まちおもい帖2

日ごろ感じていることを書き記します。

良い時代、恵まれた職場だった

2015-05-11 01:43:18 | 日記
今日は、昔の同僚と大手町の変貌を見ながら、パレスホテルのお堀に面したテラスでランチを楽しんだ。
FBにも写真をアップしたら、「愉しそうですね」とコメントを頂いた。
現在、何の利害関係もない人たちなので、心地よい風と水と緑を堪能しながら、たわいもないお喋りが楽しかったのも確かだ。

でも、実際、今から考えると高度経済成長期の良い時代に、長期に貸し出した資金の金利でそれほど汗水垂らさずに収益が上がるという制度に守られた職場だったので、末端のOLにとっても恵まれた職場だったのだと思う。
確かに、入社したての頃には、言われたことが出来ずに、悔し涙をトイレで流したこともあったけれど、先輩もやさしかったし、男性社員もフェミニストだったので、失敗しても、ひどく怒られることもなかった。

銀行の調査部という仕事柄、男性社員は、朝から昼ごろまで、新聞各紙を読んで、おしゃべりをしていた。まぁ、おしゃべりではあるのだけれど、その折々の時事ニュースについて意見交換をしているということになっていた。
ウィットのきいた意見を言えるかどうかで、品定めされているようなところもあった。

そういう議論を横で聞いたり、上司が仕事に飽きて、社内の喫茶店に行くのに付き合うと、時事問題について議論を吹っ掛けられるので、負けずに応えるというような形で、世の中を見る目を養ってもらった。
門前の小僧がお経を読むように、「経済」や「社会」のメカニズムのようなものを少しずつ理解していった。

短大を出たての私には、「経済」という意味が良く分かっていなかった。「経済」というのは、家計をやりくりすることぐらいにしか思っていなかった。あるいは、ケチするというような意味かと思っていた。
私は、図書館の学校を出て司書として入社したのだが、取り扱う本の内容が全く分からないので、分類できない。そこで、一度、本を使う人になりたいと、部内のなかで異動を申し出た。

最初は、男性社員が役員会で報告する資料の作成を手伝ったり、原稿を口述筆記したり、外部から頼まれた辞書の原稿作成を手伝うなどから始め、だんだん上司の原稿を下請けで作成するようになり、ついには、自分がある産業を担当させてもらい、レポートを作成するようになっていった。

そうなると、その産業の企業や業界紙の人たちにヒヤリングに出かけたり、役所の委員会の委員になったり、業界の人の勉強会に入れてもらったり、国内出張、海外出張までさせてもらい、レポートや本などを出すようになる。すると、原稿執筆依頼や講演依頼が来るようになるなど、どんどん仕事の範囲が広がっていった。

また、当時は、70年安保の頃で、そうした事についての勉強会を時間外にやったり、旗をつくって皆で安保反対などとデモにいったりした。
先輩につれられて加藤登紀子の反戦的な公演にも出掛けていった。

OLたちも、昼休みには、社員食堂では飽き足らず、タクシーに相乗りして、美味しいお店に遠出をしたり、冬はスキーに、夏は高原になど大いに遊んだ。
私の友達は、ある男性が好きなのに、冷たくされると、朝から、しくしくと泣いていた。仕事帰りに、喫茶店で彼女の愚痴をさんざん聞いて、家に帰ると電話がかかってきて、また愚痴が始まるので閉口したことがあるが、彼女のそうした行動もある程度許されていた。

夜自宅で原稿を書いているからなのか、昼間は、居眠りをしている上司もいた。
それほど大きな会社ではないことや、業界で二番手ということもあり、派閥もなければ、出世争いも、おそらくほとんどなかった。
ことほど左様に、なんとものんびりとした、まるで貴族階級のような職場だった。良い時代に、仕事をさせてもらったものだと、今更ながら思う。





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