ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

倭語論8 道と礼と信の国

2020-01-30 11:50:32 | 倭語論
 紀元前5~6世紀の思想家、孔子は「道が行なわれなければ、筏(いかだ)に乗って海に浮かぼう」と述べ、3世紀に陳寿(ちんじゅ)は三国志魏書東夷伝の序で「中國礼を失し、これを四夷(しい)に求む、なお信あり」と書いています。紀元前6世紀から紀元3世紀にかけて、倭国(わのくに)は、「道と礼と信」の国とみられていたのです。
孔子画(ウィキペディアより)

 道は「人道・天道・道理」などを、「礼(禮)」は「示+豊」で「示(高坏に物を乗せて示す)+豊(供え物を盛る器)」ですから祖先霊に豊かな供え物をする信仰になります。「信」は「人+言」ですから「人の言うことをしんじる」を表しています。
 朝鮮半島の高句麗・馬韓(後の百済)・弁辰(後の新羅の一部)では「鬼神を祭る」と書かれているのに、邪馬台国の卑弥呼の宗教だけが「鬼道」と書かれているのは、孔子と儒学者の陳寿たちがこの国を「道の国」とみていたことを示しています。
 わが国は、1万年を超える世界に類のない土器時代(土器鍋時代。通説は縄文時代)から続く、紀元前5~6世紀から3世紀の海人(あま)族=海洋交易民の「道と礼と信」の国の原点に立ち返り、世界から尊敬・信用される国をめざし、信長・秀吉や大日本帝国のような武力による領土・支配権確立ではなく、「交流・交易・外交」を基本戦略とすべきと私は考えます。
 55%の貿易額を占めるアジア諸国と「道と礼と信」による交流・交易・外交こそもっとも重要であり、輸出・輸入第1位の中国、輸出第3位・輸入第5位の貿易国、中国・韓国の敵視政策や韓国との貿易戦争などありえへん話です。アメリカの核の傘にたより、トランプ大統領の忠実な手下として、道を踏み外すべきではありません。

倭語論7 「鬼」の国

2020-01-29 16:30:43 | 倭語論
 「鬼」について、ウィキペディアは「一般に、日本の妖怪と考えられている」と全くのピント外れの解釈をしていますが、文芸評論家の馬場あき子氏の次の5種類を紹介しています。
  1 民俗学上の鬼で祖霊や地霊。
  2 山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例、天狗。
  3 仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
  4 人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
  5 怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。
 この分類は「妖怪説」よりはマシですが、「歴史上の鬼」の分析が欠けています。
馬場説は「元々は死霊を意味する中国の鬼が6世紀後半に日本に入り、日本に固有で古来の『オニ』と重なって鬼になったという。ここでいう『オニ』は祖霊であり地霊であり、『目一つ』の姿で現されており、隻眼という神の印を帯びた神の眷属と捉える見方や、『一つ目』を山神の姿とする説(五来重)もある。いずれにせよ、一つ目の鬼は死霊というより民族的な神の姿を彷彿とさせる」と説明していますが、「中国の鬼が6世紀後半に日本に入り、日本に固有で古来の『オニ』と重なって鬼になった」は明白な間違いです。
 なぜなら、3世紀の魏書東夷伝倭人条に「名曰卑弥呼 事鬼道 能惑衆」(名を卑弥呼といい、鬼道を祀り、よく衆を惑わす)」と書かれ、卑弥呼の「鬼道」が行われていることを無視しているからです。歴史は天皇家の大和朝廷から始まるという大和中心主義の「新皇国史観」の解説と言わざるをえません。

魏書東夷伝倭人条の卑弥呼の「鬼道」


「鬼」字を漢字分解すると「甶+人+ム」で、「人が掲げた甶(頭蓋骨)を、ム(私)が拝む」を意味し、「魂」は「云+鬼」で「云(雲)の上の鬼」=天神になり、「魏」字は「禾(稲)+女+鬼」ですから「鬼=祖先霊を、女が稲を捧げて祀る」という字になります。これらの漢字からみて、中国において「鬼」の本来の意味は「祖先霊」であったことが明らかです。

