたので瓶落と曰う。また酒山あり。大帯日子命の御世に、酒の泉湧き出る。
③揖保郡麻打里「佐佐山」:品太天皇の世に、額田部連久等が酒屋を佐佐山に作って(出雲御陰大神を)祭る。宴遊して甚く楽しむ。
④揖保郡枚方里「佐岡」:筑紫の田部・・・常に五月を以て此の岡に集聚(つど)いて酒飲み宴した。
⑤揖保郡石海里「酒井野」:品太天皇の世に、井戸を此の野に開いて酒殿を造り立てた。
⑥揖保郡萩原里「酒田」:息長帯日売命、・・・御井を開いた(墾った)、故、針間井と言う。・・・韓清水と号す。その水、朝に汲めば朝には出ず。爾して、酒殿を造った。・・・神を祭る。少足命(すくなたらし命)坐す。
⑦讃容郡仲川里弥加都岐(みかづき)原:難波高津宮天皇の世に、伯耆の加具漏、因幡の邑由胡二人、大きく驕って節なく、清酒を以て手足を洗った。
⑧宍禾郡比治里庭音村(本の名は庭酒):大神(葦原志許乎命:あしわらのしこを命)の御かれひ(餉:乾飯)枯れて、かむ(黴)が生えた。酒を醸(か)ませて庭酒(にわき)を献って宴した。
⑨宍禾郡御方里伊和村(本の名は神酒(みわ)):大神(葦原志許乎命)、此の村で酒(みわ)を醸(か)んだ。
⑩託賀郡賀眉(かみ)里荒田村:道主日女命・・・盟酒(うけひさけ)を醸(か)もうとして、田7町を作ったところ、7日7夜の間に稲が成熟した。乃ち、酒を醸みて諸神を集え・・・・。
⑪賀茂郡下鴨里「酒屋谷」:大汝命が酒屋を作った。

「播磨国風土記のことは子どもの頃からよく見聞きしていましたけど、お酒の話は初めて聞きました。ヒナちゃんの調査力は樹から聞いていたとおり見事ですね。今日は、新しい世界が広がってきそうな予感がします」
ヒメの母親だけあって、好奇心が旺盛な方かも知れない。
「こう抜き書きしてみると、播磨国風土記の構造が見えてくるなあ」
長老はゼミの学生に対するような口調がどうしても抜けない。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。
href="http://novel.blogmura.com/">にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団112 播磨国風土記は「日本酒風土記」

2011-07-04 10:21:58 | 歴史小説
写真はヤエガキ酒造の『八重垣』(同社ホームページより)

「それじゃ、私は樹(いつき)を手伝ってお食事の用意をしてきます。皆さん、先にお風呂に入ってゆっくりしていて下さいね。お部屋は、女性は奥の部屋、男性はこちらをお使い下さい。お風呂はこの離れから出た母屋の角のところです。縁側から、引き戸で脱衣所に入れます」
 最後に入った高木は、檜の香る湯船に浸かりながら、今日の思いもかけぬ展開をたどっていった。高木の常識的な古代史の世界はどんどんと崩され、スサノオや大国主の一族がいきいきと活躍する世界が姿を現してきた。何も考えずにゆっくりと疲れを癒したいと思うものの、寝付けない時のように、頭は冴えてくる。
 高木が部屋に戻ると、一同は縁側でぼんやりと庭を眺めていた。
「みなさん、珍しくお静かですね?」
「いやあ、今日は収穫が多かったので、考えを整理しているところだよ」
 高木と同じで、カントクも風呂から考え事を続けていたようである。
「スサノオ探偵団が、大国主探偵団になって、急に目の前が開けてきたようね」
 マルちゃんの感想は高木と同じであった。
「改めて現地に来て、みんなと検討してみると、播磨国風土記は面白い。古事記とセットで分析すると、神話時代の歴史が復元できるね」
 慎重な長老が今日は思い切った発言をしている。
「日本神話はこれまで荒唐無稽な創作として見られてきましたが、建国時代の英雄達の語り継がれてきた物語ではないでしょうか。神話に登場する神々は、子孫達によって神として祀られ、その活躍もまた語りつがれたと思います」
 ヒナちゃんも長老の発言に力をえたようだ。
「それにして、播磨国風土記が書かれた時代の地名がそのまま残り、そこに登場するスサノオ・大国主一族が今も神社に祀られ、すごい伝承が残っているのには驚いたなあ」
 カントクの感想は高木と同じであった。
「播磨国風土記が、幕末まで一般の人には知られることがなく、封印されていたということは大きい。そして、現在の地名や神社に祀られている神々、地元に伝わてきた物語が、播磨国風土記の記載と付合するんだからね」
 高木は「天下原」の地名や、地元の人に聞いた大国主の「鯛ジャリ」伝説を思い出した。
「神社の祭神や伝承は、日本書記や古事記に合わせて、江戸時代に大名や好事家、勤王家などによって作り替えられた部分も多くてうっかりと信用できないところもあるんです。しかし、播磨国風土記は幕末まで、1100年あまり、一般の人々の目には触れていません。従って、この地の地名や伝承は、8世紀に播磨国風土記に書かれたものが、そのまま19世紀まで伝わったことになります」
 ヒナちゃんはこれから長老と一緒にすごい仕事をすることになるかもしれない、と高木は思わざるをえなかった。高木のところにアルバイトで来ていたヒナちゃんは、もはや高木の手の届かないところに行ってしまったのかも知れない。

