http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/da8e107bed3b382cf764c53020c4fc49より転載
聖徳太子が神道を排し、仏教による国づくりをしたのが、日本律令政治の始まりですが、
それとはアベコベに仏教を排して神道、しかも従来の神道(町にある神社)ではなく、天皇を現人神にして全国民支配するという思想が、明治政府(伊藤博文ら)の政府神道=国家神道です(現天皇夫妻や皇太子夫妻も嫌う思想)。その総本山が靖国神社(明治政府が東京招魂社としてつくり10年後の明治12年に靖国神社と改名)です。
それは現代の言葉では「カルト宗教」ですが、その「明治政府作成の国家神道」をそのまま受け継ぐのが、安倍首相のもつ思想で、深い関係をもつ「神道政治連盟」「神社本庁」「日本会議」の恐ろしいほどの封建主義です。徹底した上下倫理、個人主義を毛嫌いする家族主義、天皇制=皇室絶対の明治主義です。
個々人を主権者とし、個人を活かすことを大元に据えた民主政=民主制=民主性とは、二律背反です。一人ひとりの心、想い→考えにつき、そこから立ち上げるのではなく、マスコミに政府批判を禁じ、政府支持のムードを醸すための戦略を練り、手強い批判者をテレビから消すことで、国家主義を当然とします。
北朝鮮のソフト版(記号学を駆使したはるかに上手な国民洗脳)のような政権。民主政=民主制=民主性を深部で消す政府(安倍首相の親友で思想的バックボーンの八木秀和麗澤大学教授の「反人権宣言」(ちくま新書)「明治憲法の思想」(PHP新書)を見れば、ストレートに戦前回帰を目指していることがわかります)を支持する人は、自分で自分の首を絞めているわけです。戦前思想へがなぜよいのでしょうか?エニグマ。
武田康弘