夕方のお散歩は外でなくお家の中と思ってるだろう!疑惑浮上中のくうたです。
今日のボクの出番はココまでです。明日また会おうね。
昨年11月某日、知人の息子さんが亡くなりました。
24歳でした。
就職活動真っ最中の大学4年生のとある日、ガンが見つかりました。
色々手を尽くしたのですが、若いため病気の進行は早く絶望視されました。
しかし幸いなことに、彼の入院していた大学病院だけは、まだ厚生省の許可の取れてない薬を試験的に使うことが許可されてたのです。
彼のガン細胞を食い止めるのはその薬しかありません。
アメリカでは使われている薬ではありますが、日本ではまだ未許可の薬です。
臨床数も少ないし、副作用も半端じゃなく死ぬ思いをするほどとも言われ、さらに薬が合えば劇的に効くそうですが、合わなければ苦しみつつ死をむかえるしかないといわれました。
その治療を受けるかどうかの選択は彼自身に委ねられました。
そして彼はその治療にかけたのです。
実は彼の父親も病気で入院しており、長男の自分が母や家族を支えていくんだと、使命をかんじていたのです。
あまりに激しい副作用に苦しむ息子の姿を前に、彼の母親は
「なぜこの子だけがこんなに苦しまなきゃいけないのか。何で自分が代わってあげられないのか。」
とずっと自身をせめていたそうです。
激しい副作用に苦しみながらも彼は病魔に負けることなく、
翌年4月無事大学に戻ることができました。
彼には新たな目標ができました。医学部受験です。
大学に戻り残りの単位を取得後、あらたに受験勉強を始めました。
昨年夏の定期健診ではガンの転移もみつからず、完治も宣告され意気揚々と未来の目標にむけ船出をきりました。
そして受験勉強のかたわら、彼は自身のホームページを立ち上げ、病院で知り合った病魔と闘ってる人々やいまそれぞれの病気に向き合ってる人々へ「いっしょに頑張ろうと!」エールを送っていました。
ブログでは、『リハビリの途中、苦しくて道端で休んでいたら、通りかかった見知らぬおばさんが「具合が悪いなら乗って行きなさい」と車を止めて声をかけてくれ、その親切がとてもうれしかった。』とか日々のようすが淡々と綴られていたそうです。
ところが10月のある日。
胸が苦しくなった彼は、風邪をひいたと思い医者にいきました。
診察の結果、彼の肺の中は水がいっぱいたまっていました。
ガンが肺に転移していたのです。
あっという間のことでした。
水を抜かなければ手術ができません。しかし一度に大量に抜くことができないのです。水を抜くよりも病気の進行のほうがはやく、もう手の施しようがありません。
水のせいでベッドで仰向けになることもできず、寝るときもかがんだ姿勢です。
死の恐怖から、夜になってもろくに眠ることもできなかった彼でしたが、朝がくると一杯の水をおいしそうに飲みながら
「水ってこんなにおいしいんだね」
と笑顔をみせていたそうです。
そしてことあるごとに
「お母さん、ありがとう。お母さん大好きだよ」
と言って笑っていたそうです。
そして11月のある日、母親に看取られながら24歳の生涯をとじました。
どんなときも強く優しく生きてきた彼でした。
未来がくると信じて疑わなかった彼です。
自分自身とてつもない苦しみのなか、家族を思い懸命に生きた24年間でした。
どうか、いま目の前のさまざまな痛み、苦しみに立ち向かってるあなた。
決して自ら死を選ぶことだけはしないでください。
生きたくて生きたくて、頑張って頑張って頑張っても、死んでいかなくちゃいけない命だってあるんです。
いまの世の中、明日なにが起きるかなんて誰にもわかりません。
“いつか”や“今度”なんて日は来ないかもしれません。
だからこそ忙しいなんて言葉でごまかさず、
一日一日、一瞬一瞬を悔いなく過ごしていかなきゃいけないと、心から感じました。
最後にHくんのご冥福を心から祈ります。合掌。