90年前の関東大震災のデマで犠牲になった、具学永青年は寄居町の正樹院に葬られ「感天愁雨信士」の戒名がおくられています。
旧寄居警察署は、正樹院の隣にありました。
寄居地区労働者協議会の役員をしていた時に、丸橋町長が具学永青年の話をしてくれたのを覚えています。
寄居地区労が旧寄居警察署の跡地に事務所があった時と思います。
大正12年9月6日と墓石に刻まれています。
具学永 28才、丁度私の子どもと同じ年です。
合掌。
地域の人たちのなかには、この痛ましい事件を「流言を直ちに信じ恐怖に襲われたのは、過去における我が国の治鮮方針に不安のあることを民衆自身がよく知り抜いていたからではないか‥‥朝鮮人に対する侮蔑と冷笑の態度、、民族的偏見ではないか」と批判する青年団員もいました(「寄居町誌」参照)