しっぺい太郎(水戸市)
峰から峰へと修業をしてあるいている山伏が、どうしたことか道をまちがえてしまいました。
日の暮れるころ、さいわい祠が見つかりましたので、そこで一夜を明かすことにしました。
その祠の前の広場には、いろいろなお供え物をはじめ、酒や肴、赤飯などの御馳走がどっさりとおいてありました。
「はて、おかしい、これほどたくさん供えるわけはない。
これはどうしたことだ。」
と、ちょっといぶかりましたが、
「ああ、これは明日の祭りの酒盛りの用意をしておいたものであろう。」
とひとりうなずき、
「こんなところに泊っているところを村人に見られ、あらぬ疑いを受けても面倒、明朝は早く出かけねば。」
とつぶやきながら祠の中へ入り、山の神に礼拝をすませると、ながい山路の旅の疲れもあって、すぐ眠ってしまいました。
しばらくして、山伏は、はっと目をさまして耳をすませました。
どうやら外で酒盛りがはじまった様子です。
「しまった、不覚にも寝過ぎたか。」
起き上がろうとして、わが目と耳を疑いました。
すき間からさしこむ十五夜の月の光の行合から見て、まだ夜が明けたとは思われません。
彼らのうたう歌の文句もよくは聞きとれませんが合いの手に、
丹波(京都)の国の しっぺい太郎に
必ずこのこと 知らせんな
と、はやしたてているのがわかりました。
夢を見ているのかとも思い、いや、現(眼をさましている状態)のことだと思いなおしながらも、よく様子を見定めるまでは自分がここにいることをさとられてはまずいと、息をころして潜んでいました。
うっかり眠っていびきでもかいたら気取られるおそれがありますから、眠ることもできません。
月の光のもとに、この不思議な宴はいつまでも続きましたが、やがてはるか里の方から、かすかに一番鶏の、こけこっこう と、ときをつくる声が聞こえるころには、もとの静けさにもどっていました。
そして、いつとはなしに山伏は眠りこんでしまいました。
山伏が起き出して見ますと、昨日あった酒も食べ物も、すべて飲みつくし食いつくしていました。
山伏は不思議なものを見た思いで里に下りて行き、里長の家をたずねて、昨夜のまつりのことについて聞きだしました。
里長のいうところによれば、よその土地とはほとんど行き来がなく、山の中にぽつんとおき忘れられたようなこの里に何年か前、衣冠束帯(公家の人たちの正装)をした人たちが何人も訪れ、びっくりしてひれ伏している村人に、
「われらは京都の朝廷よりつかわされた使者である。
明日十五日に神様がつかわされる。
そそうのないようにいたせ。」
と言って、立ち去りました。
翌十五日になると、昨日の使者もつきそって、立派な輿にのった神様がおいでになり、村人たちに案内させ、昨夜山伏がとまったあの祠の前まで参りますと、その広場で輿からおりられてあたりを見まわし、
「ここが気にいった。」
と、はじめて一言だけ言いました。
その声はつぶやくような声だったのですが、身体にしみとおるような声で、みんな有難さに震えて思わずひれ伏しました。
昨日の使者が申しますには、
「お前たちはお姿をおがめてしあわせものじゃ、この地がお気に召されたからここにお住まいになられるが、これからのちは神様もわれらも、お前たちのようなけがらわしい卑しい身分の者に、口もきかないし姿を見せることもないであろう。
今日を記念して、これから毎月十五日、満月の日にここへいろいろお供え物を奉れ。
また春と秋の二度、十三歳になった娘を人身御供として奉れ、それを朝廷にここより取り次いでつかわす。
朝廷でお使い召されるのだから、汝らごとき卑しき者にはこの上ない有難い思召し、光栄と心得よ。」
といって、その祠の中へ入ったというのです。
山伏は、昨夜泊まったところだと思うと、思わずぞっとしました。
それからのち、毎月のお供え物は村人たちにとってたいへんな負担でしたし、何かの都合で一日か二日おくれることがありました。
すると、村中にいろいろな災難がふりかかってくるのです。
来月は娘を朝廷に差し出すため、祠の前へ連れて行く月です。
その名誉な娘を出す家では、村人たちから
「おめでとう、末代までの誉だ。」
とか、