「鬼」字、「魂」字、「魏」字の漢字分解


 魏書東夷伝では高句麗、馬韓(後の百済)、弁辰(後の新羅)で「鬼神」信仰が行われていると書かれていますから、中国だけでなく、朝鮮半島の諸国・倭国でも古くから鬼信仰=祖先霊信仰であったのです。
 この祖先霊を指していた「鬼」を、悪役の「邪鬼」「人鬼」「怨霊(お化け)」にしたのは、人々の信仰対象を「鬼(神、霊、魂)」から「仏」に変えるための仏教の宗教改革戦略であったことは明らかです。
 それは仏教を国家宗教とし、「鬼」(スサノオ・大国主一族の八百万神)を足元に踏みつけた仏像を作らせた天皇家の戦略でもありました。縄文時代(筆者説は土器鍋時代)から続く、「鬼=神=霊=魂」の祖先霊信仰から、鬼だけを悪者にし、天皇家に従わない王(例えば、吉備津神社に祀られた温羅など)や人々を鬼として民衆から切り離したのです。
 漢字分析で注意しなければならないのは、中国においてもまた、儒教と仏教によって、それまでの母系制社会の祖先霊信仰=霊継(ひつぎ)信仰がゆがめられて伝えられ、漢字解釈が行われている可能性があり、辺境の倭語においてその本来の意味が解明できる可能性があることです。
 古代史の分析においては、大和朝廷の隋・唐留学生の官僚や、江戸時代からの朱子学に染まった官僚・学者による漢字使用には疑いを持ち、大和朝廷以前の歴史の分析においては、倭語・倭音による分析が必要であると考えます。

注:2019年10月25日のFB「古代小話8 「卑」字について」の一部を独立させて書き足しました。 雛元昌弘



最近の5つの古代史ブログの紹介

2020-01-28 17:19:08 | 倭語論
 古代史のテーマ別に5つのブログを再開・開始しましたが、相互に少なからぬ関連があるので、昨年末から書いてきたブログ全体について紹介しておきます。今後は重複アップはやめ、それぞれのブログで他の新ブログをリンクします。

1 Gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」(旧:神話探偵団)https://blog.goo.ne.jp/konanhina
① 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(第2版:雛元版)のご案内 0110
② 神話探偵団128 「天王スサノオ」を目指した天主・織田信長を殺した明智光秀 0114
③ 神話探偵団129 麻生太郎氏の「126代の1つの王朝」は正しいか? 0115
⑤ 古代史ブログを再開します 0123
⑥ 倭語論1 平和について 0123
⑦ 倭語論2 倭流漢字用法の「倭音・呉音・漢音」について 0124
⑧ 倭語論3 「主語-目的語-動詞」言語族のルーツ 0125
⑨ 倭語論4 「倭人」の漢字使用 0126
⑩ 倭語論5 「和魂」について
⑪ 倭語論6 「神」について

2 Seesaaブログ「ヒナフキンの邪馬台国ノート」 yamataikokutanteidan.seesaa.net/
① 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(第2版:雛元版)のご案内 0110
② 古田説・安本説と私の邪馬台国論 0110
③ 古代史ブログを再開します 0123
④ 纏向の大型建物は「卑弥呼の宮殿」か「大国主一族の建物」か 0128

3 FC2ブログ「霊(ひ)の国の古事記論」 http://hinakoku.blog100.fc2.com/
① 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(第2版:雛元版)のご案内 0110
② 「天王スサノオ」を目指した天主・織田信長を殺した明智光秀 0114
③ 麻生太郎氏の「126代の1つの王朝」は正しいか? 0115