「みなさん、お話が盛り上がっているようですけど、お食事の用意ができました。どうぞ、こちらにおこし下さい」
 ヒメの母の案内で、一同は縁側を伝い、母屋の大広間に案内された。
 離れの庭は裏山と一体となった茶庭風の自然庭園であったが、母屋の庭は池を中心とした池泉庭園であった。
「今宵は夕月。この見事な庭を眺めながら酒を飲めるとは、最高だなあ」
 高木が月を意識するのは1年のうちで中秋の名月ぐらいしかないが、カントクの世代は月が身近かな存在なのかもしれない。
「さあ、瀬戸内海の味覚を味わって下さいね。お酒は、播州産山田錦を仕込んだヤエガキ酒造の『八重垣』を用意しました」
 縁結びの高砂神社に詣った夜に、スサノオが奇稲田姫のために詠んだ「八重垣」を用意したヒメは、いったい誰にメッセージを送っているのだろうか? 高木はヒメのいつもの詞遊びを読み切れなかった。
「それじゃあ、播磨国風土記をさかなに、『八重垣』をいただきながら、スサノオ・大国主で盛り上がりましょうか」
 カントクはさらりと受け流した。
「播磨国風土記は、別名『日本酒風土記』と言っていいほど、お酒の話が多いんです。日本酒のルーツを探りながら、いただきません?」
 またまた、高木はヒナちゃんの事前調査に負けてしまったようである。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。
にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団111 伊勢屋の「玉椿」

2011-06-16 19:30:34 | 歴史小説
写真は伊勢屋(姫路市龍野町)の銘菓「玉椿」(同社ホームページより)

筆者挨拶:東日本大震災と福島第1原発事故のブログに集中していて、古代史は中断していましたが、週1更新のペースで再開したいと思います。


「それにしても、見事な桜だね」 
 まるで庭の主のような桜の古木を見ながら、長老はつぶやいた。庭は裏山に続いており、斜面には様々な木が植えられていた。
「うちは、このあたりでは、花屋敷と言われています。今は萩と紅葉しかないけど、春になると、庭から裏山にかけて、一面、桜色になりますのよ」
 ちょうどお茶とお菓子を運んできた母親が応えた。
「これは、姫路名物の『玉椿』です。姫路藩の財政再建のため家老が命じて考案させた、という言い伝えがあるんですよ」
「歩き疲れていて、甘いものはありがたいですね。いただきます」
「どうぞ、召し上がって下さい」
「なるほど、まさに椿に見立てていて、黄色の餡が上品な甘さですね」
カントクの言うとおり、まずらしい甘さの餡であった。
「製造元の伊勢屋さんという屋号は、気になりますね?」
 ヒナちゃんは、細かなところに気が付く。
「私は、たつの市生まれですが、近くに伊勢屋という屋号のお味噌屋さんがありました。少し東に進むと伊勢という地名がありますから、こちらの方の出かも知れませんね。」
「伊勢というと、普通は伊勢神宮のある伊勢を思い浮かべますが、こちらでは、地元に伊勢があるんですね」
 マルちゃんが疑問をぶつけてみた。
「もともと、こちらにあった伊勢が、向こうに移った、と聞いたことがあります」
 さすが、ヒメの母親だけあって、詳しい。

「明日、私たちはその伊勢やたつの市にも行く予定なんですけど、樹(いつき)さんも、たつの市には詳しいですよね」
 カントクはこういう入り方がうまい。
「実家があり、私の弟がいますから、案内させましょうか? 樹の従姉妹もいますから、会いたいと思いますよ。是非、立ちよって下さいね」
「それはありがたい。樹さんと相談して、連絡を取らせていただきたいと思います」
 カントクは仕事柄、いつもこうやって人づてに取材し、撮影するので手慣れたものである。
「私からも電話を入れておきましょう」
「ご主人とは、どこで出会われたのですか?」
 カントクの大好きな、いつもの質問である。
「主人が京都の大学の時、京都で出会ったんですのよ」
「そうすると、学生結婚ですか?」
「昔、『同棲時代』という劇画があったでしょう? そんな時代だったんですよ」
 ヒメが行動的なのは、案外、この母親譲りなのかも知れない。
「ご主人は、古代史には興味を持っていらっしゃいませんでした?」
 カントクがそっと本題に入ってきた。
「そうねえ。当時は、昔話には関心がなかったし、仕事に就いてからは、忙しくて、ただ、先を見ていただけでしたね」
「ずいぶんと歴史のある旧家ですから、何か残ってはいませんか?」
「主人が若くして亡くなったので、私は仕事に追われていて調べてはいませんが、蔵にはずいぶんと古い物もあるようです。いずれ、娘に調べてもらいましょうか。娘は祖父からいろいろと話を聞いていると思います」
 思いもかけず、興味深い展開を見せてきた。
「それは是非、お願いしたいですね。私は、八雲大学で歴史をやっている大野靖といいます。その際には、是非、お手伝いさせていただきたいと思います」
 長老の、獲物を見つけた時の動きは素早い。


