昨日の続き。
やぐら巡りの後は大船からモノレールで湘南深沢へ。
Googleマップで偶然見つけた州崎古戦場跡の碑を見てきました。
漢文調に書かれていますが、新田義貞の名前は分かりました。
ネットで調べたら
碑文
此の辺り古の州崎郷に属す 元弘三年(1333)五月新田義貞鎌倉攻の折 その武将堀口三郎貞満・大島讃岐守守之州崎口より攻む 鎌倉方は赤崎相模守守時を将として邀撃(ようげき:迎撃)し 戦闘六十数度 遂(つい)に敗れ守時以下九十余人自刃したる古戦場なり
此の辺り古の州崎郷に属す 元弘三年(1333)五月新田義貞鎌倉攻の折 その武将堀口三郎貞満・大島讃岐守守之州崎口より攻む 鎌倉方は赤崎相模守守時を将として邀撃(ようげき:迎撃)し 戦闘六十数度 遂(つい)に敗れ守時以下九十余人自刃したる古戦場なり
ということで、新田義貞の鎌倉攻めでこのあたりでも合戦があったんだそうです。
州崎という地名は初めて聞きました。
近くには「泣塔」と呼ばれる供養塔があると聞いていたので探してみたら、今は整備中で観られないとのこと。残念。
「泣塔」も州崎合戦の犠牲者を弔うために建立されたと言われているそうですが、夜な夜な泣き声が聞こえるという言い伝えでこのような名前になったとか。
この辺りは富士塚という地名で富士山が良く見えるのですが「谷」や「塚」が入っている場所はいろいろ謂われがあると聞いたことがあります。
鎌倉の地名ってそんなんばっかりなんですけど…(*´ω`)
いろいろと訪れるとやっぱり頭に入ります。