似顔絵談義で、
全く話が噛み合わないことがあって、
何でかと思ったとき、
美術系の書籍を読んでいたら
ニーチェのアポロン的とデュオニュソス的
との違いが書いてあり、
なんとなく分かった気がしました。
また、山藤章二先生の、
「批評の目。相手をこき下ろす」
というのも、
実は、いまいち実感出来ていなかったのですが、
デュオニュソス的
というキーワードで見ると、
似顔絵塾という存在理由も、
なんとなく理解できる気がしたのでした。
本当に個人的な解釈ですが。

P.S
山藤先生は、
「理性を失ってはいけない」
と書かれていますから、
デュオニュソス的であれ、
とは言っていないみたいですね。
けれど、初期の似顔絵塾は、
デュオニュソス的ではなかったかもしれませんが、
今よりも(よくも悪くも)前衛的であった気がします。
ブログランキングに参加しています。
応援の1クリック、よろしくお願いします↓

全く話が噛み合わないことがあって、
何でかと思ったとき、
美術系の書籍を読んでいたら
ニーチェのアポロン的とデュオニュソス的
との違いが書いてあり、
なんとなく分かった気がしました。
また、山藤章二先生の、
「批評の目。相手をこき下ろす」
というのも、
実は、いまいち実感出来ていなかったのですが、
デュオニュソス的
というキーワードで見ると、
似顔絵塾という存在理由も、
なんとなく理解できる気がしたのでした。
本当に個人的な解釈ですが。

P.S
山藤先生は、
「理性を失ってはいけない」
と書かれていますから、
デュオニュソス的であれ、
とは言っていないみたいですね。
けれど、初期の似顔絵塾は、
デュオニュソス的ではなかったかもしれませんが、
今よりも(よくも悪くも)前衛的であった気がします。
ブログランキングに参加しています。
応援の1クリック、よろしくお願いします↓
