異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

「脱原発」はこうして骨抜きにされた~原発「新設」をひそかに目論む安倍政権

2016-03-12 02:28:13 | 福島、原発

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48124より転載

2016年03月11日(金) 北方農夫人

原発「新設」をひそかに目論む安倍政権~「脱原発」はこうして骨抜きにされた

【PHOTO】gettyimages

 

福島第1原発事故から5年。2012年に誕生した安倍政権は民主党政権下の「原発ゼロ」方針を骨抜きにし、全国の原発を次々と再稼働させている。その先には、新たな原発の建設をも見据えているのではないか。

「脱原発」はいかにして解体されていったのか。原子力ムラの住人と時の政権の狡猾な戦略を、エネルギー問題を取材するジャーナリスト・北方農夫人(のぶと)氏が暴く。


骨抜きになった規制基準

国の中長期的なエネルギー政策をまとめた「エネルギー基本計画」が、ほころびを見せている。

東京電力福島第1原発事故以降の「基本計画」では、脱原発の世論を意識し、原発の依存度を低下させるとの方針が記された。

だが、原発依存度低下への具体的な道筋は示されず、一方で昨年8月の九州電力川内原発1、2号機を皮切りに、これまで2原発4基が再稼働した。事故から5年を経て、日本は原発回帰を色濃くしている。

さらに今年2月24日には、原子力規制委員会が、運転開始から40年を迎える「老朽原発」の九州電力高浜原発1号機に、再稼働のゴーサインを与えた。

原発事故の教訓を受けて定められた新たな規制基準では、原発の運転期間は「原則40年」となっている。それを超える老朽原発の運転延長は、規制委が認めれば1回に限り20年延ばすことが可能だが、あくまで例外措置との位置づけだった。規制委の田中俊一委員長も、当初は「相当困難」と語っていたが、いつの間にか骨抜き状態となってしまった。

老朽原発の運転延長は、多くの人たちに事故の危険性が高まるとの危惧を抱かせる。その懸念を払拭させる形で、事故後は封印されてきた原発の新増設に政府が踏み出す可能性もある。

計画性なき「基本計画」

エネルギー政策は、国の経済運営に直結する極めて重要なテーマだ。それだけに、基本計画は「エネルギー政策の憲法」と位置づけられるが、その内容は時の政権の意向に大きく左右されてきた。

エネルギー政策基本法で政府に基本計画の策定を義務づけているものの、その内容は3年をめどに見直される。つまり、3年ごとの「改憲」が可能となっているのだ。

現行の「エネルギー基本計画」は、安倍政権下の2014年4月に閣議決定された。12年12月に自民党が民主党から政権の座を再び奪い返してから、初めての見直しだった。そこでの主眼は、民主党政権下での「原発ゼロ」方針から決別することにあった。

自民党からの政権交代を果たした民主党は09年、鳩山由紀夫首相(当時)が「日本は20年までに二酸化炭素(CO2)を1990年比で25%削減する」との国際公約を打ち出した。その実現のために決定されたのが、発電に用いるエネルギー源(電源)の割合を示す「電源構成比率」(エネルギーミックス)で、原発の比率を50%に高めることを盛り込んだ当時のエネルギー基本計画だった。

原発を「CO2を発生させないクリーンなエネルギー源」と位置づけたものの、東日本大震災によって原発が全停止した後は、民主党政権は一転して「原発ゼロ」へと方針を転換させた。

エネルギー政策をめぐり、安倍政権がまず手がけたのが、原発活用路線への転換だった。「原発を動かせば電気代が下がり、経済の好循環につながる」。原発再稼働を成長戦略の一環ととらえる安倍首相は、周辺にこうした期待感を口にしていた。

与党関係者は「脱原発や安全性の議論よりも、(安倍首相が)関心を持っているのは電気代というコストの話だけだった」と打ち明ける。その背景には、早期の原発再稼働を望む経済界の意向がのぞく。

安倍政権下で新たに制定された基本計画では、原発を石炭火力、水力、地熱とともに発電コストが安く、1日を通して安定的に電力供給できる「ベースロード電源」と分類した。だが、原発に関する記述には、ちぐはぐな点も目立った。

再稼働は「規制委の規制基準に適合すると認められた場合には、その判断を尊重して進める」と、基本的に推進する立場を示しながらも、依存度は「可能な限り低減する」と相矛盾するような記述で、方向性をあいまいにした。

さらに、原発や石炭火力などのエネルギーミックスの具体的な数値目標も示されず、政府内から「計画性なき基本計画」と揶揄されるほどだった。

政権の「だまし討ち」

なぜ、具体性を欠いたままで基本計画が策定されたのか。その最大の要因は、報道各社の世論調査で過半数に達していた脱原発の世論にあった。

基本計画が原発推進を色濃く打ち出せば、政権批判の拡大につながりかねない。それを危惧した政府・与党は、原発についての書きぶりをぼかす手段をとったのだ。

再稼働推進と依存度低減を共存させ、電力の安定供給やコスト面から「確保していく(原発の)規模を見極める」とも記し、新たな原発の建設にも含みを持たせる。まさに「霞ケ関文学」の真骨頂だった。

だが、実際にエネルギー政策が進んでいく中で、そうしたごまかしがいつまでも通用するはずはない。

基本計画の策定から1年3ヵ月後、専門家による議論を経て、政府は2030年のエネルギーミックスについて具体的な数値をようやく決定した。そこで示された原発比率は「20~22%」。主管した経済産業省の幹部は「十分に実現可能な数字」と説明するが、その根拠は薄弱だ。

「原則40年」という運転期間のルールを適用すれば、現存する原発43基のうち、30年末でも運転できるのは18基にとどまる。これに建設中の中国電力島根原発3号機(島根県)と電源開発(Jパワー)の大間原発(青森県)を入れても20基だ。この発電量から計算すると、原発では15%程度の電力しか供給できないことになる。

ここでまず考えられるのが原発の新増設だが、ここでも政府のあいまいな姿勢が表れる。

基本計画を策定した際、茂木敏充経産相(現自民党選挙対策委員長)は「(新増設は)現時点では想定していない」と明言。その見解は現在も変わっていない。「現時点では」と、将来に含みを持たせているところに姑息さがにじむが、残るオプションは「例外措置」だった運転延長のみとなる。

今回、規制委がゴーサインを出した高浜1号機を含め、30年までに「原発比率20~22%」を達成するには、約15基の老朽原発の運転延長が必要となってくる。「原発の新規制基準に意味などあるのか?」「原発事故の教訓は忘れられてしまったのか?」。そういった疑問が湧き出て、運転延長に反対する声があがるのは、当然のことと言えるだろう。

そう考えると、やはり現実味を帯びてくるのが、原発の新増設なのだ。

「だれも覚えちゃいないさ」

経産省の幹部は、こう話す。

「再稼働が進めば、国民の原発へのアレルギーも少なくなってくる。そうなれば、新増設への議論もしやすくなるはずだ」

方針転換との批判にも「『現時点では』という留保をつけて説明していたので、特に問題はない」(同幹部)と意に介さない。

世界に衝撃を与えた原発事故を起こし、いまだ完全に収束していない中、日本が再び原発の新増設に踏み切る土壌は、着実に整えられつつある。

もう一度、振り返ってみよう。基本計画には原発依存度を「可能な限り減らす」と明記されている。老朽原発を再稼働し、新増設までも否定しないのは、安倍政権によるだまし討ちではないか? そうした疑問を、自民党のある中堅議員にぶつけると、乾いた笑みを浮かべながらこう言った。

「どうせ3年たったら見直すんだ。前の中身なんか、だれも覚えちゃいないさ」

 

 

 


福島原発「国会事故調」元委員長・黒川清氏の告発!~日本の中枢は、…

2016-03-12 02:19:46 | 福島、原発

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48136より転載

2016年03月10日(木) 黒川清

福島原発「国会事故調」元委員長の告発!
「日本の中枢は、いまなおメルトダウンを続けている」

〔PHOTO〕gettyimages

国会事故調委員長としての偽らざる思い

志が低く、責任感がない。
自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事のようなことばかり言う。
普段は威張っているのに、困難に遭うと我が身かわいさからすぐ逃げる。

これが日本の中枢にいる「リーダーたち」だ。

政治、行政、銀行、大企業、大学、どこにいる「リーダー」も同じである。日本人は全体としては優れているが、大局観をもって「身を賭しても」という真のリーダーがいない。国民にとって、なんと不幸なことか。

福島第一原子力発電所事故から5年が過ぎた今、私は、改めてこの思いを強くしている。

日本人は福島第一原発事故から何を学んだのかー?続々進む原発の再稼働、遅々として進まぬ安全対策。このままでは、日本人はまた同じ災いを経験することになるかもしれない。

そんな状況に警鐘を鳴らすのが、国会事故調元委員長の黒川清氏だ。原発事故を「エリートたちによる人災」と暴いた黒川氏はいま、「揺り戻しが起きている原発政策をみていると、日本の未来に著しい危機を感じている」という。

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震から9ヵ月後の12月、福島第一原発事故の根本的な原因を調査するために、国会に調査委員会が設置された。「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」、通称「国会事故調」だ。

国民の代表である国会(立法府)に、行政府から独立し、国政調査権を背景に法的調査権を付与された、民間人からなる調査委員会が設置されたのは、我が国の憲政史上初めてのことである。

私は、この委員会の委員長を務めた。冒頭に記した嘆きは、国会事故調委員長としての、また、一人の国民としての、偽らざる思いだ。

日本の脆弱さは、世界にバレていた

国会事故調は、私を含めて10人の委員から構成された。それぞれの専門分野で調査を進め、その結果を、マッキンゼー出身で郵政民営化等にも関わったコンサルティング経験豊かなプロジェクトマネージャーが統括し、ほぼ6ヵ月で、本編だけでも600ページ近い調査報告書にまとめ上げた。

2012年7月に国会に提出した報告書では、福島第一原発事故は地震と津波による自然災害ではなく、「規制の虜」に陥った「人災」であると明確に結論付けた。

「規制の虜」とは、規制する側(経済産業省原子力安全・保安院や原子力安全委員会など)が、規制される側(東京電力などの電力会社)に取り込まれ、本来の役割を果たさなくなってしまうことを意味する。その結果、「日本の原発ではシビアアクシデント(過酷事故)は起こらない」という虚構が罷り通ることになったのである。

たとえば、2001年の9・11アメリカ同時多発テロの後、燃料を満載したジャンボジェット機が原発に突っ込んできたらどうなるかについて、アメリカやフランス等の原発先進国では真剣に論じられた。

その防御策を、アメリカ側は日本の原子力規制機関に2度も伝えたが、日本は何の対策も取らなかった。もし、その対策を実行していたら、福島第一原発事故はギリギリのところで防げた可能性もあるのだ。

また、日本がIAEA(国際原子力機関)の指摘する「深層防護」(原子力施設の安全対策を多段的に設ける考え方。IAEAでは5層まで考慮されている)をしていなかったことは、国内外の関係者の間では広く知られているし、今もってその備えのない原発が幾つもあることも指摘されている。

IAEAの日本の担当者は、経産省の役人に「どうして深層防護をやらないのか」と聞いたところ、「日本では原発事故は起こらないことになっている」と言われ、まったく納得できなかった、と語っていた。

こうしたことは国民にはほとんど知らされていなかったが、世界の関係者の間では以前から知られていた。卑近な言い方をすれば、日本の脆弱さは世界中にバレていたのだ。

しかし、日本の「リーダーたち」にとっては、「不都合な真実」は「存在しない」か「記録等がなくて確認できない」ことが多い。「国民を欺いている」と海外で言われても、しかたのないことであろう。

東電社長の「ゾッとする」発言の意味

国会事故調は報告書の中で、規制当局に対する国会の監視、政府の危機管理体制の見直し、電気事業者の監視など「7つの提言」をした。調査結果から導き出された「7つの提言」は、本来、国会で充分に討議された上で、「実施計画」が策定され、その進捗状況は国民と共有されるべきものだ。ところが、事故から5年が経った今も、国会では「実施計画」の討議すら満足に行われていない。

にもかかわらず、九州電力川内原子力発電所(鹿児島県)の再稼働、関西電力高浜原発(福井県)と四国電力伊方原発(愛媛県)の再稼働計画、安倍晋三首相が推進する原発の輸出などが進められている。日本は3・11以前の原発政策に戻りつつある。

なかでも、2015年8月に再稼働した川内原発をめぐっては、九州電力が、原発事故時の対策拠点となる免震重要棟の建設計画を、再稼働後に撤回したことが問題となっている。

九州電力は、川内原発の免震重要棟新設計画の撤回の理由を、「免震重要棟を新設するよりも、現在ある代替施設に加えて、新たな支援施設を建設するほうが、早く安全性を向上できる」としている。

これに対して原子力規制委員会は、「どれだけ早く安全性を向上できるのか、具体的な説明がなく、最も重要な根拠を欠いている。撤回の理由は納得できるものではない」と指摘した。

しかし、九州電力は撤回の方針を変えていない(2016年2月現在)。さらに、規制委で再稼働の適否を審査中の玄海原発(佐賀県)に関しても、免震重要棟の新設計画を見直す考えを明らかにしている。

免震重要棟は、免震装置で地震の揺れを大幅に低減する構造で、被曝対策となる放射能管理機能と、自家発電機や通信情報施設等を備えている。原子力事故時の緊急対策所として、極めて重要な役割を果たす設備だ

実は、国会事故調第18回委員会の参考人質疑において、福島第一原発事故当時に東京電力社長であった清水正孝氏は、免震重要棟の重要性について、次のように明言しているのである。

「今回の私どもの一つの教訓だと思いますが、免震重要棟、発電所の緊急対策室、あれは御案内のとおり、中越沖地震(2007年・新潟県)によって柏崎刈羽が被災したあの(事務棟が使えなくなった)教訓を生かして実は福島第一・第二にも造ったものでございます。あそこはまさに、緊急対策室としての機能を果たしているわけです。(中略)もし、あれがなかったらと思いますと、ゾッとするくらいのことでございます」

この発言は、2時間以上に及んだ第18回委員会参考人質疑の、最後のほうにある。今もウェブサイトで視聴することができるので、ぜひ確認していただきたい。(http://www.ustream.tv/recorded/23159673

信用を失ったこの国

福島第一原発事故の当事者である東京電力のトップだった清水氏が、「もしあれがなかったらと思うとゾッとする」とまで明言した免震重要棟を、九州電力は「重要な根拠」も示さずに、「不要」と判断した。

福島第一原発事故の教訓は、どのように認識され、どのように受け止められているのだろうか。

「日本はいったい何を考えているのか?」と、世界は奇異の眼で見ている。3・11
以来、国際社会の中での信用を日本は失なっているのだ。

報告書では福島第一原発事故の事象ばかりでなく、再発防止に向けた提言を行った。事故の背景には日本社会のあり方が浮かびあがる。事故は「氷山の一角」であり、氷山の下には「規制の虜」「三権分立の機能不全」「民主主義の貧困」など、日本の統治機構の問題が数多く存在する。

このように、報告書には日本社会のエスタブリッシュメント(既成勢力)にとってあまりにも都合の悪いことばかり書いてある。報告書は「不都合な真実」だったのだろうか。現在の状況は国会事故調などまるで「存在しなかった」かのようである。

なお、国会事故調が参考人質疑を行った委員会やその後の記者会見、タウンミーティングの内容は、すべてウェブ上で、しかもほとんどが英語の同時通訳つきで公開されている。報告書は徳間書店から出版されている他、ウェブサイトでフルテキストを見ることができるし、英語版のフルテキストもウェブ上に掲載されている(国会事故調HP http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/ 現在、それらを電子書籍にしようという動きも出てきている)。

日本社会の「病巣」を確認する上でも、ぜひ、委員会の様子や報告書の内容を多くの人々に見ていただきたいと願っている。

警鐘を鳴らさずにはいられない

3・11によって、人々の世界観は劇的に変わった。しかし、5年が経過して、福島第一原発事故は徐々に風化してきてはいないだろうか。

事故を引き起こした当事者である東京電力、原子力関連省庁、規制諸機関、そして政府や国会、それらを構成し支える私たち国民一人ひとりは、事故の反省をすべて消し去ろうとしているように見える。このままでは、同じ過ちを繰り返しかねないように思える。

国会事故調の委員長を務めた者として、こうした思いから本書を出版するに至った。

国家の危機が目前に迫っていても対応できない日本の「リーダーたち」への歯痒さ。日本を支えている産官学のコアの部分が、メルトダウンしていることへの危機感。私は警鐘を鳴らさずにはいられない。

世界への影響が非常に大きな事故だからこそ、この事故から学び、そこで得た知見を世界と共有し、現在も続く汚染水処理やこれからも起こり得るアクシデントに生かしていく姿勢が重要だ。

しかし、日本という国には、その姿勢が欠けている。このままでは10年後、20年後の日本はダメになる。いや、すでにダメになっているのかもしれない。原発事故に限らず、日本が再び大きな問題と直面した時に同じような失敗を繰り返し、決定的・不可逆的に国際社会で孤立し、信用をなくしてしまうだろう。

福島第一原発事故は終わっていない。この事故を機に変わらなければ、日本の将来は極めて危うい。そのことを、国民一人ひとりに強く意識していただきたいと、切に願っている。

 
 
 
 
 

 


震災から5年、39人の写真家たちが撮り続けた被災地――「5年しかたっていないのに、もう終わりかい?」…

2016-03-12 02:04:03 | 福島、原発
 

震災から5年、39人の写真家たちが撮り続けた被災地――「5年しかたっていないのに、もう終わりかい?」という思い

今年3月は「震災から5年」。しかし、その記憶はどんどん風化していっているようだ。写真家の新藤健一さんはこう語る。

「2012年は『震災から1年』ということでマスコミの注目も増えたものの、震災3年目、4年目となっていくと、マスコミはだんだん注目しなくなりました。世間も、何となく“震災は過去のこと”といった雰囲気が出てきています。

 5周年にあたって、霞が関の弁護士会館で写真展を行った(3月10日まで)のですが、写真家たちから作品を集めようとしても、どうしても2011年と2012年のものばかりになってしまう。2013年と2014年の写真が少ないんです」

震災から5年・39人の写真家たちが撮り続けた被災地3月12日午後2時40分、福島第一原発の周辺を小型機で飛行していると、一号機の排気筒からベント作業と思われる白煙(水蒸気)を確認した。一号機建屋はこれから約1時間後の午後3時50分に爆発、世界を震撼させた=2011年3月12日、福島県双葉郡上空 (撮影:石川 梵)

他人事を撮っているんじゃない

 新藤さんは、5年にわたって継続して被災地を撮り続けてきた数少ない写真家の一人。なぜそこまでこだわり続けるのか。

「岩手県大槌町の小学校の写真を撮ったんです。津波と火災で壊滅的な被害を受け、凄惨な現場が広がっていました。それが偶然、友人の写真家である倉田耕一の母校でした。そのことを伝えると、当時彼はあまりにもショックが大きくて『撮りに行けない』と言う。

 僕が撮った写真の、校舎の中から見える風景は、まさに彼の津波に襲われ、燃えた実家があった場所だったという。しばらくして倉田が落ち着いてから、自宅のあった側、つまり僕とは逆側から撮った写真も収録されています。

 これだけの被害を出した災害です。みんなどこかで繋がっている。『僕らは、他人事を撮っているんじゃない』との思いを強くしました」(新藤さん)

⇒【写真】はコチラ http://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1072243

震災から5年・39人の写真家たちが撮り続けた被災地
津波と火災で被災、真っ黒に焼けただれた大槌小学校2階の教室=2011年3月31日、岩手県大槌町(撮影:新藤健一)

 

震災から5年・39人の写真家たちが撮り続けた被災地

大槌小学校前にあった倉田さんの実家も津波と火事で消失、土台だけが残った=2011年5月3日、岩手県大槌町(撮影:倉田耕一)

5年しかたっていないのに、もう終わりかい?


