実家のタンスの引き出しから、父と母がいっしょに撮った
写真が出てきた。
ふたりだけの写真を見たのは初めてだった。
少し色あせていたが、ふたりが若くて元気だった頃の写真だ。
仲睦まじく幸せそうな父母が懐かしくて胸にジーンときた。
大正生まれの両親は、私たち子供の前で腕を組む姿を見せた
ことがなかった。
写真の中では母が父に寄り添い腕を絡めていた。
母は父を愛していた。父も母を大切にした。
父は63歳、母は89歳で亡くなった。
両親は結婚してから身を粉にして私達を育ててくれた。
男一人である長男の私は転勤が多く両親と一緒に暮らす
ことが出来なかった。
お盆、正月の休みに帰らないこともあったが
「元気でやってればよか。こっちは心配せんでよか。」
と言ってくれた。父母の言葉が胸に沁みた。
父は胃ガンを患い、母の看病もむなしく逝ってしまった。
母は気強く寂しさに耐えて、ひとりで生き抜いた。
私は仕事に精いっぱいで十分な親孝行も出来なかった。
ふたりの写真は胸ポケット入れておくことにした。
父母は生前ふたりづれの旅行は叶わずじまいだった。
これから私が連れて行く。
今月に計画している信州、千葉への旅行は父母の写真と
いっしょの旅にする。
写真が出てきた。
ふたりだけの写真を見たのは初めてだった。
少し色あせていたが、ふたりが若くて元気だった頃の写真だ。
仲睦まじく幸せそうな父母が懐かしくて胸にジーンときた。
大正生まれの両親は、私たち子供の前で腕を組む姿を見せた
ことがなかった。
写真の中では母が父に寄り添い腕を絡めていた。
母は父を愛していた。父も母を大切にした。
父は63歳、母は89歳で亡くなった。
両親は結婚してから身を粉にして私達を育ててくれた。
男一人である長男の私は転勤が多く両親と一緒に暮らす
ことが出来なかった。
お盆、正月の休みに帰らないこともあったが
「元気でやってればよか。こっちは心配せんでよか。」
と言ってくれた。父母の言葉が胸に沁みた。
父は胃ガンを患い、母の看病もむなしく逝ってしまった。
母は気強く寂しさに耐えて、ひとりで生き抜いた。
私は仕事に精いっぱいで十分な親孝行も出来なかった。
ふたりの写真は胸ポケット入れておくことにした。
父母は生前ふたりづれの旅行は叶わずじまいだった。
これから私が連れて行く。
今月に計画している信州、千葉への旅行は父母の写真と
いっしょの旅にする。