土井たか子氏の訃報に対して、「第18富士山丸事件」の土井氏の取り組みを紹介したのツイッター。
【第18富士山丸事件 Wikipediaから】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
日本政府は解放要求をしたものの、日本国外務省は「国交がないから、民間ベースで話し合え」として国交が無いことを理由に不作為に終始した。また北朝鮮の友好国等の第三国を仲介しての解放交渉も全く行われなかった。
第十八富士山丸乗組員の救援運動が起こり、当時の日本社会党が熱心に取り組むとともに、1987年には当時の土井たか子委員長が金日成主席との会談で「乗組員の釈放・帰還」を強く切り出し「政府間交渉に委ねる」との返答を得た。
交渉の末に、1990年の金丸・田辺訪朝団でようやく解放が決まり、その後の土井たか子・社会党委員長と小沢一郎・自民党幹事長が乗るチャーター機で帰国を果たすことができた。
野党外交を担ってきた当時の社会党は、北朝鮮に捕らわれている漁民の帰国のための交渉などに尽力し、再発防止のための漁業協定の締結に努めた。
【第18富士山丸事件 Wikipediaから】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
日本政府は解放要求をしたものの、日本国外務省は「国交がないから、民間ベースで話し合え」として国交が無いことを理由に不作為に終始した。また北朝鮮の友好国等の第三国を仲介しての解放交渉も全く行われなかった。
第十八富士山丸乗組員の救援運動が起こり、当時の日本社会党が熱心に取り組むとともに、1987年には当時の土井たか子委員長が金日成主席との会談で「乗組員の釈放・帰還」を強く切り出し「政府間交渉に委ねる」との返答を得た。
交渉の末に、1990年の金丸・田辺訪朝団でようやく解放が決まり、その後の土井たか子・社会党委員長と小沢一郎・自民党幹事長が乗るチャーター機で帰国を果たすことができた。
野党外交を担ってきた当時の社会党は、北朝鮮に捕らわれている漁民の帰国のための交渉などに尽力し、再発防止のための漁業協定の締結に努めた。