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社民党の理念は「平和・自由・民主主義・平等・共生・連帯」
「社民党の活動を知って下さい」を目的に作成してます。

今・党の強化について望むこと (6)

2016年11月18日 | くまじろうの一言コラム

今・党の強化について望むこと (6)

 過般、民進党は第19回常任幹事会において「尊厳ある生活保障総合調査会」を設置しました。
(会長に前原誠司衆院議員が就任)1年をかけての調査研究をするということを蓮舫代表が表明していました。
このアピールは直近の総選挙の大きな目玉となるでしょう。

 要支援1・2と要介護1・2の皆さんが220万人を超えるということは前記しました。
さらにその介護に悩む家族の皆さんを加えたら500万人に近い大多数となります。この皆さんに「言葉」を発しない手はありません。
しかもその課題は党員及び支持者の皆さんの共通の課題でもあります。
そこでの訴えは力強いものになるはずです。そして信頼も得ることができるでしょう。

 今社民党(党員)の持てる実力をもって「矢を射るとしたら、その的は高齢者問題」と言っても過言ではないと確信をいたします。

 党に対する国民の信頼はその党に未来があることによって生まれます。
「消えるか社民党」と揶揄される状況からは信頼を勝ち取ることはできません。
まず一つでも二つでも議席を増やすこと、その姿をつくることが「良くやった、頑張った」という評価に連なり次の期待に結び付きます。「小さい力で選ぶのは強弓ではありません。
小さな的でも、それが有権者の望む的であれば、まず正確に射貫ければ良い」のです。

 直ちに社民党の「大衆に通じる政策づくり『言葉で語れる』・社民党高齢者福祉政策立案委員会」の立ち上げを強く要望いたします。

そして私たちに「私たちの周りの有権者に訴える言葉」を示してください。

 

 201611

                福島県連合所属   F 党員(党歴49年)

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今、党の強化について望むこと (5)

2016年11月18日 | くまじろうの一言コラム

今、党の強化について望むこと (5)

 あらためて整理をいたします。確かに社民党は地方組織を持っています。そこに党員が存在し地方議員も有しています。
この点においては「民進党」に勝ります。共産党組織とも「どっこい」の勝負ができる実態にあると確信をいたします。
しかしもはやかつての「党と労働組合の支持協力関係」は望めません。
よって職場(労働組合内)にあって党員の影響力は失いつつあります。
さらに多くの党員が年金生活者となっています。加えて高齢化です。
社会新報の配布についても手配りを通した読者との対話が柱でした。
またそのことが購読の継続と繫がりました。しかし党員の高齢化はその手配りも困難になっています。
また高齢者の運転事故が社会問題となっています。新報配布時の高齢者党員の事故は大きな社会問題となるでしょう。
また総支部とは名のみで全党員集会の開催においても出席者10名にも満たないという実態も少なくありません。
これらの事実を直視する必要があるのではないでしょうか。

 この事実を直視して「何をつかみ取り、何をするのか」ということが論じられなければならないのではないでしょうか。

 高齢化であってもその党員の周りには今までの活動の財産としての多くの支持者が存在をしています。
その支持者の皆さんもまた年金生活者です。そしてその皆さんによって地方議員の後援会が構成されています。
当然にしてその支持者の関心事は何かということになります。
それが「介護・医療、そして年金」という高齢者福祉の課題であると受け止めます。(つづく)

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今、党の強化について望むこと (4)

2016年11月18日 | くまじろうの一言コラム

 今、党の強化について望むこと (4)

 本年9月に実施されました福島県いわき市の市議選の応援に行ってきました。
行動は「可能な限り面談をしてチラシを配付する」というのが方針です。
しかし日曜日でもありますが留守宅が多い、在宅であっても「ポストにチラシを入れてください」の返答は良い方でした。
それでも面談の出来た家がありました。つまり高齢者宅です。
いわき市は3.11の被災時に市民の3割の10万人が一時避難をした街です。
そこで脱原発、廃炉、放射能汚染の問題を提起しました。

しかし皆さんの関心事は「介護であり、医療であり、晩年の不安」でした。
そこで郡山市で取り組んだ「合葬墓建設」を話題にしましたら乗ってきました。
また要支援など軽度の要介護者の問題を取り上げましたら共通の話題となりました。
すべてがそうとは言えませんが、高齢者の関心ごとは『介護・医療・年金』ということでしょう。
もちろん戦中を経験した皆さんです。
平和・憲法などを軽視するわけではありませんが、それをもって「政治の選択」とはならない事実があると考えるべきではないでしょうか。しかもその年代は全有権者の3割を超える皆さんであり「高投票者層」です。
 そこに介護問題を重ねて考えます。2012年度調査によれば、要支援1・2、要介護1・2と認定され、
何らかの支援を受けている高齢者は220万を超えています。4年後の現在はさらに増えているでしょう。
とりわけ要支援者への予防介護サービスが完全に「介護保険制度」から切り離されるのが来年4月以降です。
この事実に対する党の具体的政策は何か、
党員が、自信をもって相手の気持ちをつかむ「具体的な言葉」が用意されているかと言えば「ノー」です。  

