久万 ほうねんじ のブログ

法然寺でのスローなできごと。

記念碑

2020年01月29日 | 日記
境内地にある約百年前の記念碑。



側面にはこの碑を建立した年月と当時の住職さんの名が刻まれています。





明治四十二年七月 第十六世 徳譽代

今回はこの碑の全文を書き出してみたいと思います。途中、どうしても判別不能や読みにくい文字があって、□に抜けている部分もありますので、予めご了承下さい。

『記念碑
洪鐘も打たざれば音なし 明鏡も磨かざれば光なし 仏徳広大なりと雖も説かざれば又聴くに由なし
茲に明治四十年十月 鎮西本山善導寺貫主廣安僧正に請招し 宗祖円光大師七百年御忌を奉修せり 同僧正□篤なる御勧誠に依り 是が動機となりて当山檀信徒 近藤雛代老女史独が発起し 八十有余名の授者を得て四十一年四月 同僧正を招聴し五重相伝を挙行せり 是れを当山に於て五重の鳴矢となす 然るに相伝洩者大いに遺憾とし相伝希望者続出せるが故に 近藤雛代 石丸與平 山岡峰三郎 安倍傳 田村エイ 小□ダイ 諸氏発起となり四十二年三月 同僧正に請し第二回五重挙行す 授者二百余名を得たるは 偏に同僧正の懇切なる訓誡と発起諸氏の誘導宣しにを得たるとに由るものなり 爾来 信根輩同たり □ち僧正茲に発起諸氏の功績を永遠に傳へん為めに高野リキ女史発起せられ記念の為め是れを建設す』

解釈すると、

「寺の鐘も打たなければ響かない。立派な鏡も磨かなければ写さない。仏の徳は偉大であるといっても誰がが説かなければ意味がない。
明治40年10月、九州大本山善導寺の第59代貫主、広安真随僧正をお招きし、宗祖法然上人の700回忌の御忌を修した。
この事がきっかけで明治41年4月、檀家の近藤雛代さんがお一人で発起人となり同僧正をお招きし、80人余りの授者を集めて五重相伝会の法要を挙行した。
これが法然寺における最初の五重相伝会であった。
ところが、この法要に参加したかったという者が続出したので、近藤雛代 石丸与平 山岡峰三郎 安倍傳 田村エイ 小□ダイさんが発起人となり、明治42年3月、同僧正を三たびお招きして第二回五重相伝会を挙行した。
200人以上の授者を得たのはひとえに広安僧正の懇切な訓誡と発起人の皆さんの熱心な勧誘と広きに渡る宣伝の賜物である。
以来、授者たちは平等に深い信仰心を持つ檀信徒である。
そして、ここに高野リキさんが発起となり、僧正と五重相伝会の発起諸氏の功績を永遠に伝える為に記念碑を建設する。」

となるでしょうか。

まず驚くのが、「明治の時代」に「大本山善導寺貫主」に「九州の久留米から久万まで」「3年の間に3度も来ていただいた」ということです。
呼ぶほうも大変だと思いますが、それに応えてくださる貫主さんはエライなぁ…と感動します。

あともう一つ、意外だったことは発起人に女性の名前が多いということです。

久万の地名は弘法大師ゆかりの「おくまさん」という女性から来ているらしいですが、今も昔も久万の女性は積極的な方が多いのかもしれませんね。

今回は長文になりましたが、お読みくださりありがとうございました。

法然寺第20世 学譽記す。

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