平成28年春の叙勲で県内から49人が受章した。日高地方から旭日双光章に地方自治功労で由良町大引118の1、元町議の上野諭氏(70)と御坊市湯川町富安731、元市議の森上忠信氏(80)。瑞宝小綬章に教育功労でみなべ町山内848、元公立高校長の原田武俊氏(74)。瑞宝双光章に消防功労で日高川町寒川223、元町消防団長の奥村昌弘氏(68)。瑞宝単光章に造幣業務功労で日高町志賀563の1、元財務技官の小川光男氏(75)-の5人が選ばれた。いずれもその道一筋の功績が認められた。伝達、拝謁は2日以降、順次行われる。
地方自治で多大の功績
旭日双光章 上野諭氏
昭和61年7月の由良町議会議員選挙で初当選。以来平成27年2月まで8期28年8カ月にわたり議員を務めた。その間、議長はじめ副議長、議会運営委員長、総務常任委員長、合併問題調査特別委員長など多くの要職に就いた。
平成24年5月から25年7月までは中日本町村議会議長会長、近畿府県町村議会議長会長を兼任したほか、県町村議会議長会長や同会理事も務めるなど広域的に活躍した。
議長時代は、防災への取り組みをいち早く念頭に置き、地元の白崎小学校舎の大規模改修・耐震補強工事に尽力し、給食活動を通じ食育活動にも力を注いだ。3中学校統合では生徒や保護者の不安を解消するため教育環境の整備に努め、下水道事業では区民待望の大引・神谷クリーンセンター、衣奈クリーンセンター建設に貢献した。
3保育所統合で新設されたゆらこども園の建設工事、観光スポット・白崎海洋公園の「道の駅」登録に際し関係者との調整にも奔走し、多方面で政治的手腕を発揮した。これまでに地方自治功労で県町村議会議長会表彰、全国町村議会議長会表彰を受けている。
上野氏の話 身に余る光栄に感謝し、受章の重みを感じています。皆様のご指導、ご支援の賜です。
御坊市政推進に尽力
旭日双光章 森上忠信氏
平成7年1月に御坊市議会議員に初当選。以来昨年1月まで5期20年にわたり市政推進と住民福祉の向上に尽くした。12年3月と16年3月からそれぞれ1年間は副議長、25年3月から2年間は議長を務めた。
議員として「市民が住んでよかったと思えるまちづくり」をモットーに、地方自治発展のために精力的に活動に取り組み、常に住民目線からの政策を提言。議長としては円滑で効率的な議会運営に努め、行政が直面している重要課題や市民生活に影響が大きい問題解決のために議会が機能するよう力を注いだ。各種委員会の委員長も歴任し、総務文教、産業厚生の両常任委員会では専門的で詳細な審査に励み、活発な委員会運営を推進。地元から要望が強かった湯川中の改築では、地元PTAと連携し先頭に立って教育環境の向上へ奔走した。議会運営委員会では、時代に即し市民に開けた議会となるよう夜間・休日議会の開催、質疑・質問の一問一答方式を実施。自然エネルギー等調査特別委員会では自然エネルギーの発展、普及促進への施策推進への総意をまとめ、行政委員としても活躍した。
森上氏の話 身に余る章でこれもひとえに皆さまのおかげ。これからも章に恥じぬよう微力ながら市の発展に尽くしていきたい。
県教育の発展に尽力
瑞宝小授章 原田武俊氏
昭和16年7月に県立南部高校に教諭として赴任以来、37年間の長きにわたり、県教育の発展に尽力した。ふりだしの南部高校で23年務めたあと、熊野、串本、田辺高校では教頭、最後の南紀高校、田辺高校、南部高校の8年間は校長としてその手腕を発揮し、学校運営の要として活躍した。
