池田まき政経セミナーに行ってきました。
北広島市芸術文化ホールに500人くらい集まり、二階席まで埋まりました!
【講演】
吉田徹氏
日本は政治不信も強いが、それはスウェーデン以外のほとんどの国と同じ程度。
問題なのは、他の国に比べて対人不信の割合が多いこと。
市民が、税を配分する側(政府)も配分される側(生活保護受給者など)も信用していない。連帯の欠如が日本社会を蝕んでいる。貧しい人を助けるのは政府の義務ではないと思っている人の割合が多い。収入の少ない大学生を助けるべきだという人は、他国は8割から9割なのに、日本は57パーセントしかいない。
民主党の人気のあった政策は子ども手当ではなく事業仕分けだった。
どの国でも、80年代と今を比べるとデモへの参加が倍増しているが、日本は半減している。
日本の若者は政治への関心はあるが実践できていない。
政治不信が高ければ高いほど、政治参加が必要。他人を信用し、他人と政治を作っていくことが大切。
山尾志桜里氏
四年前、2012年、原発問題で民主党が割れた。野党の立候補者が乱立し、民主党がほとんど落ちた。自民党は原発のことについて語らずに大勝した。政党は議員数を持ち続けなければ何もできない。
四日前、トランプ大統領が誕生した。ウォール・ストリートの金持ちには任せられないという民意があったのに、金持ちであるトランプは、たった一人の反乱というイメージで勝った。みんなで政治を作ることができなかった。
民進党が一番やらねばならないのは福祉・社会保障。今の自民党には福祉・社会保障をやるつもりがない。自己責任を声高に言う人は、日本は怠け者の国だというのか。生活保護不正受給は0.5パーセントに過ぎない。8割のシングルマザーが働いているのに関わらず、母子家庭の貧困率が高い。野党が福祉・社会保障の仕事を言っていかねばならない。
【ディスカッション】
安積遊歩氏
障がいを持つ人は優生思想によって苦労してきた。他人への不信の根底にあるのは自己不信。差別をする人は「障がいを持ったら自分も酷い目にあう」という気持ちを持っている。今年の7月26日、障がい者は名前を奪われ、殺されても仕方ない人たちだというレッテルを貼られた。事件防止のための監視カメラも高い壁も必要がない。怠け者だから生きるな、社会に出てくるなという民意を変えたい。どんな人でも社会で堂々と生きるための税金の再分配を望む。
小堀学氏
池田さんは常に政治に対して怒っているか笑っているかの人で、是非国会に送り出したい。2000年頃から、公務員が、人のために働く人ではなく「勝ち組」になっている。社会に対するヤリキレナイ気持ちが、橋下小池トランプを選ばせている。社会に不満を持っている人に魅力的に感じる政治をどう作っていけばいいのか。
川原茂雄氏
5区補選では野党共闘で野党と市民の絆ができた。政党中央から、野党共闘をするなと言われるのは困る。野党共闘のために何をするべきか。
山尾志桜里氏
誰の命も尊厳があるものとして尊ばれる社会を作りたい。そのことを多くの人にわかってほしいために、人口問題や経済のことにリンクさせて喋ることがある。何が目的で何が手段なのか忘れてはいけないと改めて思った。
民進党が原発の問題をきちんと考えられるか。
自民党が民共批判を繰り返すのは、野党の一本化を恐れているから。選挙は相手の嫌がることをやるのが大事。野党の一本化を、蓮舫氏も野田氏も望んでいるはず。
吉田徹氏
税の再分配が機能していない。日本は1割くらいしか再分配されていない。法人税の制度を変えていかなければならない。
アメリカは労働生産性と所得が乖離した。民主主義は人々を市場の暴力から守ってきたが、守れなくなったことで世界的に政治不信が吹き出している。
安倍政権は、他の野党に受け皿がないから支持されている。市民とともに野党共闘ができなければ。
山尾志桜里氏
野党共闘は憲法がテーマ。
敵はどこかということを見定めなくてはならない。
【池田まき氏決意表明】
信頼ができない分断社会、格差が大きくなっている。
2004年夏、社会保障はそれほど重要ではないと言われた。
今、社会保障が大きなテーマ。
現況報告。
⑴看板立て。四月は無所属だったので一枚も貼れなかったが、千枚を目標に立てている。
⑵朝街宣は市議の人とすることもあるがほとんど一人でやっている。市民の方が6時半から仲間になって一緒にやってくれている。
⑶ビラまきも市民の方と一緒に、また市民の方だけでもその家の人と対話をしながらポスティングしてくださっている。
孤立、不信の中で声をあげられない地域の中で、市民と政党の信頼回復を作っている。次は衆議院総選挙に向けて動いていきたい。
フリーソーシャルワーカーの仕事は目の前の人を見捨てない、全ての人が敵であっても私は信じる、ということを伝える仕事。市民と政党がつながれば不信社会を変えられる。
写真撮影 Hiroki Taguchi