「さとうきび畑」 歌:森山良子
https://mainichi.jp/articles/20170624/ddf/001/040/012000cより転載
沖縄戦題材「さとうきび畑」の歌50年 心のざわわ、終わらない 「平和でよかった」言えるまで
作詞作曲者の遺族歌い継ぐ
寺島さんは1964年6月、初めて沖縄を訪れた。まだ本土復帰前で、伴奏者として参加したリサイタルの翌日、摩文仁(まぶに)の丘(糸満市)に続くサトウキビ畑を案内され、地元の人の言葉に衝撃を受けた。「この土の中には戦没者の遺骨が埋もれたままなんです」。畑を吹き抜ける風の音に戦没者たちの嗚咽(おえつ)と怒号が聞こえた。
「作曲家として沖縄の惨劇を伝えたい」。あの風の音の表現に悩んだ。サトウキビの葉がこすれる「ざわわ」にたどり着くまで約2年かかった。11番まであり、「ざわわ」を66回繰り返す歌が完成した日の夜、寺島さんは歌手でもある妻葉子さん(79)に歌わせた。「夫は沖縄での体験を伝えようと、あれからずっとひとりで悩んでいたのか」と心を動かされたという。
歌の発表となる初演は67年5月。愛媛県新居浜市でのコンサートで歌手、田代美代子さん(73)が歌った。歌詞には戦争で亡くなった父を思う「わたし」が描かれる。父を早くに亡くした自身の経験と重ねた田代さんは「継父によくしてもらっていたが、涙を見せずに歌うのが精いっぱいだった」と振り返る。歌詞からは「わたし」の生まれた日に戦いが終わったことが示唆される。田代さんは「終戦の1945年に『わたし』が生まれたとすれば72歳。たくましく生きて孫に囲まれて暮らす姿を思い浮かべて今も歌っている」と語る。
その後、森山良子さんや、ちあきなおみさんら70人以上の歌手らが歌った。今月、葉子さんは次女で、ソプラノ歌手の夕紗子(ゆさこ)さん(47)や森山さんらと今後も歌い継ごうと東京都内でコンサートを開いた。夕紗子さんは「父は、この歌は反戦歌ではなく、鎮魂歌だと。こういう歌が歌われなくてすむ世の中が来ればいいと話していた」と明かす。
53年前に寺島さんが歩いたサトウキビ畑は平和祈念公園に姿を変え、2012年には読谷村に歌碑が建った。祈念公園内の施設を管理する沖縄協会の元役員で、寺島さん一家と交流してきた比嘉正詔(せいしょう)さん(74)=那覇市=は「サトウキビ畑を逃げ惑い、生き延びた一人一人の魂の記憶に訴えかける。歌い続けることが不戦の誓いになる」と話す。
今年も巡ってきた沖縄慰霊の日。夕紗子さんは「この歌の持つ優しさや、命へのまなざしが永遠に歌い継がれてほしい」と願う。【林由紀子】