教諭時代は、理科教諭として、教科、部活動などの学校教育や、農業、林業などの産業教育の発展にも貢献。部活動では、南部高校弓道部の顧問として、個人、団体を全国大会出場に導き、黄金時代を築いた。26歳の時に父親から「新福寺」の36代目住職を引継ぎ、「二足のわらじ」で活動の幅を広げた。
平成6年に校長に昇任。最後の2年間は母校の南部高校の校長となり、当時開催された「梅サミット」での生徒の研究発表や、中国山東省洛南第一中学校及び洛南農業学校と姉妹校として正式調印し、国際交流事業にも尽力した。
県高校校長会副会長、県高野連副会長など歴任。県教育功労賞を受賞した。退職後は田辺保護司会長、人権擁護委員としても地域に貢献している。
原田氏の話 非常にうれしい。素晴らしい生徒、先輩、同僚の方々や地域の人のお陰で受賞できたものと感謝しています。
消防・防災活動で貢献
瑞宝双光章 奥村昌弘氏
昭和43年2月に旧美山村消防団員となり、同分団長、副団長を務め、合併後は日高川町美山消防団副団長、名称変更後の日高川町消防団副団長を経て、平成24年4月1日に同団長に就任。平成26年に退団するまで46年間余にわたり、町の消防活動や防災に尽力した。
旧美山村消防団員だった昭和59年、寒川地内で発生した民家3軒を全焼する火災では、真っ先に現場に到着。消防車両が到達する前に住民の安全や消防水利の確保に努め、先頭に立って周辺の樹木伐採に動き、山林への延焼を防いだ。
平成23年の台風12号災害時には、町消防団副団長として早期に警戒にあたり、各分団員への指示、住民の避難誘導を行い、迅速な判断で人的被害を最小限に食い止める一翼を担った。
山間部に位置し、川沿いに集落が点在する地元の寒川地区などでは、家屋火災が発生すれば集落内で延焼拡大する危険性が高く、これらの地域的特性を考えた予防活動を重視。長年の消防団活動で修得した知識や技能を生かし、自らポンプ操法を実演するなど団員を指導する姿が士気高揚と団結力の強化につなげた。
奥村氏の話 栄えある受章を賜り誠に光栄です。個人ではなく、支えて頂いた団員はじめ関係各位を代表しての受章です。
誇り持ち造幣局勤務
瑞宝単光章 小川光男氏
昭和37年4月に技能職で採用され、大阪市の造幣局に入局。硬貨の製造、勲章や褒章、オリンピック入賞メダル等の金属工芸品等の製造などの事業を行う局で新人研修後、7月から溶解課に配属された。
同課では主に10円玉や100円玉など貨幣の材料である、ニッケル黄銅や白銅、青銅、黄銅といった金属を溶かし、鋳塊と呼ばれる棒状にした製品を後の工程に送る業務に従事。
当時、溶かす炉は小型の3基と大型の1基があり、1300度を超える高温で溶解させて、一日約20トンの金属塊を鋳造し続ける。夏場は暑さで特に厳しい作業を強いられた上、金属によって溶解度が違うため、調整の難しさもあったという。そんな中でも経済を担う硬貨を造るということから、プロ意識と誇りを持って仕事に向かった。
37年間の溶解課での仕事が主で作業主任や組長、作業長などのポストも歴任。広島支局の開局に伴う溶解課の機能移転で、平成11年4月から小川氏は研究開発課に移り、模様やデザイン等の偽造防止研究や偽造硬貨鑑定などにも取り組んだ。退職後、日高町に移り住み、15年になる。
小川氏の話 皆様方のご指導ご鞭撻のたまもの。共に歩んだ生活の苦労を妻に感謝し、喜びを分かち合いたい。
その他の主なニュース
● 11月開催の「世界津波の日」高校生サミットに25カ国、国内30校以上参加表明
● 中学野球、高城が3連覇で紀南大会へ
● 日高川町の上阿田木春祭りにぎわう
● 5月2日~6月4日 ごぼう商工祭プレイベントでラッキーナンバーくじ実施