※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。
にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

しばらく中断させていただきます

2011-03-22 06:46:43 | 歴史小説
かつて仕事で関わった福島県や石巻市・利府町・宮古市田老町・田野畑村など、東日本大震災で大きな被害を受けました。また各地の地域防災計画に携わってきたこともあり、しばらく、東日本大震災や福島原発事故ブログに集中したいと思います。すでに書きためていた部分を除き、しばらく中断させていただきます。
●まちづくり連れ連れ騒士 http://geocities.yahoo.co.jp/gl/matiplanplan/


にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団110 白国の里のルーツ

2011-03-16 20:09:18 | 歴史小説
大国主の妻・木花咲耶媛にちなんだ名前「雲箇(うるか)の里」を今に伝える閏賀橋:宍粟市一宮町、向こう正面に見える富士山型の神那霊山は宮山、その右手の杜は伊和神社

話をしているうちに、車は白国の集落に入った。
「先に、白国神社を見に行きましょう」
ヒメの案内で白国神社に向かい、車を降りて神社の境内に向かった。
「なぜ、新羅(しら)からきた祖先が、スサノオの子の大年や大国主の妻の木花咲耶媛を祀るようになったのかしら」
マルちゃんの質問は続く。
「大年の母の神大市比売も大国主の妻の木花咲耶媛も大山祇の一族だよね。ということは、白国の祖先は神大市比売~木花知流比売~木花咲耶媛と繋がる大山祇神と関わりが深い、ということになるのかな」
カントクも日本神話の神々には詳しい。
「白国神社背後の倉谷山のさらに上の広峯神社にはスサノオと五十猛(イタケル)命の親子が祀られていますが、日本書紀はこの親子が新羅、当時の辰韓に行ったと伝えています。鉄の交易を通してスサノオ~大国主一族は辰韓と古くから交流があり、新羅から招かれた人々がこの地のスサノオや大国主の子孫と結婚して定住し、スサノオの子の大年や大国主の妻の木花咲耶媛を祀った可能性があります」
ヒナちゃんは答えをちゃんと用意している。
「播磨国風土記には、韓(から)国より来た天日槍(アメノヒボコ)命が各地にでてくるけど、白国のみなさんは天日槍の子孫、という言い伝えはないの?」
長老がめずらしく口を挟んだ。
「新羅からきた、としか伝わっていないなあ」
ヒメの家には伝わっていないようだ。
「播磨国風土記は大国主が天日槍命に宇頭川の海中に宿るところを許したというような話や、両者が揖保郡の粒(いいぼ)丘や宍粟郡、神埼郡などの各地で争った話がでてきますよね。一方、記紀はこの天日槍を新羅の王子と伝え、日本書紀は垂仁天皇の時代のこととしていますよね。どちらが正しいのでしょうか?」
高木は疑問を投げかけた。
「播磨国風土記に書かれた大国主と記紀に書かれた天皇の時代にでてくる同一人物については、木花咲耶媛や火明命の例をみても、より古い大国主時代の人物を、後に天皇家の歴史に組み込んだ、と思います。逆に、天皇家の権力が確立する時代に、天皇家ゆかりの人物を、大国主の伝承に組み込むことはできないと思います」
ヒナちゃんの説明は納得できるものであった。
「しかし、新羅が成立したのは、大国主の時代よりもずっと後の4世紀だよね。天日槍は韓国から来たことになっており、これだと1~3世紀頃の大国主の話と合ってくる」
長老らしい意見だ。
「スサノオ・大国主時代に辰韓(後の新羅)からきた人たちが、4世紀以降に『新羅』の国名から白国の名前で呼ばれるようになったのだ思います。古事記によれば、天日槍は北の但馬、今の豊岡市出石に移りますから、白国の人たちはそれより前にこの地に定住していたと思います」
ヒナちゃんの推理はよどみない。
「白国の人たちは、何をして暮らしていたのかしら」
今回はマルちゃんが質問役である。
「おそらく製鉄技術を持ち、この地を開拓したのではないかと思います」
「それって、根拠があるの?」
「播磨国風土記の佐用郡では『12の谷あり。皆、鉄を生産する』と書かれたすぐ後に、大国主の妻の佐用都比売命が『この山に金の鞍を得たまいき』という表現があります。わが国の製鉄の起源はスサノオ~大国主の時代に遡る可能性がないとは言えないと思います」
ヒナちゃんも今度は歯切れが悪い。
「ヒメの家には、鉄とか剣の話とか、スサノオ・大国主の話は伝わっていないの?」
長老は伝承にこだわる。
「聞いたことはないなあ」
あまりにも古い話のようだ。
「白国に古い製鉄遺跡はないの?」
マルちゃんがねばる。
「最古級の製鉄遺跡というと、ずっと後の6世紀の岡山県総社市の千引かなくろ谷遺跡になる。スサノオ・大国主の時代の遺跡は見つかっていないね」
長老の解説は動かしようがない。
「製鉄起源がスサノオ・大国主時代に遡る可能性がある、ということにして、今後の発掘の成果を見守りましょうよ」
マルちゃんがまとめた。
「じゃあ、家に向かいましょう」
車に乗り込むとすぐにヒメの家であった。ヒメの実家は土塀に囲まれた目立たない門構えであったが、中に入ると前庭は広く開放的で、池と築山が落ち着いたたたづまいを見せていた。母屋は広縁に囲まれた開放的な造りで、玄関を開けると「ただいま」とヒメが声をかけた。
「まあ、よくいらっしゃいました。娘がお世話になっています。お疲れでしょう、さあ、どうぞお上がり下さい」
活発なヒメの雰囲気と較べて、おっとりした感じの、思ったより若く見える母親で、高木はびっくりした。元は隠居部屋であったような、外れの2部屋に案内され、高木・長老・カントクとヒナ・マルちゃんと分かれて荷物を置き、庭を見ながら一息を入れた。