「むかしから誰にも知られていなかったこの村が、みかどにお仕えする娘を出すことができるとは有り難いご時世(時代)だ。」
などと祝福を受けていますが、家族の者はひそかに娘をかこんで毎日泣いてくらしていました。
ただうっかり恨みがましいことを口にしようものなら、神のたたりが恐ろしいし、村人たちみんな誰もほんとうはこんなことをよろこんではいないくせに、誰かがうっかり思っていることを口に出そうものなら、村人みんなから非難され、恐ろしい神様に告げ口されてしまうような、そんなふんいきだったのです。
すべてを聞いた山伏は、心の底からその悪神にたいする怒りがこみあげて来て、
「われもこれまで修行を重ねて来て、いささか神に通ずる力をそなえてござる。
朝廷からの使いなどと権勢を利用してのいつわり、許しておけぬ。
ただ、思うことがあれば、来月の満月の日に間に合うよう、足の速い若者を二、三人貸してもらいたい。」
と、たたりを恐れてなかなか承知しない村人たちを、
「たたりはわしがひとりで引き受けるから。」
となだめ、説き伏せて、足の速い若者三名を連れ、丹波国へと急ぎました。
「しっぺい太郎どのにお会いしたい。
しっぺい太郎どのはどこにおられるか。」
山伏仲間をたずねてそう聞きますと、山から山、里から里へと歩きまわっている山伏は、しっぺい太郎のことを知っていました。
「しっぺい太郎とは、この丹波国どころではない、おそらく日本第一の強い犬の名よ。」
と、その犬の飼い主のところへ連れて行ってくれました。
山伏は、常陸国筑波山中におけるできごとを話して頼みました。
飼い主も快くしっぺい太郎を連れ出して、よくわけを聞かせますと、この利口な犬は眼をかがやかせて聞いていましたが、話がよくわかった様子で、尾をしきりと振っていました。
やがて、その神にお供えをする十五日が来ました。
しっぺい太郎を、いつも娘を入れて差し出す箱に入れ、いつものように御馳走をどっさりつくってお供えし、山伏は祠の中へ入ってその様子をうかがっていました。
いつもとちがったところといえば、今日はとくにお酒をたくさん供えたことでしょう。
夜が来て、満月がこのあたりを照らし出すころになりますと、どこからともなく白いものが七つほど集まって来ました。
そして、その中の首領らしい者が、
「丹波の国 しっぺい太郎は」
といいますと、他のものが、
「しっぺい太郎は おりません。」
と答えました。
それが酒盛りに入る儀式だったのでしょうか、その答えとともに酒を飲み、御馳走をたべながら、かねや太鼓にあわせて、
丹波の国の しっぺい太郎に
必ずこのこと 知らせんな
と、合いの手を入れた歌をうたったり踊ったりがはじまったのです。
その楽しそうな宴は、いつまでもいつまでもつづきました。
やがてそのうちに首領らしいものが立ち上がったと思うと、箱に近づいてそのふたをあけました。
そのとき、さっとしっぺい太郎が飛び出し、
うわーん
きゃーん
わんわん、きゃっきゃっ
それはものすごい騒ぎとなりました。
これまで酒盛りをしていた怪物たちとしっぺい太郎が、ひとかたまりになってごろごろころがりまわっているように見えるだけで、しっぺい太郎の手伝いをしようと金剛杖を手もとに引き寄せて身構えた山伏は、手のだしようもありません。
いたしかたなく、左手の中指と人さし指をまっすぐ立て、右手の中指と人さし指を左手の親指・薬指・小指で握りこんで印をむすび、
「臨兵闘者皆陣列在前(りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん)」
と一所懸命唱えたり、じゅずをさらさらっともみながら観音経を唱えて、しっぺい太郎の応援をしました。
このたたかいは、夜が明けるまでつづきました。
不意に静かになったので、飛び出して見ると、そこには年を経た七匹の白猿がのどを噛み切られて死体となって散乱し、傷だらけのしっぺい太郎が山伏の姿を見て、うれしそうに尾をふりながらも、精根つきたように倒れかかってきました。
なお、しっぺい太郎は三河国しっぺい太郎となっているはなしもあります。