4 はてなブログ「ヒナフキンの縄文ノート」https://hinafkin.hatenablog.com/
① 1 縄文との出会い 0106
② 2 私の日本民族起源論、縄文論 0107
③ 3 これからの「縄文社会研究」のテーマ(検討中) 0110
④ 4 「ワンチーム」の縄文時代:麻生太郎氏の「126代の1つの王朝」批判 0115
⑤ 5 古代史ブログを再開します 0123
⑥ 6 「弥生時代」はなかった 0125

5 Livedoorブログ「帆人の古代史メモ」 blog.livedoor.jp/hohito/
① 帆人106 古代史小論・レジュメ一覧 1221
② 帆人107 『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(第2版:雛元版)のご案内 0114
③ 帆人108 「天主・天王」を目指した織田信長を殺した明智光秀 0114
④ 帆人109 麻生太郎氏の「126代の1つの王朝」は正しいか? 0115
⑤ 帆人110 古代史ブログ再開します 0123

倭語論6 「神」について

2020-01-28 12:40:55 | 倭語論
 記紀には「八百万神(やおよろずのかみ)」が登場し、多くの「神」の名前が見られ、出雲大社には神無月(出雲では神在月)にこれらの神々が全国から集まるとされています。
 死んだ人はすべて神として子孫に祀られる、という独特の宗教です。唯一絶対神信仰のユダヤ教やそこから派生したキリスト教やイスラム教、仏教の釈迦如来崇拝の真言宗や日蓮宗などとは異なります。山や川、太陽や月や星、動物などを崇拝する自然信仰の中でも、祖先霊信仰に特化した多神教です。
 記紀の神々では、伊邪那伎大神(イヤナギ:通説はイザナギ)、伊邪那美(イヤナミ:黃泉津大神・道敷大神、通説はイサナギ)、道反大神(黃泉戸大神:黄泉への道をふさいだ神)、イヤナギの子の墨江之三前大神(筒之男3兄弟)、伊都久三前大神(スサノオの子の宗像3女神)、天照大神、スサノオ、大国主の8神は「大神」とされ、天照大御神と迦毛大御神(大国主の子のアジスキタカヒコネ)の2神は「大御神」とされ、特別の神とされています。基本的には各家で「ご先祖」として神棚や祠に祀られますが、それを集めて村社、郷社、県社などに祀られるとともに、偉大な王や非業の死を遂げた人物は氏神神社に祀られ、その一族の氏子や多くの人々に祀られます。
 このような日本における「神」にはどのような意味があるのでしょうか?
 「神」字を漢字分解すると「示+申」で、「示」は高坏(たかつき)に供え物を置く形象文字、「申」は「もうす」あるいは「猿」とされています。「高坏+申す」では意味不明ですが、「高坏+猿」だと、「高坏にお供えを載せて猿に捧げる」という字になります。これだと、猿を人間の祖先神としていたことになり、ダーウィンの進化論よりはるか前に、中国人は人類の祖先を猿と同じとみていたことになります。

図1 「神」「鬼」字の漢字分解



 「ありえへん」と思われるでしょうが、わが国においても、日枝大社(祭神は大国主とスサノオの孫の大山喰)や浅間神社(コノハナサクヤヒメ:イヤナギの子の大山津見の娘。記紀では薩摩半島のニ二ギの妻。播磨国風土記では大国主の妻)において、猿は「神使(かみのつかい=しんし)」とされていますから、あながち大外れではありません。
 古事記序文では、太安万侶は「乾坤初めて別れて、参神造化の首となり、陰陽ここに開けて、二霊群品の祖となりき」と記し、本文では、天地が開けた時の始祖神を「天御中主」、続いて「高御産巣日(たかみむすひ)・神産巣日(かみむすひ)」としています。日本書紀この「二霊」を「高皇産霊尊・神皇産霊尊」と書いていますから、この「参(三)神」のうちの「二霊」を正史・日本書紀は「日を産む神」ではなく「霊(ひ)を産む神」としているのです。そして、古事記は性交を「宇気比(ウケヒ=受け霊)」と書き、天皇家の皇位継承儀式を「日継」(霊継)としているのです。死者は再生を期待して「棺・柩(霊継)」の入れて葬られたのです。
 「群品の祖」の「品」=「口+口+口」は人(霊人(ひと)・霊子(ひこ)・霊女(ひめ)」などの人々を指していますから、女性神「神産霊(かみむすひ)」と男性神「高御産霊(たかみむすひ)」を人を産む主役の始祖神としたのです。
 この「参神・二霊」は出雲大社正面に祀られていますから、死ねば誰もが神として祀られるという「八百万神(やおよろずかみ)」の「霊(ひ)信仰」「霊継(ひつぎ)信仰」として、大国主一族によって確立され、今に伝えられています。