※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)

にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団109 白国神社へ

2011-02-28 17:14:02 | 歴史小説
姫路の白国神社

「高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて」
カントクの合図で、高砂の松に別れを告げ、長老の車に乗り込み、姫路の白国のヒメの実家に向かうことになった。高砂神社から北に向かい、高御位山を見ながら国道2号線の姫路バイパスに乗った。
「今、渡った小さな川が天川です。その左手の小高い山が日笠山です。菅原道真が大宰府へ左遷される時、日笠山に登り、山上の小松をとり『我に罪無くば栄えよ』と祈って麓に植え、そこに子孫によって曽根天満宮が建てられた、と言い伝えられています。」
高木は調べておいたことを披露した。
「菅原氏というと、元は土師氏だから、当麻蹴速との角力(相撲)で勝った野見宿禰の子孫だな。野見宿禰は桜井市の穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社の境内の相撲神社に祀られていたな」
カントクは各地で映画を撮ってきただけに詳しい。
「兵主というと、姫路の播磨国総社も射楯兵主神社ですが、滋賀県野洲市には兵主大社があり、壱岐をはじめ兵主神社は全国に約50社あります。野見宿禰は天穂日命の子孫で、播磨国風土記にはたつの市で死んだと記されていますから、その一族は播磨とは関わりが深いと思います」
ヒナちゃんは神社には詳しい。
「ところで、白国神社のことを教えてよ」
マルちゃんから指令が飛んできた。
「播磨国風土記には『昔、新羅の国の人が来朝した時、この村に宿った。だから新良訓となづけた』と書かれています。一方、白国神社の祭神は、景行天皇の子の稲背入彦命と孫の阿曽武命と、ニニギ命の薩摩半島の妻の木花咲耶姫命ですから、天皇家一族の神社になります。稲背入彦命は播磨別(はりまわけ)の祖とされています」
高木は調べておいたことを紹介した。
「新羅は新良=白(しら)なのに、なぜ『しらぎ』というのかしら?」
マルちゃんがいつものように突っ込んできた。
「私の家では、『しら』から来たと伝わっていて、『しらぎ』から来たとは言わないなあ」
ヒメの祖先は、新羅から来たという古い言い伝えが今に続いているらしい。
「後の甲斐源氏の武田氏や常陸源氏の佐竹氏、南部氏などの祖先の源義光は『新羅三郎(しんらさぶろう)』と称している。韓国読みの『しら、しんら』だったと思うよ」
カントクの話はヒメと同じで時代を越えて飛び回る。
「私は、『しらぎ』の読み方は、紀元4世紀頃に遡ると思います。環壕と城柵に囲まれた『城(き)』を国と称していた時代に、磯城、間城、葛城、鍵(加城)、壱岐(一城)、甘木(天城)などの国名が生まれ、それを『新羅(しら)』にも当てはめて、『しらぎ』と呼ぶようになったと思います」
ヒナちゃんの推理はよどみがない。
「『しら』をなぜ『しらぎ』というのか、前から疑問に思っていたんだけど、ようやく納得できたよ。ありがとう」
ヒメには小説への新たな題材ができたようだ。
「しかし、『しら』の人たちがいた地に、『しら』の祖先神ではなく、なぜ天皇家の神が祀られている白国神社があるのかしら?」
質問ヒメに代わって、マルちゃんがこだわる。
「神社を考える時、一番大事なのは、祀られている神のうち、一番古い神は誰か、ということです。その次ぎに大事なのは、神社の元になるのは、その背後の山に祀られている神は誰か、と考えます」
どうやらヒナちゃんは、答えを考えているようだ。
「稲背入彦命の子の阿曽武命の妃が出産の時に大変苦しんだので、阿曽武命が倉谷山に白幣を立てて安産を祈願したところ、木花咲耶媛が現れて『永くこの地に留まって婦人を守って安産させましよう』と告げ、無事に男子を出産した、と神社では伝えています」
高木はスマートフォンを見ながら説明を付け加えた。
「白国神社の主祭神は木花咲耶媛で安産の神様、稲背入彦命と阿曽武命は相殿に祀られているよ」
白国神社の神主一族のヒメが言うのだから確かだ。
「木花咲耶媛は、記紀ではニニギの妻の神神吾田津姫となっていますが、播磨国風土記では、大国主の妻として宍粟郡の雲箇(うるか)里に登場します。現に、大国主を祀る伊和神社のすぐ北に閏賀(うるか)の地名が残っています。播磨国風土記では、山上に祖先霊が在ますという表現が随所に見られることからみて、もともと、倉谷山の山上に祀られていたのは大国主の妻の木花咲耶媛の可能性が高いと思います」
ヒナちゃんの推理が冴えているのは、高木も認めざるをえなかった。
「古事記によれば、スサノオは大山津見(大山祇)神の娘の神大市比売を娶って大年神をもうけ、大山津見神かその2代目の娘、木花知流比売(このはなちるひめ )はスサノオの子の八島士奴美(やしまじぬみ)神の妻となっている。「木花散る」と「木花咲く」の対の名前からみて、木花咲耶媛は数代後の大山津見神の娘で、大国主の妻となったとみるべきだな」
カントクのいう通りであろう。
「記紀が共に、『神阿多都比売、またの名を木花佐久夜毘売』と伝えていることからみても、薩摩半島笠沙の吾田の娘を、後に、大国主の妻の名前を取って権威づけた、と考えられます」
ヒナちゃんの推理は一貫している。
「そういえば、白国地区には大年神社があって、応神天皇の頃から祀っていて、鎌倉時代に神社を建てたと伝わっているわよ」
昔の高木なら、後世の作り話と一笑したところであるが、新羅からきた一族の子孫が言い伝えているとなると、真実の伝承に思えてきた。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究
(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)

にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団108 歌聖・柿本人麿と和歌三神

2011-02-21 20:50:33 | 歴史小説
可古の島の候補地・加古川河口の高砂神社

「ところで、住吉大社というと、航海の神であるとともに和歌の神様とされているけど、なぜなのかしら?」
全国各地を飛び回っているマルちゃんは思いもかけぬことに詳しい。
「なぜか、住吉明神と玉津島明神、柿本人麻呂が和歌三神とされているんだな」
高木にはほど遠い世界でノーマークであったが、カントクの世代となると、その知識は幅広くなるのかもしれない。
「そういえば、百人一首に、高砂を詠んだ歌があったわよね」
ヒメの関心は360度、飛び回る。
「『誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに』。作者の藤原興風は三十六歌仙の一人です」
マルちゃんはスラスラと歌を詠んだ。
「そうすると、平安時代にはこの高砂の松はよく知られていたことになるわね。世阿弥よりもずっと前になる」
ヒメの頭の中では、小説のストーリーが新たな展開を見せたようだ。
「そういえば、三十六歌仙のトップにあげられている歌聖・柿本人麿もこの印南の歌を詠んでいましたね。万葉集にでてきます。
『稲日野も 行き過ぎがてに 思へれば 心恋しき 可古の島見ゆ』」
マルちゃんが新たなテーマを持ち出した。
「柿本人麿の羇旅の歌8首の1つです。その2つ後には、有名な次の歌があります。
『天ざかる 夷の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ』」
ヒナちゃんまで加わって、高木の苦手な和歌の世界に入っていった。
「それと、柿本人麿には印南をよんだ歌が万葉集にもう1つあります。『柿本朝臣人麻呂、筑紫国に下りし時、海路にて作れる歌2首』です。
『名ぐはしき 稲見の海の 沖つ波 千重に隠りぬ 大和島根は』」
ヒナちゃんの澄んだ歌声が境内に響いた。
「旅の歌8首と海路にて作れる歌2首は同じ時に詠んだのかしら?」
ヒメの推理アンテナには何かが引っかかったようだ。
「別の場所に掲載されていますから、別々の機会の歌だと思います。旅の歌8首に出てくる地名は、三津、大阪の湊から、神戸 → 淡路島北端 →印南・加古 → 南淡路島(又は武庫 ) と続いていますから、大阪から出て、この地まで来て、帰ったと思います」
「柿本人麿は、何故、この地に旅をしたのかしら?」
「一番考えられるのは、皇族のお供をしてきた、ということだと思います」
「それは誰なのかしら? それと、何のためなのかしら?」
「石の宝殿ところで述べましたが、726年に聖武天皇がこの地を訪れたのは、大国主建国の聖地にきて高御位山と石の宝殿の大国主を祀り、反藤原連合に向けてスサノオ・大国主の子孫にメッセージを発したものと考えられます。その時には、宮廷歌人の山部赤人が同行し、印南の地名を歌に残しています」
「柿本人麿が同行した可能性はないの?」
「660年頃の生まれとされていますから、726年の聖武天皇の印南行幸の時に生きていれば66歳ということになります。しかし、人麿が歌った高市皇子や弓削皇子の挽歌が696、699年であることからみて、その死は700年頃の可能性が高いと考えられています」
「この印南の歌は万葉集のどのあたりに出てくるの」
「弓削皇子や春日王、長田王(長皇子の子)などの歌に続いています」
「そうすると、天武系と天智―藤原系の後継者争いの中で、人麿は天武の子の長皇子・弓削皇子兄弟と親しかった可能性があるな」
カントクもこのあたりは詳しい。
「人麿は藤原一族に殺された長皇子・弓削皇子に従って印南に行った可能性が高いのではないでしょうか。また、長皇子の子の長田王は筑紫に派遣されて歌を詠んでいますから、人麿が筑紫国に下りし時に海路で作った歌というのは、長田王に従ったのかもしれません」
