リムスキー=コルサコフのピアノ作品(というか全作品)の中で、もっとも頻繁に演奏されるのは、間違いなく《熊蜂の飛行》でしょう。
ただし《熊蜂の飛行》は、歌劇《サルタン皇帝の物語》の一節を編曲したものなので、純粋なピアノ作品とは言い難い面があります。
では《熊蜂の飛行》以外でもっとも人気があるピアノ作品はというと、私は《歌》だと思うのです。
A Little Song (YouTube)
Margaret Fingerhut
この作品はロシア語では「Песенка(Pesenka)」といい、これは「Песня(Pesnya)」(=歌)の指小形(愛称形)で、「小さな」「愛らしい」というニュアンスが付け加えられるようです。
ただし「小唄」と訳すと日本の俗謡的な意味になってしまうので、ここではそのまま《歌》としておきます。
人気があると書きましたが、数値的な根拠があるわけではありません。
そもそも《熊蜂の飛行》の圧倒的な知名度に比べられば、その他の作品は所詮どんぐりの背比べ。
その中でも《歌》は比較的録音の種類などもあり、個人的に好きな作品ということもあって、ここで推しておこうと思います。
《歌》は1901年の作曲ですから、リムスキー=コルサコフの晩年の作品です。
ピアノ曲として書かれた作品としては最後のものになりますね。
この作品、何が良いかというと、異国風のノスタルジックな感じがなんとも素敵なのです。
用いられている「ドリア旋法」にそうした効果があることはずっと後になって知ったのですが、古代ローマを舞台にした歌劇《セルヴィリア》と同じころに作曲されているので、リムスキー=コルサコフはこのとき教会旋法に関心を抱いていたのかもしれませんね。
さてこの作品は、帝政ロシア時代に活躍した著名な画家イヴァン・アイヴァゾフスキーの死を追悼するために書かれたとのこと。
アイヴァゾフスキーはウクライナ出身ですが、両親はアルメニア人だったようで、そのためリムスキー=コルサコフは東洋的な旋法を用いて作曲したのでしょうか。
両者の繋がりはよく判りませんが、二人とも「海」の表現に長けていたという共通項があります。
───アイヴァゾフスキーは絵筆で海を奏で、リムスキーは音符で海を描く
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の《シェヘラザード》のジャケットには、 アイヴァゾフスキーの《第九の波》が使われていますね。
《歌》は、1903年にアイヴァゾフスキー追悼のアルバムに収録されました。
このアルバムと称するものは、音楽作品や論文から構成されたものだったようです。
音楽作品ではリムスキー=コルサコフのほかに、キュイ、セルゲイ・タニェエフらのものが収録されていたようですが、情報があまりなく詳細は不明。
(キュイはアイヴァゾフスキーを追悼する歌曲を作っているので、これが取り入れられたのかもしれません)
さらに1907年になって、アルメニアの飢饉を支援するための曲集「涙」に加えられたようです。
このような経緯をたどっていくと、この作品はアルメニアと深い関係があるということが分かりますね。
アルメニア人がこの作品をどのように感じているのか訊いてみたい気がします。
ただし《熊蜂の飛行》は、歌劇《サルタン皇帝の物語》の一節を編曲したものなので、純粋なピアノ作品とは言い難い面があります。
では《熊蜂の飛行》以外でもっとも人気があるピアノ作品はというと、私は《歌》だと思うのです。
A Little Song (YouTube)
Margaret Fingerhut
この作品はロシア語では「Песенка(Pesenka)」といい、これは「Песня(Pesnya)」(=歌)の指小形(愛称形)で、「小さな」「愛らしい」というニュアンスが付け加えられるようです。
ただし「小唄」と訳すと日本の俗謡的な意味になってしまうので、ここではそのまま《歌》としておきます。
人気があると書きましたが、数値的な根拠があるわけではありません。
そもそも《熊蜂の飛行》の圧倒的な知名度に比べられば、その他の作品は所詮どんぐりの背比べ。
その中でも《歌》は比較的録音の種類などもあり、個人的に好きな作品ということもあって、ここで推しておこうと思います。
《歌》は1901年の作曲ですから、リムスキー=コルサコフの晩年の作品です。
ピアノ曲として書かれた作品としては最後のものになりますね。
この作品、何が良いかというと、異国風のノスタルジックな感じがなんとも素敵なのです。
用いられている「ドリア旋法」にそうした効果があることはずっと後になって知ったのですが、古代ローマを舞台にした歌劇《セルヴィリア》と同じころに作曲されているので、リムスキー=コルサコフはこのとき教会旋法に関心を抱いていたのかもしれませんね。
さてこの作品は、帝政ロシア時代に活躍した著名な画家イヴァン・アイヴァゾフスキーの死を追悼するために書かれたとのこと。
アイヴァゾフスキーはウクライナ出身ですが、両親はアルメニア人だったようで、そのためリムスキー=コルサコフは東洋的な旋法を用いて作曲したのでしょうか。
両者の繋がりはよく判りませんが、二人とも「海」の表現に長けていたという共通項があります。
───アイヴァゾフスキーは絵筆で海を奏で、リムスキーは音符で海を描く
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の《シェヘラザード》のジャケットには、 アイヴァゾフスキーの《第九の波》が使われていますね。
《歌》は、1903年にアイヴァゾフスキー追悼のアルバムに収録されました。
このアルバムと称するものは、音楽作品や論文から構成されたものだったようです。
音楽作品ではリムスキー=コルサコフのほかに、キュイ、セルゲイ・タニェエフらのものが収録されていたようですが、情報があまりなく詳細は不明。
(キュイはアイヴァゾフスキーを追悼する歌曲を作っているので、これが取り入れられたのかもしれません)
さらに1907年になって、アルメニアの飢饉を支援するための曲集「涙」に加えられたようです。
このような経緯をたどっていくと、この作品はアルメニアと深い関係があるということが分かりますね。
アルメニア人がこの作品をどのように感じているのか訊いてみたい気がします。
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