峰から峰へと修業をしてあるいている山伏が、どうしたことか道をまちがえてしまいました。
日の暮れるころ、さいわい祠が見つかりましたので、そこで一夜を明かすことにしました。
その祠の前の広場には、いろいろなお供え物をはじめ、酒や肴、赤飯などの御馳走がどっさりとおいてありました。
「はて、おかしい、これほどたくさん供えるわけはない。
これはどうしたことだ。」
と、ちょっといぶかりましたが、
「ああ、これは明日の祭りの酒盛りの用意をしておいたものであろう。」
とひとりうなずき、
「こんなところに泊っているところを村人に見られ、あらぬ疑いを受けても面倒、明朝は早く出かけねば。」
とつぶやきながら祠の中へ入り、山の神に礼拝をすませると、ながい山路の旅の疲れもあって、すぐ眠ってしまいました。
しばらくして、山伏は、はっと目をさまして耳をすませました。
どうやら外で酒盛りがはじまった様子です。
「しまった、不覚にも寝過ぎたか。」
起き上がろうとして、わが目と耳を疑いました。
すき間からさしこむ十五夜の月の光の行合から見て、まだ夜が明けたとは思われません。
彼らのうたう歌の文句もよくは聞きとれませんが合いの手に、
丹波(京都)の国の しっぺい太郎に
必ずこのこと 知らせんな
と、はやしたてているのがわかりました。
夢を見ているのかとも思い、いや、現(眼をさましている状態)のことだと思いなおしながらも、よく様子を見定めるまでは自分がここにいることをさとられてはまずいと、息をころして潜んでいました。
うっかり眠っていびきでもかいたら気取られるおそれがありますから、眠ることもできません。
月の光のもとに、この不思議な宴はいつまでも続きましたが、やがてはるか里の方から、かすかに一番鶏の、こけこっこう と、ときをつくる声が聞こえるころには、もとの静けさにもどっていました。
そして、いつとはなしに山伏は眠りこんでしまいました。
山伏が起き出して見ますと、昨日あった酒も食べ物も、すべて飲みつくし食いつくしていました。
山伏は不思議なものを見た思いで里に下りて行き、里長の家をたずねて、昨夜のまつりのことについて聞きだしました。
里長のいうところによれば、よその土地とはほとんど行き来がなく、山の中にぽつんとおき忘れられたようなこの里に何年か前、衣冠束帯(公家の人たちの正装)をした人たちが何人も訪れ、びっくりしてひれ伏している村人に、
「われらは京都の朝廷よりつかわされた使者である。
明日十五日に神様がつかわされる。
そそうのないようにいたせ。」
と言って、立ち去りました。
翌十五日になると、昨日の使者もつきそって、立派な輿にのった神様がおいでになり、村人たちに案内させ、昨夜山伏がとまったあの祠の前まで参りますと、その広場で輿からおりられてあたりを見まわし、
「ここが気にいった。」
と、はじめて一言だけ言いました。
その声はつぶやくような声だったのですが、身体にしみとおるような声で、みんな有難さに震えて思わずひれ伏しました。
昨日の使者が申しますには、
「お前たちはお姿をおがめてしあわせものじゃ、この地がお気に召されたからここにお住まいになられるが、これからのちは神様もわれらも、お前たちのようなけがらわしい卑しい身分の者に、口もきかないし姿を見せることもないであろう。
今日を記念して、これから毎月十五日、満月の日にここへいろいろお供え物を奉れ。
また春と秋の二度、十三歳になった娘を人身御供として奉れ、それを朝廷にここより取り次いでつかわす。
朝廷でお使い召されるのだから、汝らごとき卑しき者にはこの上ない有難い思召し、光栄と心得よ。」
といって、その祠の中へ入ったというのです。
山伏は、昨夜泊まったところだと思うと、思わずぞっとしました。
それからのち、毎月のお供え物は村人たちにとってたいへんな負担でしたし、何かの都合で一日か二日おくれることがありました。
すると、村中にいろいろな災難がふりかかってくるのです。
来月は娘を朝廷に差し出すため、祠の前へ連れて行く月です。
その名誉な娘を出す家では、村人たちから
「おめでとう、末代までの誉だ。」
とか、
「むかしから誰にも知られていなかったこの村が、みかどにお仕えする娘を出すことができるとは有り難いご時世(時代)だ。」