 実態を語っただけでは「自民党政権ではダメです。社民党を支持して欲しい。社民党と書いて欲しい」とはなりません。
むしろ貴方たち社民党は「ではそれをどうするというのですか」という問が帰ってきます。
スローガンは「言葉」ではありません。それに答えなければ不信を買うだけでしょう。
「狼少年」では済まされないのです。具体的な言葉(政策)を必要としているのです。

 不満の結集がありました。
同時に決めた候補者を断念しての統一候補づくりに参加をした共産党の戦術には多くの市民が共鳴をしたことも事実です。
それが共産党の「比例選挙・党名選挙重視」の方針と一致をしたと受け止めます。
しかし社民党は何を財産として残せたでしょうか。3年前の参議院選よりは票を伸ばしたと言います。
しかし福島副党首の行動に加え「党首を落とせない」という危機意識の強さは前回とは異なりました。
選挙期間中の党首発言が影響したという批評もありますが、それは党(党員)の責任が問われることを意味します。
 全国行脚を繰り返された党首、副党首の目には、それを支える地方組織の脆弱さ、例えば「淋しい集会の場面」などに直面することによって状勢の厳しさを痛感されたはずです。(つづく)

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今、党の強化について望むこと (3)

2016年11月18日 | くまじろうの一言コラム

 今、党の強化について望むこと (3)

 次のようなことがありました。チラシ配布の行動の中で言葉を交わすことができた老婦人がいました。
婦人は「年寄りは早く死ね」というのでしょうとつぶやきました。
そこで「今度の選挙ですが自民党ではダメです。社民党に入れて下さい」との私の言葉に「期日前投票をしてきた」と。
「では誰に」の問いに地元の自民党の現役議員の名前を上げていました。
年齢を問わず「地元意識=小選挙制度」を崩すことのできない事実の一面です。
しかしその現役議員も、民主党旋風の中で戦われた総選挙では開票開始早々に落選が報じられたことがありました。
この地元意識も時の政権の失政と野党の攻撃を含む大きな政治の流れで変わることがある一例でしょう。
では直近の地方選で社民党も議席と得票数を伸ばせたかと言えば答えは「ノー」でした。
言い換えれば地元の党組織(党員力)と支持組織(支持者)の力に限界があること、
ここにも高齢化の現象が如実に表れていることを知るべきです。

 

そして党員の実態があります。その多くが年金生活者です。ある総支部では現役党員は2名ですという報告があります。
党員は職場を持ってはいません。職場に党員が存在しないことを意味します。
党員は職場にあり、私たちは労働組合の運動を担っていてこそ影響力が発揮できたと常識の中で運動を進めてきました。
その党員も職場を離れ、その職場もすでに「脱社民党」となっている現状に成す術を失っているという現状がそこにあります。

 また我が子が小さい時には、近くの小学校から風に乗って流れてくる運動会前のプラスバンドの音色が耳に入ります。
しかし、その子どもも大きくなり高校生、そして社会人となればその音色も耳に入らなくなります。
これは私たちの意識はその時の関心ごとによって変わるということの一例です。 (つづく)

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今、党の強化について望むこと (2)

2016年11月18日 | くまじろうの一言コラム

今、党の強化について望むこと (2)

 

 これは私の体験です。かつてはチラシを抱えて3.000軒をまわることができました。昔と違って面接をして手渡すことは不可能です。
玄関の「呼び出しを押して」も顔を出すのはまれであり『受け箱に入れて行ってください』との回答が良い方です。
それよりも留守宅が多いことです。結局は「チラシのぶっこみ」となります。それでもしつっこく、何回となくチラシを配ることによってこちらの熱意が伝わるとも考えました。
 よって一回の選挙では2〜3回の行動をしました。つまり同じ地域に10.000枚に近いチラシを入れたことになります。
しかし、それが「票」に結びついたかということは結果の数字からも証明できます。
それが今や10分の1の300枚が限度です。最後は足がもたつき、階段のあるアパートなどは避けるという状況となりました。

 これとていつまで続くかです。やれるのは後2年が限度でしょう。82歳になります。 


 また告示後の「選挙ポスター」があります。総支部に割り当てられる枚数は80枚です。
私は8枚から9枚、しかも知人宅の壁や道路に面した箇所に設置をしてきました。
しかもその家は党員でもなければ活動家でもありません。あえて知人を選んできました。そして選挙が終わり撤去に伺います。
その時に述べられ言葉は「ダメだったね、それに票も減っている」というものです。
地域にあって特定の政党のポスターを掲示するということは、それなりの勇気と決断を必要とすることです。
とりわけ「普通の市民」にとってはそうです。それでも議席が増え票を伸ばしているのであれば別です。
当然にして家族の中から「もう断ったら」という言葉が出ても不思議ではありません。
そのような想いが「もうこれ以上の勇気を知人に求めることが出来ない」と判断をしました。
そして今年の参議院選では3枚となりました。
 自分の行動力が衰退していく。チラシ戦術が集票に結び付かない。ポスターの掲示が出来なくなっていく。
そして畑、あるいは郊外の路肩への掲示。そして有権者との接点が無くなりつつある。
つまり「地域で言葉をかわして票を取る」というかつての運動が無くなっていることを知るべきです。

(つづく)

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