http://iwj.co.jp/wj/open/archives/324501より転載
改憲が目前に迫った今こそ、「野党共闘」が必要!第一次大戦後のドイツで、社会民主党と共産党が共闘できていたら「ナチス台頭」は防げた!~代表選を控えた民進党は、ドイツの歴史に学ぶべし! 2016.8.9
市民が野党の背中を押して、やっとの思いで作り上げた「野党共闘」の枠組みは、あえなく崩壊してしまうのだろうか――。
8月5日、民進党の蓮舫代表代行が党本部で記者会見し、岡田克也代表の任期満了にともなって9月15日に行われる代表選挙に立候補する意向を、正式に表明した。
蓮舫氏はこの日の記者会見で、今後の「野党共闘」のあり方について、次のように消極的な姿勢を示した。
「政策なくして路線なしです。新しい代表がまず向き合うのが、衆議院議員選挙。政権選択選挙において、政策が違うところと一緒に政権を目指すことはありえません。これは明言します。
ただ、去年の夏から今年の夏にかけて、日本の政治の風景はずいぶん変わった。子育て、安全保障、総理の憲法の扱いについて、実に多くの人たちが声をあげて動いてくれた。これは新しい景色です。
これに対し、すべての野党が向き合って呼応して代弁をした。この新しい動きは私は大切にしたいと思っています」
▲会見に臨む蓮舫氏――8月5日、民進党本部
「政策が違うところ」とは、具体的には日本共産党のことを指すと思われる。蓮舫氏は、「すべての野党が向き合って呼応して代弁をした。この新しい動きは私は大切にしたい」と一定の留保はつけているものの、日本共産党と「一緒に政権を目指すことはありえない」と述べるなど、共産党を含めた「野党共闘」の枠組みに関して、一定の距離を置いたかっこうだ。
7月31日に投開票が行われた東京都知事選挙は、「野党統一候補」の鳥越俊太郎氏が、小池百合子氏に約160万票の大差をつけられて破れた。そのことから民進党内では、前原誠司議員、細野豪志議員、長島昭久議員ら党内保守派を中心として、共産党を含めた「野党共闘」の枠組みに対し、批判的な意見が息を吹き返している。
▲長島昭久氏――2015年10月6日、衆議院議員会館しかし、7月10日に投開票が行われた参院選は、自民・公明・おおさか維新の「改憲勢力」が77議席を獲得し、衆参ともに3分の2議席を占める結果となったものの、野党統一候補を擁立した一人区で民進党は7議席を獲得するなど、「野党共闘」が一定の成果をみせたことは確かだ。仮に共産党が選挙協力していなければ、民進党は今よりも大幅に議席を減らしていたことは確実である。民進党が得た議席を、民進党だけの力で得たと考えるのは、思い上がりもはなはだしい。
2015年9月19日未明に、集団的自衛権行使容認にもとづく安保法制が「成立」してしまって以降、多くの市民が、立憲主義の回復と憲法改悪阻止のために、「野党共闘」成立を目指して汗を流した。
特に、SEALDs、学者の会、ママの会、総がかり行動実行委員会、立憲デモクラシーの会によって創設された「市民連合」は、32ある「1人区」のすべてで野党統一候補擁立を働きかけ、候補者に対する推薦を行った。
▲「市民連合」と野党党首による合同街宣――6月19日、有楽町イトシア前安倍政権による明文での憲法改悪の企てが着々と進行している今こそ、こうした市民の声にこたえ、共産党をも含めた「野党共闘」の枠組みを維持することが必要なのではないか。現在、最大野党である民進党内で起きている動きは、この動きに逆行するものであり、改憲勢力に対する「利敵行為」に他ならない。
もう一点、蓮舫氏の発言に大きな違和感を覚えるのは、次期衆議院選挙を「政権選択選挙」と位置づけていることだ。現実問題として、衆議院の3分の2以上の議席を占める自公連立政権に対し、現在の民進党が単独で一回の選挙で劇的な政権交代をなしえるとはおよそ考えられない。本気でそんなことを言っているとしたら、低調な民進党の現在の党勢を理解しているとはいいがたく、蓮舫氏の現実認識を疑わざるをえない。
なぜ、「野党共闘」が必要なのか。それは、1930年代のドイツの歴史を参照すれば明らかである。
第一次世界大戦での敗戦後、ドイツでは、世界で最も民主的と言われたヴァイマル(ワイマール)共和政が発足した。共和政発足直後は、社会民主党、中央党、民主党の3党が「ヴァイマル連合」を結成するなどして野党が足並みを揃えていたものの、共産党とナチスはこの「ヴァイマル体制」に異を唱え、同体制の弱体化のためにつとめた。「ヴァイマル体制」を中核で支えた社会民主党から、ドイツ共産党は分裂して誕生したのだが、両党の間に和解はなく、共闘はついに成り立たなかった。
そのような中で急速に台頭したのが、ヒトラーに率いられたナチス・ドイツである。ナチスは野党の中でも特に共産党を過度に攻撃することで支持を伸ばした。1933年2月27日には国会議事堂放火事件を格好の口実として緊急事態宣言を時の大統領・ヒンデンブルクに出させて、共産党や社会民主党の指導者などをいわれなき逮捕・拘束によって徹底的に弾圧し、その約一ヶ月後の3月23日には全権委任法(授権法)を成立させて、独裁を確立したのである。
▲炎上するドイツ国会議事堂(出典:WikimediaCommons)ヴァイマル共和政末期のドイツは、野党が統一戦線を組めなかったことにより、ナチスの台頭を許してしまった。現在の日本は、こうしたドイツと同じ轍を踏んではならない。安倍政権の独裁と憲法改悪の企てを阻止するためには、参院選と都知事選が終わった今だからこそ、改めて共産党を含めた「野党共闘」の枠組みを設定すべきではないだろうか。
以下、『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)の著者で、ドイツ近現代史が専門の東京大学教授・石田勇治氏へのインタビューの中から、ドイツにおける「野党共闘」の崩壊と、ナチス台頭の経緯について言及したくだりを掲載する。これをお読みいただければ、現在の日本でなぜ「野党共闘」が必要なのか、お分かりいただけると思う。なお、インタビューが行われたのは、参院選直前の7月1日であり、発言はその当時のものであることをお断りしておく。(岩上安身)
<関連>
現在の日本の参院選のように、当時のドイツでも野党共闘が求められていた~ドイツ社会民主党とドイツ共産党が手を組んでいれば、ナチスは抑えられた〔IWJ〕