私は一人っ子で、大人のなかで育ったので、人からいろいろと何かやってもらうことは、多かった。
しかし、結婚もしなかったし、子育てもしなかったので、誰かのために何かやってあげるということが・・・たぶんほとんどなかった。
母が倒れてから、確かに、自分の時間ややりたいことを犠牲にして介護はしたけれども、それは、子どもとして義務感程度のことだったかもしれない。
全くの他人に、「こうやってあげたらこの人は喜ぶだろうと思って何かしてあげる」ということは、私には、なかなかできない。
こう白状したら、友達に驚かれ、私のこれからの課題だと言われてしまった。
同じ一人っ子でも、ややお節介くらいに、私にやってくれる人もいるのだから、一人っ子のせいではないのかもしれない。
「こうやってあげたらこの人が喜ぶ」というのは、私にはなかなか難しい課題だ。一つには、思いつかないこと、二つには、お節介ではないかなどいろいろ考えてしまうこと、三つには、病人の介護とか、食事をつくるとかそうした技がないこと。
前に自殺しそうな男の子が居て、いろいろ考えて、私に出来たのは手紙(いつでも相談に乗る)を書くことだけだった。そうしたら、少し年上の女性が彼の家に行き、同棲してしまった(彼の寂しさを満たしてあげれたのだろう)。
一歩踏み出すというのが、なかなか出来ないのだ。
少しずつでも、変えてみようと思い、おそるおそるやってみている。
この間、いつも親代わりにお世話をしてくれる人が心臓のことで病院に行ったので、ふだんは、辛いかもしれないので「大丈夫?」という電話も掛けないのだけれど・・今回は、掛けてみた。
家の庭に咲いたバラをお見舞い替わりに差し上げた。本当は、ご飯のおかずくらいを作ってあげるのが良いのだろうが、お花をあげるなんて・・と思ったのだけれど。
私のせいで酔っぱらって階段から転げ落ちた知人にも、いつもは、しばらく経ってから電話するのだけれど、すぐに柏餅を買ってお見舞いに行ってみた。
どっちらの方も、煩わしいと思わずに、素直に喜んでくれた。これは、「人のことを思って何かする」ということの正しいやり方。少しずつでも、やってみようと思う。
ところで、私が勤務していた会社の上司で、「人が喜ぶこと」をいたずらっ子的に考えるのが好きな人がいた。
たとえば、まだ雇用平等法もない時代に、私に、女性で初めて海外出張をさせてくれた。
彼は、私をえこ贔屓していた訳ではなく、女性の活躍を内外にアピールするのに良いチャンスだと思ったこと、そして彼の上司がそれによって役員から良く思われ点数が上がると思ったことからだ。
もちろん、この掛けには、リスクが伴う。私が海外でしくじったり、何か大きな事故があったら、彼も、彼の上司も、会社も逆に大きなダメージになる。
しかし、成功すれば、私にも、彼にも、彼の上司にも、会社にも、大きなプラスになる。
餌をつけて、魚が食うのを待つ釣り人みたいに、彼は、こういう仕掛けを企てるのが大好きだった。
それによって、出世を狙っていたというよりも、いたずらみたいに、面白がってやっていた。
不謹慎だけれど、元上司のように、頭の体操だと思って考えてみたら、面白いかもしれない。
しかし、結婚もしなかったし、子育てもしなかったので、誰かのために何かやってあげるということが・・・たぶんほとんどなかった。
母が倒れてから、確かに、自分の時間ややりたいことを犠牲にして介護はしたけれども、それは、子どもとして義務感程度のことだったかもしれない。
全くの他人に、「こうやってあげたらこの人は喜ぶだろうと思って何かしてあげる」ということは、私には、なかなかできない。
こう白状したら、友達に驚かれ、私のこれからの課題だと言われてしまった。
同じ一人っ子でも、ややお節介くらいに、私にやってくれる人もいるのだから、一人っ子のせいではないのかもしれない。
「こうやってあげたらこの人が喜ぶ」というのは、私にはなかなか難しい課題だ。一つには、思いつかないこと、二つには、お節介ではないかなどいろいろ考えてしまうこと、三つには、病人の介護とか、食事をつくるとかそうした技がないこと。
前に自殺しそうな男の子が居て、いろいろ考えて、私に出来たのは手紙(いつでも相談に乗る)を書くことだけだった。そうしたら、少し年上の女性が彼の家に行き、同棲してしまった(彼の寂しさを満たしてあげれたのだろう)。
一歩踏み出すというのが、なかなか出来ないのだ。
少しずつでも、変えてみようと思い、おそるおそるやってみている。
この間、いつも親代わりにお世話をしてくれる人が心臓のことで病院に行ったので、ふだんは、辛いかもしれないので「大丈夫?」という電話も掛けないのだけれど・・今回は、掛けてみた。
家の庭に咲いたバラをお見舞い替わりに差し上げた。本当は、ご飯のおかずくらいを作ってあげるのが良いのだろうが、お花をあげるなんて・・と思ったのだけれど。
私のせいで酔っぱらって階段から転げ落ちた知人にも、いつもは、しばらく経ってから電話するのだけれど、すぐに柏餅を買ってお見舞いに行ってみた。
どっちらの方も、煩わしいと思わずに、素直に喜んでくれた。これは、「人のことを思って何かする」ということの正しいやり方。少しずつでも、やってみようと思う。
ところで、私が勤務していた会社の上司で、「人が喜ぶこと」をいたずらっ子的に考えるのが好きな人がいた。
たとえば、まだ雇用平等法もない時代に、私に、女性で初めて海外出張をさせてくれた。
彼は、私をえこ贔屓していた訳ではなく、女性の活躍を内外にアピールするのに良いチャンスだと思ったこと、そして彼の上司がそれによって役員から良く思われ点数が上がると思ったことからだ。
もちろん、この掛けには、リスクが伴う。私が海外でしくじったり、何か大きな事故があったら、彼も、彼の上司も、会社も逆に大きなダメージになる。
しかし、成功すれば、私にも、彼にも、彼の上司にも、会社にも、大きなプラスになる。
餌をつけて、魚が食うのを待つ釣り人みたいに、彼は、こういう仕掛けを企てるのが大好きだった。
それによって、出世を狙っていたというよりも、いたずらみたいに、面白がってやっていた。
不謹慎だけれど、元上司のように、頭の体操だと思って考えてみたら、面白いかもしれない。
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