Fleetwoo Mac Discography
フリートウッド・マック ディスコグラフィ
(1975年~2003年)
アンダーバー( _ )の付いているアルバム名をクリックするとそのアルバム紹介のページになる予定
(未完成です、、、)
1975年 10thアルバム Fleetwood Mac「ファンタスティック・マック」
1977年 11thアルバム Rumours「噂」
1979年 12thアルバム Tusk「牙」...LP当時2枚組
1791年 ライヴ・アルバム Fleetwod Mac Live「ライヴ」
1982年 13thアルバム Mirage「ミラージュ」
1987年 14thアルバム Tango In The Night「タンゴ・イン・ザ・ナイト」
1990年 15thアルバム Behind The Mask「ビハインド・ザ・マスク」
1995年 16thアルバム Time「タイム」
1997年 ライヴ・アルバム The Dance「ザ・ダンス」...DVD,,,CDは持っていません
2003年 17thアルバム Say You Will「セイ・ユー・ウィル」
これらより古いアルバムはAPPLE MUSICからダウンロードして聴いてはみました。
やはり1975年以降の作品のフリートウッド・マックっていう感じとは作風も違うので、
これが昔の作品なのねという程度の印象、いつでも聴けるので買ったという有難みもないので
何度も聴くことはなくスマホ、PCの中で眠っています。
彼等の音楽に魅せられた20代の頃
彼等の音楽と出会ったのはABBAと同時期です。
ABBAの記事を読んでいただいた方はお分かりかと思いますが、
22歳の頃、あのフルコミッションの会社の5人組(4人が同じ歳)の一人
足立ちゃんの影響、「これ凄いよ!」と教えてくれたのが、このアルバム
Rumours
彼等の最大のヒット、、、全米で確か31週連続でナンバー1になったという記憶。
この時期がフリートウッド・マックの最盛期を迎えたころで
メンバーの結束も最高に良かったのだと思いますが、リアルタイムで彼らの音楽を聴けたのは幸運でした。
一度だけですが来日した時に、大阪の厚生年金会館でライヴも観ることができたしね。
最高でした
当時は1982年の13thアルバム Mirage「ミラージュ」まではLPで聴いていましたが
その後はCDの時代へ。 それでも最高傑作だと思うRumours「噂」はCDも持っています。
Romoursでファンになり、遡って10thアルバムも買い、
その後はリアルタイムで買って聴いていました。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリートウッド・マック(英語: Fleetwood Mac)
イングランド出身のロック・バンド。
50年以上のキャリアをもち、初期は「チキン・シャック」らと同様に、ブリティッシュ・ブルースロックとしてスタートした。
1970年代半ば以降はソフトロック路線に転換して成功を収め、世界的な知名度を誇る。
1978年『グラミー賞』受賞。1998年『ロックの殿堂』入り。
ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて11位。
トータルセールスは1億2000万枚を超えている。
初期/ブルースロック、ピーター・グリーン時代
1967年ブルース・ロックバンドとしてスタート
初期のバンド名は「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック(Peter Green's Fleetwood Mac)」
その後メンバー・チェンジを繰り返しながら進化、初期のメンバーで残って活動したのは
ドラムのミック・フリートウッドとベースのジョン・マックヴィーだけです。
(リリース)
1968年 1stアルバム「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック」
シングル「ブラック・マジック・ウーマン」..後にサンタナがカバーして大ヒット
2ndアルバム「ミスター・ワンダフル」
シングル「アルバトロス(あほうどり)」..全英でシングルチャート一位獲得
アメリカ向けに再編集したアルバム「英吉利の薔薇」
1969年 3rdアルバム「セブン・プレイ・オン」
英国活動期、ボブ・ウェルチ時代
1970年 ピーター・グリーン脱退
4thアルバム「キルン・ハウス」
ジェレミー・スペンサーが脱退
後任としてベースのジョン・マックヴィーの奥さん、
チキン・シャックにいたことのあるクリスティン・マックヴィーと
オーディションによりアメリカ人ギタリストのボブ・ウェルチが加入
1971年 5thアルバム「フューチャー・ゲーム」
1972年 6thアルバム「枯れ木」(ベア・ツリーズ)
1973年 7thアルバム「ペンギン」
8thアルバム「神秘の扉」
1974年 9thアルバム「クリスタルの謎」
バンドとしての活動はコンスタントに続けていたが、度重なるメンバー・チェンジや、
アメリカにおける「偽フリートウッド・マック全米ツアー騒動」等、困難の多い時代でもあった。
1974年、アメリカ・ツアーを終えたマックは、彼らのこれからの活動をアメリカ中心にするべく、
活動拠点を米国カリフォルニアに移した。
しかし、その直後、フロントマンのウェルチが脱退、バンドは存続の危機を迎える。
全盛期/1975-1977年
ウェルチに代わるフロントマンを探していたミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーは、
バンドの新作のレコーディング・エンジニアのオーディションを通じて
「バッキンガム・ニックス( Buckingham Nicks)」というアメリカ人の男女デュオの作品を耳にした。
リンジー・バッキガムのギターとヴォーカルに強い関心を持ったミックは、
1974年2月、リンジーと電話で連絡を取りバンドに誘った。
リンジーは、バンドに合流するにあたり、
ガール・フレンドでありデュオのパートナーでもあるスティーヴィー・ニックスを同行することを提案。
結局グループは、この二人をセットで新メンバーとして迎え入れることになった。
これで最高の5人がラインアップ、最盛期を迎えます。
1975年 10thアルバム「ファンタスティック・マック」
1977年 11thアルバム「噂」Roumor
アルバムは31週間に渡って全米1位ビルボード(1977年・年間チャート1位・Billboard Top200)に輝き、
1,700万枚といわれる史上空前のセールスを記録する。
マックは一躍スーパースターの座に上り詰めた。
翌年には同アルバムでグラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞。
安定期/1978-1987年 ~ 停滞期/1988年以降
1979年 12thアルバム 「牙」(タスク)
ライヴ・アルバム 「ライヴ」
1982年 13thアルバム 「ミラージュ」
1987年 14thアルバム 「タンゴ・イン・ザ・ナイト」
1990年 15thアルバム 「ビハインド・ザ・マスク」
1995年 16thアルバム 「タイム」
1997年 ライヴ・アルバム 「ザ・ダンス」黄金期のメンバーが再集結。再結成ライブを行ない
「ミラージュ」以来の全米ナンバー1
2003年 17thアルバム 「セイ・ユー・ウィル」
メンバーのタイムライン。。。。ウィキペディアで見つけたので貼り付けます。
Fleetwood Mac - Dreams (Official Music Video)
フリートウッドマックの曲は20代の頃の思い出
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます