海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

ニ長調は黄金色?

2021年07月11日 | R=コルサコフ
リムスキー=コルサコフが「色聴」という共感覚の持ち主だったことはよく知られており、この手の話には彼のことがよく引き合いに出されています。

最近、色聴について脳科学的な視点から切り込んだ『ドレミファソラシは虹の色?~知られざる「共感覚」の世界』(伊藤浩介著・光文社新書)という新書が刊行されましたが、その驚くべき内容は本書をご覧いただくとして、こちらの本にもやはりリムスキー=コルサコフが登場。

その一つに、これも音楽関係の書籍でしばしば言及される、パリの街角でのスクリャービンとラフマニノフとの間で交わされた色聴に関する議論のエピソードがあったのですが、この話には自分の知らなかった「オチ」があったようです。

このエピソードとは、リムスキー=コルサコフとスクリャービン(両者とも共感覚所有)とが調性と色彩の関係をめぐり大論争になったのを、それに懐疑的なラフマニノフが仲裁したというもの。

チャイコフスキー亡き後のロシアの楽壇を代表する老大家リムスキー=コルサコフと、半きちがい(リムスキー評)のスクリャービン、モスクワの秀才(同)ラフマニノフの老若3人がパリのカフェでマニアックな議論で盛り上がっている光景を想像すると、なんだか可笑しくなりますが、「オチ」というのは、実は仲裁に入ったはずのラフマニノフがリムスキー=コルサコフから反撃を食らって、それには反論できずにいたらしいことなのです。

「ほら!」突然大きな声をあげて、リムスキー=コルサコフ先生が私に向き直った。「君の作品自体が、その証拠じゃないか。『けちな騎士』で、男爵が箱を開けると、金や宝石がたいまつの明かりできらきらと輝く場面があるだろ?」
 たしかに私は、その自作オペラのパッセージがニ長調であることを認めざるを得なかった。(同書p74)


色聴に否定的なラフマニノフが、他ならぬ自分の作品で調性と色彩を(無意識に)結び付けて使っているじゃないか、と言われてしまったのですね。ドヤ顔の二人を前にラフマニノフはどのような表情をしていたのでしょうか。

ちなみにリムスキー=コルサコフ本人が「黄金色」を連想させる場面でどんな調を使っていたのか調べてみると、歌劇《サトコ》第4景で「金の魚」が網にかかった場面では確かにニ長調。ほかにもあるのかもしれませんが、ほかに「黄金色」の場面が思いつかなかったので、継続調査にしておきます。