ヒナちゃんは、いつも答えを用意している。
「しかし、『心恋しき 可古の島』といい、『夷の長道ゆ 恋ひ来れば』『名ぐはしき 稲見』など、人麿の思い入れはかなり強いわね」
ヒメの小説は厚みをましてきそうだ。
「『可古の島』の『島』には国という意味があります。私は『可古の島』には『過去の国』の意味が重ねられていると思います。また、『千重に隠りぬ 大和島根は』には、大和国の『根』である大国主の国が『隠りぬ』という意味が込められていると思います」
確かに、ヒナちゃんの言うように、この地が大国主建国の地であるとすると、『名高い 稲見』であり、この地に出雲系の天武天皇の皇子が訪れ、さらに、天智系ながら蘇我氏の血を引き、藤原氏と闘った聖武天皇がこの地を訪れ、大国主の子孫を味方に付けようとしたのは高木にも納得できた。
「柿本人麿=山部赤人説があったけど、どうかな? 柿本人麿は死んだことに挽歌まで作り、藤原氏が勢力を失った時に復活し、聖武天皇に仕えて印南に来た、ということは考えられないかな?」
異説・珍説に詳しいカントクならではの発言である。
「二人の歌が同一人の歌だとは、とでも思えないなあ。赤人は平凡だよね」
作家のヒメならではの発言である。
「しかし、歳をとって歌に力がなくなる、というのはあるんじゃない」
カントクは食い下がる。
「山部赤人はその間、各地に行って歌を詠んでいますから、有名な柿本人麿ってことがすぐにバレてしまうのではないでしょうか?」
やんわりとヒナちゃんにイナされてしまった。
「和歌三神のうち、柿本人麻呂はわかるけど、住吉明神と玉津島明神はわからないなあ」
ヒメはどこまでもこだわる。
「住吉明神こと底筒男命・中筒男命・表筒男命の『筒』は、『津島』の『津』の可能性があると思っています。対馬の南端には『豆酘(つつ)』という地名が残っていますし、厳原の『いつ』も『委(倭=い)の津」ですから、ここも『津島の津』=『つつ』であった可能性があります。玉津島も津島に関わりがあり、津島をルーツとするスサノオ一族に繋がってくるような気がします。」
いつもながら、ヒナちゃんの推理は独創的だ。
「古事記に最初に出てくる歌が、真偽はともかくとして、スサノオの有名な『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に・・・』の歌とされている、というのも気になるなあ」
確かに、カントクの言うように、誰かが和歌三神などとこじつけたのに違いない。
「古事記はこの国の建国者がスサノオと大国主であることを伝えています。万葉集は、柿本人麿を中心とした天武派の歌集という性格を持っています。天武天皇は火明命一族の大海氏に養育されており、住吉大社を創建したのは火明命の子孫の津守氏です。恐らく、柿本人麿を慕う歌人達が、住吉大社や玉津島神社を頼り、集まるようになったのではないでしょうか」
今度は、ヒナちゃんの推理が高木の中にすっと入ってきた。
「ありがとう、ヒナちゃん。曾祖母ゆかりの住吉大社を今度の小説には登場させられそうね」
質問ヒメも納得したようだ。
「しかし、高砂神社に藤原興風や柿本人麿の歌碑がないというのは残念ね」
マルちゃんの言うとおりである。
「播州人って、海の幸・山の幸に恵まれてノンビリしているというか、郷土意識が弱いというか、ほとんどないからね。オープンである、といえば聞こえはいいけど、あまり文化的ではないわよね」
ヒメはいつも地元には手厳しい。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究
(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
  帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団107 「高砂の松」は「霊洩ろ木(ひもろぎ:神籬)」

