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正しく言えば、この石灯籠が日初様ではありません。
花の窟から西に600メートルのところに、樹齢1000年の楠の大樹と日初様の小さな祠(ほこら)があり、地元では日初講があり毎年お祭りをしていたが、明治40年頃クスノキは伐られ、祠も取り払われ、現存するのは日初地名と石灯籠だけです。
石灯籠には「奉寄進」の文字。
裏側には「山川」の文字が掘られています。
石灯籠は、現在の位置ではなく、もっと上にあり、黄泉の国への入り口を塞いだ石が御神体のようですが、ここには大きな岩、そして水が出ていたであろう場所らしきところがいくつかあります。
石灯籠の上へとあがる道には白い石がありました。
これは産田神社や花の窟だけでなく、この地域の多くの神社に敷き詰められているものです。
現在は、案内の標識もなく荒れた竹やぶの中にあるので、探しに入ってもガイド無しではまず辿り着けないでしょう。
石灯籠は2つあり、現在はサークルKの裏手にある戦没者慰霊碑の隣りに立てられています。
なぜここに運ばれたかは、今のところ定かではありません。
廃れてしまった日初様から運び出されたようです。また上の部分は元のものと違っているようです。
御神体の岩の前に戻す計画があります。
元の姿が見られるようになるかもしれません。
神話の中で気になっていた1つの謎がとけて個人的にはとてもうれしい。
あとは、御からうど(イザナミ尊葬所と伝えられる洞窟)の場所を特定できれば・・・・
この写真の道は、池川の「まないたさま」へ抜け、赤倉や本宮へと続いた熊野古道。
本来の巡礼道です。
現在80歳くらいの方のお話ですと、この道を池川まで走って鍛えたそうです。
比較的アップダウンが少なく、なだらかな道だそうです。
有馬の田んぼは沼地だったため、山の中腹を道として使っていたようで、また有井トンネルが出来るまでは、水脈が通り何箇所からもしみだす水が家々を潤し、畑や田んぼに利用されていたそうです。