 新藤さんは、同じく被災地を5年間撮り続けてきた写真家の野田雅也さんとともに、多くの写真家たちがこれまで撮りためてきた写真を一冊にまとめた(『あれから5年 3・11東日本大震災写真集』・産学社刊)。

 福島第一原発の爆発1時間前、爆発を防ぐための「ベント作業」と思われる白煙をとらえた石川梵さんのスクープ写真。5年たっても墓石が山積みのまま放置されている福島県浪江町の姿を伝える野田雅也さんの写真。それらを含めた、フォトジャーナリズムの第一線で活躍する39人の写真家による作品が収録されている。

「被災地の復興はハコモノと土木事業だけは進んでいますが、被災者の生活の復興は遅れています。仮設住宅で孤独死する高齢者の方々は年々増加し、原発事故の収束も見通しがたたない。震災や原発事故の記憶を風化させてはいけないし、これからの問題も山積みのまま。僕にしてみれば『5年しかたっていないのに、もう終わりかい?』という思いです。きっとまだまだ撮り続けるんでしょう」(新藤さん)

震災から5年・39人の写真家たちが撮り続けた被災地

5年間放置された墓と福島第一原発。請戸地区では、原発事故の影響で津波犠牲者の救出が出来ず、助かる命を救うことができなかった=2016年2月16日、福島県浪江町(撮影:野田雅也)

 
取材・文/北村土龍 写真/『あれから5年 3・11東日本大震災写真集』(産学社)より

【39人の写真家】田沼武能、細江栄公、西宮正明、森住卓、豊田直己、野田雅也、片野田斉、石川梵、桑原史成、柿木正人、江成常夫、安達洋次郎、中村征夫、熊谷正、野町和嘉、野澤亘伸、上田聡、花井尊、倉田耕一、桃井和馬、上野祥法、佐藤文則、佐々木康、芳賀日向、高橋邦典、石川文洋、Q.サカマキ、小松健一、光幸國、熊切圭介、井沢雄一郎、大石芳野、渡辺幹夫、鈴木渉、羽永太郎、芥川仁、福本敏雄、八尋伸、新藤健一
 
 
あれから5年 3・11東日本大震災写真集

第一線で活動する39人の写真家が負の遺産である東日本大震災の記録を次の世代へ引き継ぐ目的でまとめました。 「あれから5年、忘れてはならないことがある」。

 

 

 


187回目、そして福島原発事故から5年目の【0311再稼働反対!首相官邸前抗議】…6000人の参加!

2016-03-12 01:42:02 | 福島、原発

https://twitter.com/mcanjp?lang=ja

187回目、そして福島原発事故から5年目の【0311再稼働反対!首相官邸前抗議】始まりました。震災で亡くなった方々へ黙祷を捧げ、原発事故による被害者の方々に思いを寄せ、誓いも新たに粛々と脱原発の声をあげましょう!

 

国会前コール

たくさんの人びとが集結しています
グミ坂混んできてます。
 
 
 
原発いらない!

 

思いを込めて叩き出すパワフルなドラム音

 

鎌田慧さんがスピーチ中。まだ10数万の人が路頭に迷って故郷に帰れない。安部政権は愛とモラルと論理と見通しがない。ようやく原発と共存はできないことが浸透している。粘り強く根を貼った運動を諦めずに健全な国を子孫に残す。

 
 
 

いわき放射能市民測定室 たらちねの鈴木薫さんがスピーチ中。取り返しのつかない犠牲の上に私達の生活が成り立っている、それでも今できることをやらなければいけない。歩みを止めず一緒に歩き続けていきたいと思います。

 

FOEドイツ会長がスピーチ中。福島の事故でドイツは全ての原発スイッチを切る議会一致ができた。再生可能エネルギーだけで我々はやっていける、人間の命を守るために世界中の原発をなくさなくてはいけない。共闘していきましょう

 

亀屋幸子さんがスピーチ中。まだ終わっていない、何も解決していない。テレビで流れる原発事故のあの地獄みたいな映像は見られません。私達みたいな想いをしないように、再稼働反対!と最後まで闘いぬきましょう。

 

「故郷返せ」「原発やめろ」コール

国会前、ラストコール。「再稼動反対!命をまもれ!原発廃炉!」