などと祝福を受けていますが、家族の者はひそかに娘をかこんで毎日泣いてくらしていました。
ただうっかり恨みがましいことを口にしようものなら、神のたたりが恐ろしいし、村人たちみんな誰もほんとうはこんなことをよろこんではいないくせに、誰かがうっかり思っていることを口に出そうものなら、村人みんなから非難され、恐ろしい神様に告げ口されてしまうような、そんなふんいきだったのです。
すべてを聞いた山伏は、心の底からその悪神にたいする怒りがこみあげて来て、
「われもこれまで修行を重ねて来て、いささか神に通ずる力をそなえてござる。
朝廷からの使いなどと権勢を利用してのいつわり、許しておけぬ。
ただ、思うことがあれば、来月の満月の日に間に合うよう、足の速い若者を二、三人貸してもらいたい。」
と、たたりを恐れてなかなか承知しない村人たちを、
「たたりはわしがひとりで引き受けるから。」
となだめ、説き伏せて、足の速い若者三名を連れ、丹波国へと急ぎました。
「しっぺい太郎どのにお会いしたい。
しっぺい太郎どのはどこにおられるか。」
山伏仲間をたずねてそう聞きますと、山から山、里から里へと歩きまわっている山伏は、しっぺい太郎のことを知っていました。
「しっぺい太郎とは、この丹波国どころではない、おそらく日本第一の強い犬の名よ。」
と、その犬の飼い主のところへ連れて行ってくれました。
山伏は、常陸国筑波山中におけるできごとを話して頼みました。
飼い主も快くしっぺい太郎を連れ出して、よくわけを聞かせますと、この利口な犬は眼をかがやかせて聞いていましたが、話がよくわかった様子で、尾をしきりと振っていました。
やがて、その神にお供えをする十五日が来ました。
しっぺい太郎を、いつも娘を入れて差し出す箱に入れ、いつものように御馳走をどっさりつくってお供えし、山伏は祠の中へ入ってその様子をうかがっていました。
いつもとちがったところといえば、今日はとくにお酒をたくさん供えたことでしょう。
夜が来て、満月がこのあたりを照らし出すころになりますと、どこからともなく白いものが七つほど集まって来ました。
そして、その中の首領らしい者が、
「丹波の国 しっぺい太郎は」
といいますと、他のものが、
「しっぺい太郎は おりません。」
と答えました。
それが酒盛りに入る儀式だったのでしょうか、その答えとともに酒を飲み、御馳走をたべながら、かねや太鼓にあわせて、
丹波の国の しっぺい太郎に
必ずこのこと 知らせんな
と、合いの手を入れた歌をうたったり踊ったりがはじまったのです。
その楽しそうな宴は、いつまでもいつまでもつづきました。
やがてそのうちに首領らしいものが立ち上がったと思うと、箱に近づいてそのふたをあけました。
そのとき、さっとしっぺい太郎が飛び出し、
うわーん
きゃーん
わんわん、きゃっきゃっ
それはものすごい騒ぎとなりました。
これまで酒盛りをしていた怪物たちとしっぺい太郎が、ひとかたまりになってごろごろころがりまわっているように見えるだけで、しっぺい太郎の手伝いをしようと金剛杖を手もとに引き寄せて身構えた山伏は、手のだしようもありません。
いたしかたなく、左手の中指と人さし指をまっすぐ立て、右手の中指と人さし指を左手の親指・薬指・小指で握りこんで印をむすび、
「臨兵闘者皆陣列在前(りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん)」
と一所懸命唱えたり、じゅずをさらさらっともみながら観音経を唱えて、しっぺい太郎の応援をしました。
このたたかいは、夜が明けるまでつづきました。
不意に静かになったので、飛び出して見ると、そこには年を経た七匹の白猿がのどを噛み切られて死体となって散乱し、傷だらけのしっぺい太郎が山伏の姿を見て、うれしそうに尾をふりながらも、精根つきたように倒れかかってきました。
なお、しっぺい太郎は三河国しっぺい太郎となっているはなしもあります。
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