図2 「参神・2霊」の群品(人々)の始祖神の構造



 この信仰は、1万年にわたる縄文人の妊婦土偶や石棒(男根)にみられる「霊(ひ)信仰」「霊継(ひつぎ)信仰」遡ります。なお、金精様(男根)を山に奉納するのは山を女性神とみなしたからであり、男根崇拝は男性崇拝ではないことを付け加えておきます。

 
縄文時代の石棒(国立市緑川東遺跡)と現代に続く金精信仰(岡山県高梁市成羽町の金精神社)



 その後、天皇家が仏教を国教とし、徳川幕府が葬式を仏式に強制したため、死ぬと仏になるという、神から仏への宗教に変わり、祖先霊は神棚・祠から仏壇に移されて祀られるようになりましたが、私の祖父母の代までは、仏壇とともに神棚や屋敷内の氏神様の祠に祖先霊は祭られていました。この霊(ひ)信仰は、DNAを知らない古代人が、DNAを霊(ひ)とみなし、代々、受け継がれると考えたのであり、現代の遺伝子研究に繋がるものです。

 以上、古代中国人の「神」=「示+申(猿)」の考えは現代の進化論に、古代日本人の「神」=「霊を産む霊人(ひと)」の考えは現代のDNA論に繋がる合理的な理解であった、ということを明らかにしてきました。
 生類の命(霊継)を大事にする「八百万神」信仰の出雲大社などの諸神社の世界遺産登録を進め、神の名において殺し合いをする一神教の対立に一石を投じるべきと考えます。

注:2019年5月7日のFB「『神』と『鬼』と『霊(ひ)』」をもとに、『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤名)や『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本第2版)などの内容を付け加え、書き直しました。雛元昌弘

