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Vel.3、 忘れてはならない。「8月15日と憲法9条」

2017年08月06日 | 脱原発・反核・反差別・平和運動

 社民党がんばれOB・G福島の会 2017年8月号(NO,124号)から転載しました。

 

 『忘れてはならない 「8月15日と憲法」』

 今年も忘れることができない8月15日がやってくる。あの日は太陽がビカビカと照る暑い日であった。
大変なことになったという想いを感じ取ったのは周りの大人たちのうろたえた姿にであった。
「日本が降参した」それは軍国少国民にとっては考えることのできないものであった。

「神風は吹かなかったのか」「無敵艦隊が出撃しなかったのか」と。
このようなことを語っても今の若者にはそれが何の意味かは知らないだろう。

「第九条が邪魔になってはいないか」の言葉

 1歳の娘を持つ若い父者との会話を報告したい。
彼は言う。「第9条が邪魔になっている」と。北朝鮮が打ち上げるミサイルの実験、そして日本海への着弾。
このことを真剣に考えるところから「日本は武装をもって対決をしなければこの危機を防ぐことはできないのではないか。
それには軍隊を否定する憲法第九条が邪魔になっている」というのが発言の主旨であった。
この発言は何も彼だけではなく、多くの国民の意識の中に芽生え始めているのも確かである。加えてトランプ米政権は、シリア・アサド政権の空軍飛行場に巡航ミサイルを撃ち込んだ。
 そのことが今後の「北朝鮮」に対する米国の軍事攻撃に結びつくとすれば、相手は「やられる前にやってしまえ」ということになる。北朝鮮の報道官は「当然にして米軍基地のある日本がまず標的になる」と断言をしている。「黙ってその攻撃を受けるしかないのか」それが若者の「9条が邪魔になっている論」の根拠であった。

かつての「軍国少国民」はその責任を負おう

 これら若者は戦争を知らない。そこで職場の戦争生き残りの先輩の言葉を思い出す。
「あんた達は戦争とはどんなものか知らないで戦争反対と唱えている。戦場はその恐ろしさで小便が垂れ流れる。
前にある一本の小さな草木にも我が身を必死で隠そうとする。そんなことで敵の銃弾を避けることができないことをわかっている。がその中で生き残った」と。その時代の先輩の多くはもう居ない。
とするならかつての「軍国少国民」の私たちが「戦争は語り継ぐ責任」を負わなければならないだろう。
また70年代に「戦争を知らない子供たち」というフォークソングが全国の若者たちの間で広まった。
その時の若者が今70代になっている。そのかつての若者が「憲法第9条が邪魔になった」と受け止める今の若者に、
どのような「言葉」をもって臨むのかである。

 歴史は体験に裏打ちされた言葉によって語られる。しかし受け取る側にその体験が希薄であれば理解ができない。
「戦場で人を殺しても良いのか。殺されても良いのか」というスローガンだけで伝わるとは考えられない。
脇で無心に遊ぶ子どもの若い父親に、その言葉を用いてもきちんと伝わるかといえば難しい。

憲法国会の「発議と国民投票」を阻止しよう

 そこで考えてみよう。今の安倍政権は森友・家計・そして自衛隊日報に揺れ「傷だらけの泥船」に例えられる。
しかしこの「泥船」を沈ませることは困難である。それが3分の2を占める国会勢力である。
しかし「筋の通らないまやかしの国会運営と、国民を『こんな人達』と叫び『蚊帳の外』に差別分断をした驕りと、
金権と数の力を持って進めた安倍内閣の政治姿勢に『ノー』を表明したのが、内閣支持率の低下となって直撃した」と受け止める。

 この世論の力によって「憲法改正の国会発議と国民投票」を阻止し、「共謀法廃案」「自衛隊の海外派兵法の廃案」に結び付ける安倍政権を倒さなければならない。
 今こそ私たちがかつて経験をし、学んだ実例を取り上げ、若者に伝え続けることが必要である。

 

 

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