2011-02-12 12:02:52 | 歴史小説
謡曲「高砂」の相生の松

「その仮説はちょっと強引だね。印南を拠点とした大国主の何代かあとの王の伝承の可能性はないかな?」
慎重な長老が疑問を述べた。
「高砂神社も住吉大社も、神社創建は伝承によればずっと後の神功皇后の時代ですよね?」
高木としては、考古学の世界の常識を一応、述べておくことにした。
「前に広峯神社のところで検討しましたが、祖先霊信仰は、第1段階は、祖先霊が降り立つ『神那霊山』の『磐座(いわくら)』信仰、第2段階は祖先霊を磐座から里の『霊洩ろ木(ひもろぎ:神籬)』に移して信仰する段階、第3段階が霊洩ろ木(ひもろぎ)の地に建てた『神社』信仰の時代、になると思います。
高砂の松の物語は、この第2段階の信仰を表しており、その祭神である翁は、やはり高砂信者に祀られた大国主の霊になるのではないでしょうか?」
またしてもヒナちゃんに完敗の高木であった。
「元々、大国主と少彦名は高御位山と石の方殿に祀られていて、大国の里のこの地に「霊洩ろ木」を建てて祀るようになった、いつしか、その地の相生の松に大国主と住吉の妻の霊が宿っている、と言い伝えられるようになった、というのは納得できるね」
マルちゃんのまとめはいつも的確だ。

「謡曲『高砂』が結婚式で謡われるようになったのは、大国主が『縁結びの神』と言われていることとも関係があるかも知れないね。ヒメやヒナちゃんが結婚する時には、僕が『高砂』を謡うからね」
カントクが盛り上がってきた。
「いっときますけど、私もまだ独身ですからね。それと、長老やホビットさん、ボクちゃんも独身だよね」
マルちゃんが突っ込む。
「これは失礼しました。訂正。6人全員の結婚式で謡わせてもらいます」
カントクが若い女性にばかり目が向いていることが暴露されてしまった。
「じゃあ、カントクと誰かが結婚する時には、どうなります?」
いつも突っ込まれる高木であったが、相手が手負いの時にはチャンスであった。
「そりゃ決まっている。代役は長老にお願いするよ」
ひょっとしたら、とは思っていたけど、長老とマルちゃんが怪しいと皆は思うに違いない。これは、高木にとってはチャンスであった。
「じゃあ、高砂の松をみんなで回りましょうか。女性は右から2回回り、男は左から2回回りましょう」
高木はカントクの提案に乗った形で、ヒナちゃんと高砂の松を回る名案を思いついた。
「ちょっと待てよ。古事記によれば、イヤナミが天御柱を先に回ってセックスすると、水蛭子(ひるこ)が生まれたので海に流た。やり直してイヤナギが先に回ると淡路島を始めとする国土が生まれた、ということだったよね。どちらが先に回るのがいいのかな」
いつものフェミニストを自称するカントクらしからぬ、それもその先のセックスまで含めた発言でびっくりした。
「最初に地上で生まれた水蛭子(ひるこ)を海に流すという神話は、障害者殺しからこの国の歴史が始まっていると言われているけど、『全ての漢字は宛字である』という原則からみると、『ひるこ』は『霊留子』であって『霊留女(ひるめ)』の対の言葉とみるべき、という説がありますよね」
チャーミングなヒナちゃんも、時にはかなり恐い顔にみえてくる。
「そうよ、女が先に回ったらダメ、なんていう神話解釈はとんでもないわよ」
マルちゃんも手厳しい。
「沖縄や鹿児島では、女性の性器を『ひー』、熊本では『ひーな』と呼び、茨城ではクリトリスのことを『ひなさき』と言っている。平安時代中期の辞書『和名抄』にも『吉舌(ひなさき)』はでている。
出雲では今も女性が妊娠すると『霊(ひ)が留まらしゃった』というし、茨城では昔は死産のことを『霊(ひ)帰り』と言っていた。従って、『霊留子』を『蛭(ひる)』のような障害者と見るのは、間違っているよ」
さすがに長老はいろんな分野に詳しい。カントクがいうとイヤらしくなるところが、長老がいうと自然で説得力がある。
「それじゃあ、女性から先に回ってもらいましょう」
カントクは女性の意見にはいつも素直である。「ブライダル都市・高砂」のご利益がありますように、と祈りながら高木は「高砂の松」を回った。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究
                (http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ

神話探偵団106 高砂はなぜ結婚式で歌われるか?

