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「日比谷野外音楽堂を埋めた集会参加者」
「脱原発」を目指す3団体が3月8日、東京都心で、原発の再稼働に反対する統一行動を繰り広げた。東京電力福島第1原子力発電所の事故から3月11日で4年という時期をとらえて、改めて安倍政権に川内原発(鹿児島県薩摩川内市)と高浜原発(福井県高浜町)の再稼働を断念するよう要求し、併せて国民に「福島を忘れるな!」と訴えるためだった。3団体による共同行動は4回目だが、安倍政権に対する反発は回を追うごとに強くなり、今回は「安倍政権退陣」を求める声が目立った。
統一行動を呼びかけたのは、さようなら原発一千万署名市民の会、原発をなくす全国連絡会、首都圏反原発連合の3団体。この日午後1時から日比谷野外音楽堂で3団体が共催する集会を開き、午後2時から、集会参加者が国会に向けてデモ行進し、国会を包囲。午後3時30分から、首都圏反原発連合が国会議事堂正門前で集会を開いた。統一行動への参加者は、主催者発表で延べ2万3000人。主催者によれば、この日は、全国260カ所で同様の統一行動が行われた。
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「国会議事堂前で開かれた集会につめかけた人たち」
日比谷野外音楽堂の集会では、主催3団体の代表、原発事故被災地の福島県の住民、鹿児島、福井、静岡の各県で原発再稼働反対運動をしている団体の代表らがあいさつや現地報告をしたが、会場を埋めた人たちからの拍手が最も多かったのは、宇宙飛行士・ジャーナリストの秋山豊寛さんのスピーチだった。それは要旨次のような内容だった。
「私たちはなぜここに集まったのか。怒っているからだ。私も原発避難民の1人で、原発でふるさとを追われた人は世界に大勢いる。それなのに、私たちに安倍内閣によるあやしげな政治がのしかかっている。すなわち、安倍内閣は原発を再稼働しようとしたり、労働者の残業代をなくそうとしたり、TPPに加盟したり、農薬の安全基準を下げようとしている。いずれも新自由主義に基づく政策である。それに、政治資金の問題も明らかになった。マスコミはなぜ追及しないのか。加えて、自民党と公明党は70年にわたって日本を支えてきた憲法を骨抜きにしようとしている。日本はどこへ行くのか。今、私たちが立ち上がらなければ、戦後民主主義は滅んでしまう」
なぜ、秋山さんのスピーチに最も拍手が多かったのか。それは、秋山さんが、原発再稼働に反対しただけでなく、このところ、露わになりつつある安倍政権による新自由主義的経済政策や、集団的自衛権行使容認の閣議決定後の安全保障政策、改憲への意欲に強い危機感と同政権への行動提起を表明したからだろう。ひときわ高まった拍手は、集会参加者が秋山さんのスピーチに共感したことの表れ、と思われた。
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多くの方を取材していると、【志願】した方と【招集】された方で、太平洋戦争への思いが大きく違う傾向にあることがわかる。
【招集】された方は、世間からかけ離れた理不尽な軍隊の常識を受け入れることは容易くないが、15歳で志願した尾崎さんは多くの理不尽を「そういうもの、仕方がない」と受け入れてきた。
取材の間中「理不尽」という言葉が付いて回る程、壮絶で悲惨な体験を話されたのだが(具体的にどんな体験だったのか、言葉にできるほど簡単なものではないので是非インタビュー映像をご覧いただきたい)、一番の理不尽は戦後にあったと言えるのではないだろうか。
終戦後、捕虜生活を経て帰国。復員する際に1ヶ月くらせる程度の給金をもらい実家へ戻ったのが18歳。級友たちは未成年だったので、志願した尾崎さん以外は戦地へ赴くことはなかったから、
【ある者は大学へいき、ある者は就職し、ある者は家庭を持ち】、普通に暮らしていたという。それに比べお国のために命をかけた尾崎さんは
、【お金がない・学歴がない・仕事がない】という境遇だった。1人取り残された気持ちだったに違いない。それでも「あのジャングルでの悲惨さに比べれば何も恐くない」と逆境をハネのけてきたという。
そんな、数々の理不尽も乗り越えてきた尾崎さんに最後、「もしタイムマシンがあって15歳の自分に会えたとしたら、志願することを止めますよね?」と聞いてみたところ、「言わないでよ。後悔してるんだからさ」と、はにかんだ笑顔が印象的だった。当時のことを大げさに表現せず淡々と話す証言はとても貴重です。