倭語論5 「和魂」について

2020-01-27 11:27:45 | 倭語論
 「和魂」と書いて何と読むでしょうか? 
 「和魂漢才」「和魂洋才」から「わこん」と読む人が多いと思いますが、戦前の生まれなら「一億総玉砕」の「和魂」=「大和魂」(やまとだましい)と読む人もいるかもしれません。「和」は呉音・漢音とも「ワ、ヰ(ゐ)」、「魂」は呉音「ゴン」、漢音「コナ」ですから「ワコン」と読むと漢音での発音になります。倭語・倭音を忘れて、漢語・漢音で「和魂漢才」と言っているのですから、平安時代から官僚たちは「拝外主義」であったと言えます。
 では「和魂」は倭語・倭音ではどう言っていたのでしょうか? 日本書紀の神功皇后記では「和魂、此云珥岐瀰多摩」と書いていますから、和魂は倭音では「珥岐瀰多摩(にぎみたま)」であり、「み」は敬語の接頭辞ですから、「和魂」は倭語では「にぎたま」と言ったのです。
 前に述べたように「和」は漢字分解すると「禾(稲)+口」になります。古事記でヤマトタケルは東国の荒ぶる神、伏せぬ人を「言向和平(ことむけやわした)」と書いていますから、「荒魂(あらたま)」で武力征服した東征というより、「和魂(にぎたま)」で説き伏せ、「和平(禾+口+平)」した、「和(やわした)」ということになります。
 倭音では、「和」は「にぎる」「やわす」を意味していたと考えられますから、ともに米を食べ、手を握り、心を柔らかくする、という意味になります。「和魂(にぎみたま)」とは相手と「握り合う魂」「柔らかな魂」というような意味になります。
 「和魂洋才」は平安時代の「和魂漢才」からきており、日本独自の精神を持ちながら、西洋の才能・学問を取り入れるという意味で明治以降に使われましたが、「和魂」については本来の「平和・温和な魂」から、日本が帝国主義国を目指す中で劣等感裏返しの偏狭な民族意識、あるいは武士道の「荒魂」と同じような意味で使われ、その挙句に「和魂」=「大和魂」(やまとだましい)」に変質し、兵士・国民を玉砕に駆り立てました。
 今、米中・米朝・米イラン対立、宗教対立、格差社会対立など危機が強まり、トランプ・アメリカ大統領からは日本への貿易・関税・米軍駐留費用負担の圧力が強まってきていますが、この時こそ、海人(あま)族の「和魂(にぎたま)」の「言向和平(ことむけやわす)」の精神の堅持が求められます。
いつまでも日米軍事同盟にしがみつくのではなく、「和魂(にぎたま)」の国づくりへと進み、豊な「禾+口」の世界平和の実現の先頭に立つべきと考えます。 


倭語論4 「倭人」の漢字使用

2020-01-26 17:46:23 | 倭語論
 「倭人」はいつ頃から漢字を使い、倭音・呉音・漢音で漢字を読むようになったのでしょうか? 
記録上、はっきりしているのは、「三国志魏書東夷伝」に卑弥呼は「使によって上表」と書かれていることです。「上表」とは「意見を書いた文書を、君主に奉ること。また、その文書」とされていますから、3世紀には漢字を使っていたことがはっきりとしています。
 さらに、「舊百餘國・・・今使譯所通三十國」(旧百余国・・・今、使訳通ずる所は三十国)と書かれていますから、元の百余国、今の三十国は漢語・漢字を使える通訳がいたと見られます。この旧百余国というのは、後漢や新羅と国交を結んだ「委奴国」「倭国」になります。後漢から倭国王に金印が与えられていることからみて、委奴国王は正式な国書を持たせ、通訳をつけて使者を皇帝のもとに送り、漢字文化圏の冊封国として金印が与えられたことは明らかです。
 中国南方の呉音が先に伝わり、後に漢音が入っているとみられることからみて、わが国では漢字は南方から先に伝わったことが明らかです。「琉球(龍宮)ルート」からの海人族による伝搬と、秦の始皇帝が紀元前3世紀に東方の三神山、蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)に3,000人の童男童女と百工(技術者)を付けて徐福を浙江省(2度目)から派遣したという「徐福ルート」です。佐賀市や京都府伊根町、熊野市など各地に徐福伝説や徐福を祀る神社があることからみて、彼らもまた呉音漢字を伝えたと考えられます。
 それを裏付けるのが吉野ヶ里遺跡など北部九州を中心に松江市などから約40点発見された石硯と研石(墨をすりつぶすための道具)です。これらは紀元前2世紀末から紀元3世紀後半のものですから、わが国での倭音・呉音・漢音による漢字使用は紀元前からと見なければなりません。
 奈良盆地に4世紀に大和天皇家の政権が生まれるずっと前からわが国では海人(あま)族による「倭流漢字文化」が誕生していたのです。古代文化は天皇家から、という大和中心主義の歴史観は根底から見直さなければなりません。そして、和歌や俳句など、表音・表意文字を組み合わせた世界で独特の倭流漢字表記の豊かな文字文化を見直すべきです。
 朱子学の漢語ばかりの教育勅語や軍人勅諭を愛してやまない拝外主義の皇国史観など、くそくらえです。倭語から日本史と日本文化をとらえる必要があります。



倭語論3 「主語-目的語-動詞」言語族のルーツ

2020-01-25 12:32:57 | 倭語論
 「私はあなたを愛す」と「私は愛すあなたを」「愛す私はあなたを」の語順の違いから日本文化を考えてみたいと思います。日本語は「主語-目的語-動詞」ですが、中国語や英語は「主語-動詞-目的語」、スコットランド・ウェールズ・アイルランド語「動詞-主語-目的語」です。
日本人は倭語(倭音)と漢字・漢語(呉音、漢音)を併用しながら、「主・目・動(SOV)」の語順を変えていません。しかも、基礎言語(身体語や数詞など)が南方系であるにも関わらず中国と南アジア諸国の「主・動・目(SVO)」は継承していません。
 考えられるのは、アフリカの角(ソマリアやエチオピア)の「主・目・動」族が南インド~ミャンマーを経て、わが国に3~4万年前頃に竹筏で「海の道」をやってきた可能性と、アフリカの角から中央アジアに進み、マンモスなどの大型動物を追い、シベリアから北海道に「マンモスの道」を通ってやってきたケースです。
 さらに、3500年前に中央アジアで騎馬による放牧が行われるようになると、「草原の道」を通り、同じ「主・目・動」言語のウイグルやモンゴルなどの諸部族が東進し、満州の扶余族が南下して朝鮮半島に侵入したのは紀元前2世紀頃です。海人族の旧石器3万年・縄文1万年の文化に朝鮮半島の騎馬民族文化の影響はありえません。さらに、倭語と朝鮮語は基礎言語(数詞や身体語など)が大きく異なっており、漢語(呉音・漢音)のような影響は全くありません。朝鮮族がわが国に多く流入したとしても、ほとんどは集団単位ではなく、バラバラと絶え間なく男性が流入し、母系制社会に言語・文化的に同化していったものと見られます。中国系・朝鮮系の弥生人征服など、痕跡はどこにも見られません。
 中国・東南アジア諸国の「主・動・目」言語とは異なるわが国の「主・目・動」言語の文化はどのような特徴があるでしょうか? 自分の次に他者を思い浮かべ、動詞を選ぶという、相手をおもんばかった文化の可能性です。よく言えば他者の「尊重・配慮」、悪く言えば「迎合・忖度・付和雷同」でしょうか。
 今の日朝・日韓対立についていえば、「日鮮同祖論」や「騎馬民族征服説」などに惑わされることなく、互いに異なる歴史・文化を認めあい、「尊重・配慮」を基本に置いた友好関係を築くべきと考えます。同時に、騎馬民族に征服される前の朝鮮半島の海人(あま)族と倭国の海人(あま)族の歴史の解明が求められます。

