http://dot.asahi.com/wa/2016042800266.html?page=1より転載
没後7年 今「忌野清志郎」が求められる理由
「狂ってきたこの世は騒がしいぜ」没後7年。キヨシローの不在を何度でも嘆く……(2004年12月9日、撮影/遠藤智宏)
世代もジャンルも超えて愛されたミュージシャン、忌野清志郎が亡くなって7年。今でも、テレビで、ラジオで、街で、彼の歌声が響く。いつまでも愛される理由は何か──。
ユーチューブで人気の動画がある。昨年9月4日の国会前で、脳科学者の茂木健一郎さん(53)が学生団体「SEALDs」の求めでマイクを握ったときの映像だ。茂木さんは、夜空を見上げてこう語る。
「清志郎さん、見ていますか」
拍手が沸くと、激しく体を揺らして歌い始めた。
「安保法案、腐った法律! 安保法案、ダメな法案! 何でもかんでも強行採決さー!」
1980年代末、忌野清志郎率いるザ・タイマーズが、民放の生放送で歌って物議を醸した曲「FM東京」の替え歌だった。
清志郎は51年、東京生まれ。70年にRCサクセションでデビュー。「スローバラード」「雨あがりの夜空に」などがヒットした。派手なメイクと衣装に加え、反原発の楽曲を含むアルバム「カバーズ」が発売中止になるなど、社会問題を作品に取り込むことでも知られた。2009年5月2日、がんのため58歳で亡くなった。
【故・忌野清志郎さん2005年のインタビューはこちら】
死後も、原発や安保などの問題をめぐり、清志郎は何度もクローズアップされる。おそらくそれは88年発表の「カバーズ」、その直後に結成したタイマーズの活動に起因しているだろう。タイマーズや忌野清志郎のソロ活動に参加した三宅伸治氏、RC元マネジャーの片岡たまき氏、RCのアルバムジャケットのデザインを手がけたアサミカヨコ氏に思い出を語ってもらった。
* * *
──「カバーズ」は洋楽の名曲に日本語の歌詞をつけたアルバムでした。
三宅伸治(以下三宅):87年暮れにはもう構想があったと思います。ボス(清志郎)から「こんなカバーをやりたいんだ。♪なにいってんだ~(ラヴ・ミー・テンダー)」って歌うのを聞かされましたから。
──核や原発をテーマにした曲が収録されていたため、レコード会社の親会社から圧力がかかり、発売が中止されました。
片岡たまき(以下片岡):チェルノブイリ事故があって、広瀬隆さんの本を熱心に読んでましたよね。
三宅:「三宅、大変なことになってるぞ」と、ボスが本を貸してくれました。
アサミカヨコ(以下アサミ):当時、ワインのラベルを見て、年代や産地を気にしていましたね。
──別のレコード会社から無事に発売されたわけですが、怒ってましたか?
アサミ:そりゃあもう、あのころはステージのMCでも怒ってましたね。
三宅:ラジオ番組でも「頭にきた」的なことを言ってました。
片岡:訳詩の許諾も下り、発売日も決まっていたのに、何がダメなんだって話ですよね。普段はいたって穏やかな人、ギリギリまでためてから爆発する、そんな面もありましたね。
アサミ:そういえば、ボスの家族と一緒に山梨の温泉に行ったとき。私は助手席に乗ってたんですけど、帰り道に塩山の駅前で降ろされて、「じゃアサミ君は電車で帰りたまえ!」って置き去りにされたことがあって。
三宅:ひどい(笑)。
アサミ:後でイシイさん(奥さん)に聞いたら、私が助手席でおせんべいを食い散らかしたり、山道で酔って吐いてポルシェをちょろっと汚したりしたことに、ボスは相当ムカついてたらしく。2泊3日ニコニコしてたのに最後にズドン。それはともかく(笑)、ボスの場合、怒りが歌になることは多いですね。
──「カバーズ」でためこんだ怒りがタイマーズでの活動につながっていくわけですね。ステージで土木作業員のような格好をし、強烈な社会風刺を歌う。
三宅:ラジオ番組の放送の合間に、僕が持ち込んだ歌本を見ながら(米国の)ザ・モンキーズの曲を歌ったりして。そこからですね。ある夜、ボスから送られてきたファクスに「タイマーズ」って書いてありました。名前は(GSの)タイガースのパロディーです。
片岡:楽屋はRCのときとは違った興奮状態でしたね。新聞を広げて、歌にできるニュースを探したり、ガラの悪い言葉遣いで話したり。
三宅:いつも叫びながらステージに向かうんです。学園祭では、実行委員の女の子がびっくりしてた。地下足袋を履くあたりからスイッチが入るんですよ。
──ステージが終わったときは「やってやったぜ!」みたいな感じ?
三宅:まさにそれです!
片岡:興奮した様子で、「やったな!」と。
アサミ:後でビデオを見て、自分のことを「この人すごいな」「すごいだろ、俺なんだけどネ」とか、何度も絶賛して(笑)。
──89年、テレビの生放送で、リハーサルと全く違う、しかも放送禁止用語満載の曲を歌って話題になりましたね。
三宅:タイマーズの「土木作業員ブルース」って曲や、山口冨士夫さんとボスが一緒に作った「谷間のうた」って曲がFM東京などで放送禁止になって。
片岡:怒ってましたねえ。
三宅:番組に出るときに「ボス、何かやらかしますか?」って言ったんです。
アサミ:伸ちゃんが言ったの?
三宅:そのときに作ったのが「FM東京」という曲で。ボスが作った「お◯◯◯野郎」って過激な歌詞を見てびっくりしました。
片岡:さすがに「それはダメじゃないの?」って言わなかったの?
三宅:最高でしたね(笑)。演奏しながら、テレビカメラの向こうに、いろんな人が走り回ってるのが見えた。あんな光景は見たことなかったです。そのときも、やっぱり「やったぜ!」でしたね。
片岡:態度悪そうにガムかんでたりもしてたね。
三宅:そのガムを買ってきたのも俺です。
片岡:日ごろ静かな人が、ここぞとばかりに無理やり不良になったみたいで、ちょっとかわいいんですけどね。
三宅:俺がRCのスタッフをやめるときに悩んでいたんですが、「俺は友達になりたいんだ、三宅」と言ってくれたんです。
アサミ:私も、もめごとがあったとき、ファクスで「ちっぽけな人間より」って謝ったことがあって。そしたら、そこを消して、「いやいや大きな友だよ」と返信してくれたことがあって。
片岡:対等でいてくれる。あったかい人ですね。
──タイマーズは94~95年にも活動しました。
三宅:阪神大震災やオウム真理教事件をはじめ、毎日いろんなことが起きた時期で。その日の出来事をその場で曲にして、その日のステージで歌ってました。
アサミ:ラブソングが得意だからか、「恋バナ」もメチャメチャ好きで。ちょっと離れたところで寝てると思って、ヒソヒソ恋バナしてると、「何なに?恋の話? ン? ン?」ってガバッと起きて参加してきたり。
片岡:「得意なんだよ俺は」ってね。得意そうには見えないけれど(笑)。
──今でも何か起きると、ファンの間では「キヨシローならどう歌ってくれるだろう」と話題になります。
アサミ:でも、ボスはもういないわけだから、ボスからもらった種を育てて、おのおのが歌えよ、考えろよって思いますね。
片岡:想像しても、答えがないことですからね。
(文・構成・太田サトル)
※週刊朝日2016年5月6-13日号