2011-02-08 23:56:13 | 歴史小説
謡曲「高砂」の友成ゆかり(?)の神木

「私の母方の曾祖母までは、代々、御座船が迎えにきて住吉大社に仕えており、曾祖母は津守家の姫のお相手役だったらしいのよ。その津守家が天火明命の子孫とは知らなかったわね」
ヒメが思いもかけないことを言い始めた。
「この天火明命が、古事記に書かれたニニギの兄なのか、それとも播磨国風土記に書かれた大国主の子どもなのか、これは、播磨、摂津、葛城、丹後、丹波、尾張の古代史に関わる重要な争点だね」
カントクの言うとおりである。
「その議論は、明日、火明命を祀る粒坐天照神社に行った時にしません?」
ヒナちゃんが珍しく割って入ってきた。
「それがいいね。それより、イヤナギの体に付いた黄泉の国の汚れた垢を洗い流した時に生まれた底筒男命・中筒男命・上筒男命の方が問題だよ。この住吉3神を祀る住吉神社は全国に約600社とも2000
社あるとも言われているけど、わが筑紫の一宮の住吉神社が、最初の住吉神社と言われているからね」
博多っ子のカントクとしては当然だ。
「大阪の住吉大社の方が格が上じゃないの?」
「天皇家との繋がりで大阪の住吉大社の方が格が上になっているけど、古書では博多の住吉神社が『住吉本社』『日本第一住吉宮』と書かれている」
ヒメとカントクでどんどん「高砂」から離れていっている。
「神戸にある本住吉神社が、住吉大社より先にできたと思われますが、本住吉神社も住吉大社も神功皇后が帰還した時に創建されたとしているので、博多の住吉神社から移された可能性が高いと思います」
ヒナちゃんも神社には詳しい。
「底筒男命・中筒男命・上筒男命の『筒』ってどういう意味なの?」
ヒメの頭の中では、いろんなストーリーが生まれてきているようだ。
「住吉神社では、ツツは星を意味していると言って、航海・海上の守護神としているね」
「星男って名前はいいなあ」
「しかし、筒男(つつのお)は、対馬の上島の南端、『豆酘(つつ)』の男という説もある」
「『津島』の中の『津=港』か。なるほど」
「問題は、この豆酘(つつ)には住吉神社がなく、上島の北端の美津島町雞知の上ヒナタにある住吉神社が式内社の住吉神社に比定されているんだ」
「いずれにしても、海(あま)族の神、ということになるね」
「対馬の住吉神社の境内には、和多都美神社があるから、海神(わたつみ)族と関わりの深い神であることは間違いないね」
「本住吉神社、住吉大社のある場所は、どちらも摂津国で、古くは『津国(つのくに)』でしたから、津に関わりがあります」
ヒナちゃんが補足した。
「住吉大社のことがわかってきたけど、最初に戻って、なぜ謡曲の『高砂』が結婚式で歌われるようになったのかしら? 」
ヒメは最初の疑問点を忘れてはいなかった。
「阿蘇宮の神主・友成が、高砂から住吉に船で向かう場面を謡った歌が、結婚式で謡われる、というのは確かに、奇妙だね」
カントクの言うとおりである。
「私は、この歌には、高砂から住吉へ船で向かう4つの場面が重なって謡われていると思います。1つは、歌詞のとおりの友成の行動です。2つ目は、高砂の男が住吉の女の下へ、妻問いにでかける場面です。3つ目は、阿蘇宮の神主が友成と同じように船で住吉に向かい、住吉で結婚を祝うという場面です。4つ目は、高砂の松の霊が、住吉の松の霊を訪ねる場面です。
高砂が結婚式で謡われるようになったのは、こ高砂の男と住吉の女が結ばれ、それを阿蘇宮の神主が祝う、という伝承があったからに違いありません」
ヒナちゃんの推理は、さすがという以外になかった。
「ありがとう、ヒナちゃん。謡曲『高砂』の謎は半分を解いたね。残る、高砂の男と住吉の女は誰か、という答えを、当然、考えているわよね?」
ヒメの推理小説の謎解きもできあがってきたようだ。
「これは、単なる推測ですが、高砂神社に大国主の霊(ひ)が祀られていること、二人が別々に暮らしながら心が通じ合っていた、という物語からみて、高砂の男は大国主、住吉の女は「ツツ一族」の王女だと思います。大国主が播磨から摂津に支配を広げていく中で、二人は結ばれ、それを阿蘇宮の神主が祝った、というような伝承があったのではないでしょうか?」
ヒナちゃんはいつも最後まで考え抜いている。いつも情報整理に留まっている高木には、とても及ばないところであった。

※ 本ブログ中の文章や図、筆者撮影の写真は、ご自由にお使い下さい(ただし、出典を記載して下さい)。リンクもご自由に。
資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
      霊の国:スサノオ・大国主命の研究
(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
      霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
  帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