倭語論2  倭流漢字用法の「倭音・呉音・漢音」について

2020-01-24 19:36:30 | 倭語論
 「日」は倭音では「ひ」、呉音では「ニチ」、漢音では「ジツ」で、「本」は倭音では「もと」、呉音・漢音では「ホン」です。「JAPAN」は漢音の「ジツホン」からきていると考えられ、「ニッポン!ニッポン!」は呉音での応援になります。
 平安時代には「ひのもと」と発音されていましたが、さらに古い倭音では「ひなもと」と発音されていた可能性があることは、「な=ぬ=の」の用例から、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(第2版:雛元昌弘著者名)、『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院:日向勤ペンネーム)などで詳しく説明しています。
 また、「一(壱、壹)」は倭音「ひと、ひ」、呉音では「イチ」、漢音では「イツ」です。邪馬壹国か邪馬臺(台)国か、という論争がありますが、邪馬壹国は呉音で「やまいちこく」ではなく、倭音で「やまのひのくに」「やまのいのくに」(ふぃ=ひ、い)と読むべきというのが私の説です。古事記・日本書紀などは呉音・漢音ではなく倭音で分析すべきであると私は考えています(詳しくは『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』)。
 私たちは倭音・呉音・漢音を特に意識することなく毎日使っていますが、日本語が中国や東南アジアの「主語-動詞-目的語」言語ではなく、「主語-目的語-動詞」言語を維持し続けたことから考えると、旧石器3万年・縄文1万年の歴史を受け継ぐ倭語・倭音が最も古く、その上に呉音、最後に漢音が入ってきたと考えられます。
 ここから日本民族のいくつかの特徴が浮かび上がります。
 第1は、旧石器時代から多くの民族を日本列島は受け入れながら、台湾やフィリピン、インドネシアのように、多DNA・多言語・多文化国にならず、活発に交流・交易・婚姻を行い、1万年の縄文時代から多DNAの単一言語・文化国になっていた可能性が高いことです。はやりの言葉で使えば、「縄文社会はダイバーシティた」(縄文社会は多様性社会)、多民族の「ワンチーム」だったのです。
 第2は、漢字をはじめとする中国文化の影響を受けながら、「主-目-動」言語構造を変えることなく、倭音・呉音・漢音を併用し、万葉仮名・片仮名・平仮名にみられる倭流漢字用法を確立して、豊かな表現力(言葉遊びを含む)を持った独自の言語文化、詩歌文化を作ってきたことです。「二二」と書いて「し」と読ませた古代人は、「39」とかいて「サンキュウ」と読ませる現代人の言葉遣いに生きています。独自性と受容性、創造性という文化的な特質です。
 第3は、「主-目-動」言語構造の維持と倭音・呉音・漢音の併用からみて、弥生人による縄文人征服説が成立しないことです。もしも中国大陸長江流域からからの弥生人征服があったなら、イギリスのようにケルト語(アイルランド語やウェールズ語、スコットランド語など「動詞―主語―目的語」言語構造)とゲルマン民族のイングランド語の「主語―動詞―目的語」言語構造の関係のように、わが国でも主要な言語は「主語―動詞―目的語」に変わったに違いありません。
 軍国主義・拝外主義の「外発的発展史観」「被征服史観」から、内発的自立発展史観への見直しが必要と考えます。
 国際社会においてわが国が尊敬を勝ち取ろうと考えるなら、アメリカや中国のように「経済的・軍事的超大国」を目指すのではなく、縄文1万年の歴史から続く「多様性、独自性、受容性、創造性、内発的発展性」の文化こそ伸ばすべきと考えます。

倭語論1 平和について

2020-01-23 16:59:07 | 倭語論
 2019年10月11日から12月24日にかけて11回、フェイスブック(FB)で「古代小話」として書いてきたものを、加筆・再整理して「倭語論-倭流漢字用法からみた古代史」として連載を開始したいと思います。

倭語論1 平和について
 倭流漢字表記として、「漢字分解」にはまっています。因数分解はきれいに忘れましたが・・・
 平和は「平+禾+口」で、「禾」は稲を表し、「わ」と発音します。「平等に稲を口にする」のが平和なのです。
 ちなみに、「倭」は「人+禾+女」ですから、「人に女が稲をささげる」という字で、曹操の「魏」は「禾+女+鬼」で、女が稲を鬼にささげるという意味になります。「鬼」は「甶(頭蓋骨)∔人∔ム」で頭蓋骨を人が捧げ、ム(私)が祈るという字で、祖先霊を示しています。
鬼に稲を捧げる魏の国は、鬼神信仰の道が行われる鬼道の卑弥呼(霊巫女)の国と同じ宗教であったことを示しています。
 「和食」は「禾+口+人+良」ですから、「稲を口にすれば人がよくなる」で、平和は「平等に稲を口にできる」という意味になります。
 これはアフガニスタンで中村哲医師が実践してきたことに繋がります。平和へのヒントが見えてきませんか?